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プロフェッショナル・ゼミ

「カメラを止めるな!」を見て、鼻水垂らして泣いたこと《プロフェッショナル・ゼミ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:相澤綾子(プロフェッショナル・ゼミ)
 
私は一人泣いていた。ゾンビが怖かった、というわけではない。
声が出ないようにハンカチで口を押さえた。他に泣いている人なんて、いなかったと思う。ただ私だけが、場違いな反応をしていた。
私はゾンビなど、好きではない。お金を払ってゾンビ映画を映画館で見るなんて考えたことなかったし、テレビで放映されたとしても見ない。けれど、この映画はみんなが薦めていた。見た人どうしの、妙な盛り上がり方も羨ましかった。何より、私のライティングの講師の三浦先生が、色んなゼミで話題として取り上げていた。だから地元の映画館でも公開されたのを機に、覚悟を決めた。
私に良さが理解できるだろうかとか、見ても何も変わらないんじゃないだろうかとか、やっぱりゾンビは怖いかなとか、見る前にはいろいろと想像していた。でもまさか、鼻水垂らして泣くなんて、想定外だった。
 
確か、ずっと昔、こんな風に泣いていたことがあった。やはり私一人だけが泣いていた。時折揺れる電車の中で、私はシートに座り、うつむいたままハンカチを顔に押し当てていた。私以外の人は、平穏な日常の中にいた。
高校入試で、第一志望に落ちたのだった。
私には、勉強しかなかった。運動も苦手で、4歳から習っていたピアノも、小6の時にやめていた。足が太くて丸顔で、眼鏡をかけていて、髪の毛は雨の日になるとぼわっと広がる。気心知れた友達はいたけれど、多くはなかった。恋愛沙汰も皆無だった。好きなことは読書くらいで、他に何の趣味もなかった。私には勉強しかなかったのに、第一志望の高校に落ちた。
中学に入ったばかりの頃は、別の高校を目指してけれど、コツコツ勉強していた結果、油断さえしなければ受かる状況にまでなっていた。そこを目標にしただけでは、受験勉強のモチベーションが上がらないと考えた。私はチャレンジしたかった。目標があればもっと高いところに行ける。そして、第一志望の高校に通うことができれば、レベルの高い環境の中で、より刺激が受けられて、その先に、いい大学に行くことができると考えた。
でも私は、合格できなかった。
帰りの電車の中で、私がいつまでも泣いていると母が低い声で言った。
「みっともないから、いい加減泣くのを止めて」
頭から冷たい水を浴びせられた気持ちになった。
今なら分かる。多分母は、周りの視線に耐えられなくなったのだろう。
けれども、私はそんな想像はできなかった。「公衆の面前で泣くのはみっともない」という言葉は、いつの間にか、「チャレンジして失敗するのはみっともない」という形に変換されていた。
 
それから私は背伸びしようとすることをやめた。チャレンジじみたことはしてきたけれど、どこか計算が働いていて、これくらいならできるだろう、という見当がついたものにしか取り組まなかった。
大学に入ったら、心理学を勉強したいと思っていた。もともと私は、人の気持ちを考えるのが好きだった。誰がどんなことを考えているのか、行動や口調やしぐさを観察した。その先に予想通りの行動がとられているのを見ると、自分の観察眼に満足した。自分だけの心の中に留めておけなくて、誰かの行動を当てたりして、「どうして分かるの?」と驚かれて、得意になったりもした。
入門講義をとると、とても興味深い世界が広がっていた。過去の研究者の色んな考え方を身近な人の行動にあてはめると、その深さに感動を覚えた。恋愛心理学で「吊り橋効果」なんていうのもあった。吊り橋を渡る時に異性と一緒にいると、吊り橋を渡っている時のドキドキを、異性に出会ったからと解釈し、恋心を抱きやすいというものだった。こんな楽しいことばかり考えて、研究することを仕事にできる世界があるなんて、すごいと思った。だから研究者になれたらいいなと考えた。
でも気付けば、心理学を専攻しようとしている同級生たちは、ほとんど私と同じように研究者を目指していた。徐々に私は、この中で生き残っていけるのだろうか、という不安に憑りつかれた。博士課程を終えても助手の採用先が見つからないオーバードクターなんて言葉も話題になっていた。その頃はちょうど就職氷河期の真っ最中だった。新卒でなければさらに就職の道も険しい。まして心理学専攻で、採用募集はどれほどあるのだろうか?
そして私は不確かな研究者への道を諦め、さらに3年から学部を変更し、経済学を専攻することにした。経済学ならつぶしが効いて、就職しやすいだろう。心理学の時のようなワクワクはなかったけれど、将来の安心のため、必死で教科書を読み、テストをどうにか切り抜けた。
最終的には、安定した職業の代名詞ともいうべき、市役所の職員になった。あれ以来、多分、みっともないことは一度もしていない。
 
市役所では、3、4年で部署が変わる。そうすると、全く分野の違う仕事を経験することができて、毎回新鮮だった。ただどの部署でも使うような内部管理の仕事もあり、それは女性が充てられることが多かった。私もそういう仕事が多かった。内部管理は他の人の仕事ぶりが見えて、私ならこんな風にやるのに、とイライラしたりもした。仕事上で市民と接する機会が少ないことも、不満の一つだった。市民の考えを肌で感じたかった。たまにお会いする方たちは、みんなとても魅力的だった。もっと関わりたいのに、内部管理の方を優先しなければならなかった。
たまに、「あの女性は、内部管理を外して欲しいと直訴した」というような噂を聞いたりもした。不満を持つのは私だけではないのだと思った。行動に出る強さを羨ましく思うと同時に、自分にはできないと思った。嫌われたくなかった。そんな風に、噂になるのも怖かった。みんな生意気だとか、みっともないと思うから、噂にするのだ。
私は行動を起こせなかった。いつか、チャンスが巡ってくることもあるだろうと思って、必死に耐えた。
 
