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メディアグランプリ

嫌なこと全部忘れちゃって


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:鳥越めい(ライティング・ゼミ 日曜コース)
 
 
「“めい”が会いに来てくれたんです」
祖母が施設の人へそう言ったとき、わたしは自分がすっかり忘れられたのだ、と悟った。
わたしの名前は確かにめい、というのだが、祖母の言ったのが“姪”のほうであることは、そのイントネーションからして明白だった。
わたしが彼女の“孫”であることを知っている施設の人は、「そうですか、良かったですねえ」と口にしつつ、わたしへ向けてなんとも言えない表情を見せた。その顔が申し訳ながっているように見えて、わたしは思わず首を横に振った。
あなたが謝ることじゃないです。もちろん祖母も、謝らなくちゃいけないことなんて何一つないんです。
しいて言えば、今この場で謝る必要があるのは、ほかでもないわたしなんです。
 
傷つく、という事象が発生するとき、その向かい側には“傷つけたもの”が存在するはずだ。誰かの投げたボールがたまたま当たって怪我をしたとき。友だちと喧嘩して、ひどいことを言われて泣いたとき。善悪の所在は別として、そこには傷つけたもの(=ボール、友だちの言葉)と傷つけられたもの(=わたし)の関係が現れる。
一方で、自分で勝手に傷ついて、痛い思いをすることもある。箪笥の角に足の小指をぶつけたときなど。その時はひっくり返って苦しみながら、そこに在った箪笥に対してありったけの呪いの言葉を吐いたりするが、そもそも不注意だった自分が悪い。
認知症の祖母に、存在を忘れられたときも、これに近いものがあると思う。
わたしが祖母に会うのは、今日が3ヵ月ぶりだった。
最後に会ったとき、祖母の中ではもうすでに、“孫”という存在がだいぶあやういように見えた。わたしのことを「めいちゃん」と名前で呼びはしたものの、しきりに「弟のたっくんはどうしているのか」と聞かれた。わたしは一人っ子だ。
たっくんて誰、と言ったときの、祖母の、裏切りにあったかのようなショックに満ちた顔に胸が痛んだ。でも5分後また、彼女はわたしに「たっくんは元気か」と聞いてきた。「元気だよ」と答えたら、祖母は大変うれしそうに頷いて、またしばらくしたら「たっくん」の様子を聞くのだった。
わたしはたっくんが何者なのか、というか、自分が祖母の中で誰と混同されているのかわからなかった。わからなかったが、祖母がわたしと久々にしゃべる時間を楽しんでいることはわかった。
その日の帰り、もっとここへ来よう、と思ったのだが、そこへ母から施設の人の言葉を告げられた。
「あまり頻繁にご家族が会わないほうが、かえっていいことがあるんです。記憶が混乱してしまったり、ホームシックになって、帰りたいと言って譲らなくなる入居者の方もいるので」
だからそこまでしょっちゅう行かなくても大丈夫だからね、とのこと。
以前に祖母が暮らしていたマンションは、もう他人へ貸しに出してしまった。我が家に迎えようにも、それがどうしても難しいことをわたしも知っている。祖母には、帰る場所がない。
母は続けてこう言った。
「でもね、これがばぁばにとっては幸せなことかもしれない。嫌なことを全部忘れちゃってね、楽しかった思い出の中で生きられるならそれって良いことなんだと思う」
それは、願望だったかもしれない。母はここ数年、脳機能も体も衰えた祖母に振り回されることが多かった。自分の手の離れたところで祖母が穏やかに余生を過ごすことは、母にとって希望だろう、と思った。
わたしは母がよくつとめ、よく耐えたことを痛いほど知っていた。だから、母の言葉にうなずき、祖母の入居する施設へ足を運ばない日々が続いた。
 
そして、今日。祖母はわたしに、優しく、しかしどこかよそよそしい笑顔を見せている。この間のように、しきりに話しかけてくることはない。
もしかしてとっさに“姪”として認識はしたものの、自分では見覚えがないわたしという人間に戸惑っているのかもしれない。
わたしという存在は、祖母の中でもう消えているのだった。そしてそれはほかでもない、わたしのせいだった。
祖母の病を、わたしは、疎ましく思っていたのだ。祖母がまだ近くで暮らしていた頃、何度も同じことを聞かれることに苛ついたりもしていた。本当はわかっている。施設の人の言葉に、母の言葉に甘えて、今日までわたしは逃げ続けていたのだ。祖母から。優しい、良き孫になれない自分から。
そうしてわたしが来なかった3ヵ月の間に、祖母は“孫”を忘れた。ほかの嫌なこと諸々とともに。
わたしは勝手に傷ついている自分を、ひどく情けなく、恥ずかしく思った。
ごめんね、ばぁば。
そう言いたいけど、言えない。謝られても、祖母にはもう、何に対して謝られているかがわからないのだ。それこそ混乱をさせてしまうだろう。
せめて祖母の中でわたしが消えたとき、彼女の中にかけらでも、それを惜しむものが残っていなかったことを願う。なんの苦しみもなく、わたしのことを忘れてくれていればと。
そんなきれいごとをわたしが願うのも、今さらなのかもしれないが。
 
 
 
 
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2019-07-04 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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