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もしも妻の命の期限がわかってしまったら


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:加藤 智康(ライティング・ゼミ木曜コース)
  
12年は長いのだろうか。それとも短いのだろうか。
ふと毎日、残りの年数を数えてしまう。いつか終わりが来るのはわかっているのだが、その時期が具体的にわかったらどうするのだろう。わたしたちは悲しみで動けなくなるのか、精いっぱい生きるようにがんばるだろうか。変えようのない残りの人生をどうしようか。
 
先日、子どもと一緒にテレビを見ていたとき、「妻が、12年生きてくれました」と聞こえてきた。経緯はよく見てなかったが、テレビの中の男性が語っていた。
そして、家具や洋服を見せて、妻の好きだった色や生活状況を伝えていた。
ピンクや薄い赤の洋服が好きだったらしいが、冒頭のセリフのせいか、ピンクがはかなく壊れやすい色に見えた。
 
奥さんはなぜ亡くなったのだろう?
どんな病気なのか。
なぜか惹きつけられていた。ある種の直感が働いたのかもしれない。
 
病気がわかってから、12年という闘病生活だった。ときどき写真が写るが、病気とはわからない元気な奥さんの姿だった。できるだけ奥さんに寄り添って、奥さんが行きたいところに極力行くようにしたと、男性は語っていた。
 
男性の奥さんは難病で、病名を聞いたときはショックを受けたと言っていた。
病名を忘れたのか、忘れようとつとめたのか、すぐには病名がでてこなかったみたいだ。絞り出すように男性は病名を語った。
 
なによりも驚いたのは、うちの妻の病気と同じだったからだ。
子供と一緒にわたしは固まった。
死ぬんだ。12年後に。
つばを飲み込む音が聞こえてくるようだった。
 
まだ決まったわけではないが、12年という年数が重く感じた。
難病とはわかっていたが、どうやって死ぬのか理解できなかった。脳の中で分泌されるべきホルモンが減少していく病気だが、どうなるのか想像ができなかった。
 
妻は、育児やわたしの父との同居に疲れ、数年前に発症していた。最初は、手の震えから始まって、今は体全体が震えてきている。最初は精神科にも通いながら、検査をたくさんした。でも、なかなか病名はわからなかった。一番恐れていた病名をお義母さんが口にして心配していたが、検査結果は陽性ではなかった。
 
今思えば、家族全員わかっていたのかもしれない。ただ、一番恐れている病気の病名を、どこかの病院が決めてくれるのをまっていたかのようだった。
難病で治らない病気。わかっていたが、病名を医師から聞いたときは、やっぱりそうかと納得できた家族がいた。その時から戦いがスタートした。みんなで戦っていこうと、家族全員がひとまとまりになれたと思った。
 
しかし、現実は残酷だ。
 
昨年の夏には、妻の実家に遊びにいった。、その時、妻がもう来れないかもしれないと弱気なことを言った。わたしと子供たちは、一生懸命そんなことはないよと励ますしかなかった。
思うように動かなくなっていく体に、気持ちも沈んでいたのだろう。
その時は、一生懸命お手伝いしようと思ったのだが、日常生活での忙しさにお手伝いも面倒になり、喧嘩が増えている。手足がうまく動かないことにいらいらが募るのか、妻の八つ当たりが激しくなってきていたこともある。悪循環になって、どんどん妻の震えはひどくなる。
 
最近では、歩き方が変わってしまった。足がうまく動かないのか、びっこを引くようになってきた。歩き方を見ると悲しくなってくる。そのたびに、結婚する前の妻が思い出されてしまう。2人で元気に遊びにいった遊園地や、動物園、野球場でのデートを思い出す。待ち合わせの時に、胸の前に手をあげて小走りに近づいてきた妻がとてもかわいくて、印象的だった。それが、今はもう見る影もない。失ったものの大きさに気づいてきた。
 
ゆっくり進む病状は、もうとめられないのだろうか。
テレビで12年という年数を聞いたときは、2度目の大きなショックだった。
いつからがスタートなんだろう。
もう、2年ぐらい過ぎてしまったような気がする。
 
12年といったら子供が成人することじゃないか。花嫁姿を妻にみせられるのだろうか。
どんな言葉をかけていいのかわからないから、病気から逃げるように話題にしなくなった。
今は明るくふるまう妻だが、本当の気持ちはわからない。
 
たまに、「どうして、わたしは病気になったの。何か悪いことした? 」と目を両手で覆いながら泣いている妻がいる。
ただ、背中をなでたり、抱きしめたりすることしかできない自分が歯がゆいと思う。
 
テレビの男性は、妻の最後の言葉を話していた。
 
「ありがとう」だった。
 
わたしは、そばで泣いている子供をそっと抱きしめた。
残された時間を増やすことはできない。どう使うかが問題だと思う。
最近のニュースで、新しい治療法も試されているのも耳に入ってくる。
あきらめてはいけない。子供にもそう伝えて、自分にも言い聞かせた。
 
どんどん病状が進行する妻だが、周りのわたし達があきらめてはいけない。
テレビの男性を見て、私たちは現実の厳しさとともに、勇気をもらった気がする。
突然現れた12年というタイムリミット。
 
今までなんとなく過ごしてきた毎日が急に大切に思えてきた。
同じ時間なら、妻を楽しませて、いっぱい幸せに思ってもらって、お互い精いっぱい生きたねって思える人生にしたい。
 
わたしたちは妻を家族の柱として、前向きに最後まであきらめない気持ちで、しっかり支えていくことを誓った。
***

この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。
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2018-12-02 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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