そんな折、天狼院書店に出会った。去年の7月のことだった。フェイスブックに流れてきたライティングゼミの広告を読んで、心が震えた。「書けるようになりたい」という気持ちがむくむくと沸き起こった。一度気付いてしまうと、もう無視できなかった。
仕事上でも書く仕事が回ってくると、ウキウキした。一般的には、書く仕事は嫌がられる。でも私は好きだった。上司が他の仕事もあってなかなか手をつけられていないことに気付いて、「代わりにやらせてもらえませんか?」と申し出たこともある。もちろん仕事上だから、自分の好きなように書けるわけではないけれど、どう伝えるか、どう親しみを感じてもらえるようにするかを考え、楽しみながら書いていた。
書けるようになれば、今の仕事でも役に立つ。ひょっとして書くことを仕事にできたりしたら……という空想まで出てきた。
天狼院書店のゼミは、毎週課題提出があり、認められると、ウェブ天狼院に掲載してもらうことができる。最初はガンガン落とされた。けれど、講義が進むにつれ、少しずつ身につけることができたのかもしれない。時折掲載してもらえるようになった。そして、プロゼミに進むこともできた。今プロゼミ3期目になるけれど、掲載されるのは半々程度だった。今期は最後ということで受講生も多く、しかも出版経験まである人も多く、それ以外にもどんどん新規受講者たちが掲載されていた。その中で、私は振るわなかった。認められている受講生の課題を読むとすばらしかった。三浦先生がライティングゼミの時からおっしゃっていたことを、不自然な感じではなく、実践していた。歴然とした差を見せつけられた。
私は他のゼミも受けていて、全部課題を出し切れないこともあった。けれども、プロゼミの課題だけは必ず出すことに決めていた。9月から始まるライターズ倶楽部にも申し込んだ。プロゼミが終了し、実践的なライティングを学ぶためのものだ。プロゼミが終了すると聞いた時には、本当にショックで落ち込んだ。けれど、三浦先生はこんなことを考えていてくれたんだとありがたく思った。今までもみんな真剣に取り組んできたけれど、これからは本当の、本気の戦いになる。
それなのに最近、自分でもどう書けばいいのか分からなくなって、もう今週は出せないのかなと、ふと考えることが多くなってきた。8月19日は、プロゼミ最後の講義だった。三浦先生は、受講者の適性について、一人ずつコメントしてくれた。私は「子育てネタ」が合っていると言われた。振り返ってみると、掲載してもらえたのはほとんどが子育てネタだった。子どもの頃からの観察眼が、子育てにも活かされているのだろうか。でも私は違うテーマも欲しかった。違うテーマで書くと、ほとんど落とされた。私は何が好きなのだろうと自分の中を覗き込んでみるけれど、見れば見るほど何もないことに気付いた。書けるようになりたい気持ちは確かだけれど、何を書きたいのか、分からなかった。色んな事を意識すると、身体中が縮こまって、あれは書かない方がいい、これは書かない方がいいと、もう一人の自分がストップをかけた。
ライターズ倶楽部もキャンセルすべきなんじゃないだろうかという気持ちが出てきた。こんな状態の自分が参戦しても、迷惑じゃないだろうか。いや、受講料を支払うから、良いのでは? でも、あの人は毎回書いているけれど、いつも落とされているのに、よく続けているね、と思われるんじゃないだろうか? みっともない、と思われるんじゃないだろうか?
もし、今の私から、書くことを取ったら、何が残るのか分からなかった。機械的に仕事と家事と育児をこなすだけの人になってしまいそうだった。たった1年間なのに、まだ量も全然書けていないけれど、それでも、既に私の一部になっていた。
 
少しの望みにかけて、三浦先生がいくつかの講義で話していた「カメラを止めるな!」を見た。
そして、その世界の前に、私は自分を恥じて、泣くことしかできなかった。
泣きながら、あの高校入試の日に私は戻っていた。電車の中で泣くのは我慢した方が良かったのかもしれない。でもちゃんと最後まで、きっちり泣くべきだったのだ。
一度失敗したからといって、リスクを恐れる必要はなかったんだ。みっともないくらいのチャレンジを、もっともっとすべきだったのだ。涼しい顔して書いている他の受講生たちも、裏では必死に努力をしていたのかもしれない。経験になるようないい仕事を与えられている同僚たちも、隠れて必死に勉強して、アイデアを振り絞ったことが認められたのかもしれない。私の観察眼がなまって、それを見抜けなかっただけだ。よく見ればうっすら涙の跡が残っていたかもしれない。
そうだ、私もみっともないくらい、努力をしよう。自分で限界を決めるのはやめよう。「あの人は必死で書いているけれど、いつも落とされていて、よく続けているね」なんて誰が思うだろうか。天狼院書店の人たちは、みんな自分のことに一生懸命で、人のことなんか気にしていない。仮に気にしている人がいたら、それは、本気でチャレンジしていない人だけだ。そんな人に嫌われたっていいじゃないか。バカにされたっていいじゃないか。
 
「カメラを止めるな!」のどこかに仕込まれていた復活の呪文が、本当の私を取り戻してくれた。もっとやりたいことをやろう。どんどんチャレンジしよう。観察眼をもっと磨いて、市民とももっと積極的に関わって、いつか、出会った素敵な市民を紹介できる文章が書けるようになりたい。
チャレンジしてないことの方がみっともない。努力している方がかっこいい。そんな空気が広がったら、みんなもっと前向きに生きられる気がする。
 
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