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週刊READING LIFE vol.74

未来の自分を変える方法 《週刊READING LIFE Vol.74「過去と未来」》


記事:丸山ゆり(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
子どもらしさ。
 
そう聞いて、あなたはどんなイメージを抱くだろうか?
無邪気で、屈託がない笑顔、コロコロと動き回るエネルギーの塊のような存在。
突拍子もないことを言って、無理難題を吹っかけてくることもあるけれど、それでもかわいいと思われる得な存在。
 
そんな子ども時代が、誰にでもあっただろうか?
イメージがそうであるということは、子どもはそのような振る舞いであっても許される存在だったのだ。
 
けれども、少なくとも私自身を振り返ると、何ともかわいくない子ども時代を送っていた。
 
私が生まれた時、わが家は7人の大家族だった。
父と母。
父の祖父母。
兄と妹。
世間でよくある、嫁と姑の関係は、教科書通りに繰り広げられている家庭。
 
そして、昭和一桁生まれの父は、そんな母をかばうことなく、いつも母の不満からケンカが絶えなかった。
兄妹の中でも、神経質で敏感な私は、そんな家にいていつもびくびくしていた。
周りの大人の顔色を見て、本当に自分がしたいことを素直に表現することを知らずに成長したのだ。
 
当時、晩酌をして酔った父は、決まってこう言った。
 
「ゆりちゃんは、〇〇川の橋の下で拾ってきた」
 
この、大人の何気ない言葉がどれほど強烈に胸に突き刺さったことか。
そして、またこの言葉を真に受けてしまいたくなる理由があったのだ。
兄と妹は生まれたときから、見てくれが良かった。
 
目がぱっちりとしていて、人が振り返るくらいかわいい子だったのだ。
大人たちは、こぞって兄と妹を連れて歩きたがったと聞いている。
それに比べて、私は家族の期待がはずれた、残念な子どもとして、生後間もなくの頃から扱われたのだ。
兄と妹の性格が似ていて、育てやすかったらしいが、私は神経質で育てにくかったとその後もよく言われた。
どうだろうか、大人になっていたらそうではなかっただろうが、幼い子どもだった私が自分に自信を持てなくなるには、十分すぎる環境がそこにあったのだ。
 
そして、父と同じく、昭和一桁生まれの母は、食べ物がない時代に育っている。
なので、食べることに関しては、厳しかった。
とにかく、たくさん食べなければ叱られるのだ。
もちろん、食事を残すなんてご法度。
嫌いな食べ物も無理やりにでも食べさせられた。
さらには、好きな食べ物に関しては、兄妹三人が競うように食べることもあって、当時の私はとても太っていた。
 
三人の兄弟で、体質が一人違った私は、生まれつき目も悪く、4歳からはメガネをかけることにもなった。
当時、メガネはまだ珍しく、幼稚園、小学校に行ってもとても目立つ存在だった。
メガネをかけて、太っていて、自分に自信のない私がどのような子ども時代を過ごしたか。
きっと、容易く想像できるはずだ。
 
小学生の頃、周りのかわいい女の子を見ては、「いいな、〇〇ちゃんはかわいくて」
太っていて、運動神経も悪かった私は、短距離走、マラソン大会で先頭を切って走る友だちを羨ましくも思った。
 
母が教育に関心がなく、宿題をしているのか、テストがいつあるのか、全く聞かれることもなく、「勉強しなさい」と言われたこともなかった。
なので、小学生の頃、私には勉強をする習慣もなかったので、成績も下の方だった。
 
そう、私には何も取り柄がなかったのだ。
 
今だったら知っている言葉、「自己肯定感」が皆無だったのだ。
 
自分への自信のなさは、成長しても変わることなくずっと持ち続けていた。
 
今思うと、怖いくらいそれがあらわれたのは、恋愛だった。
自分に自信がないものだから、付き合う男に完全に合わせるのだ。
元々、自分の意見、考えなどなく、周りの様子に上手く合わせて生きてきた。
だから、合わせるのも上手かった。
もう、その相手の思うこと、趣向がまるで自分の思いのように錯覚するほど、自分の意見はなかったのだ。
 
そんな人生をずっと送っていると、周りの人間からの扱いもそれなりだ。
 
「都合のいい人」
 
社会に出てからは、私の存在はそのように表現できた。
ご飯や飲み会に誘うと、いつでも参加OK。
途中でドタキャンされても、決して怒らない。
何か、用事を頼んだらイヤな顔一つすることなく引き受ける。
 
いたら、便利な人。
そんな存在になっていた私。
そこにストレスを感じることも、もうなくなってしまっていた。
もう自分の意見や主張なんてどこにもなかった。
さらには、親たちがずっと言っていたこんな言葉もリンクしていた。
 
「自分のことより、人に良いことをするのよ」
 
「まずは、人を喜ばせなさい」
 
そう、だから当時の私がやっていることは、
 
「うん、間違っていない」
 
そう確信するほどでもあったのだ。
 
結婚して、人生の中盤を超えたころ、こんな私でも自分自身について考えることが多くなっていった。
これまでの人生を振り返る機会も増え、なんだか自分の存在価値が感じられず、どうでもいい人間にも思えてきたのだ。
根底には、自分に自信がないわけだけれど、ママ友との付き合いが始まると、具体的な対象とジャッジしてはさらに落ち込んだ。
自分の中に、確固たる信念や信頼がないわけだ。
つまり、軸がない私は、川沿いに立つ柳の木のようにゆらゆらと心もとなく揺れているような存在だった。
強い風が吹いたら、いつでもポキッと折れてしまいそうだ。
 
そして、半世紀近くを生きた頃、私は人生を変えるメソッドに出会った。
それは、モノの片づけを通して自分を見つめてゆくという、断捨離だった。
私が自分の周りに取り置いているモノたち。
そこには、私の思いが貼りついている。
そう、モノ=私、なのだ。
そのモノを通して自分に向き合うと、イヤになるくらい、自分が見えて来た。
 
特に顕著に表れていたのは、食器だった。
結婚時、その生活を海外でスタートすることが決まっていたので、食器はお互いの家に保管されている、引き出物や贈答品を使うことにした。
つまり、「まあ、これでいいや」というような関係のモノだった。
それでも、名の知れたブランドや見た目が美しいモノばかりであったので、私は何の違和感もなく使うことにした。
何よりも、お互いの家の在庫品を使うことは、両家のためにも助かるだろうという、いつもの私の思考でもあった。
そんな寄せ集めの食器。
それらに向き合ったとき、とても大きな気づきがあったのだ。
 
「まあ、これでいいや」というモノを自分に与えていたから、周りの人からも「まあ、丸山さんでいいや」という扱いをされたのだ。
 
つまり、他の人でもいいし、あなたでもいいし、というような選択理由。
とてもじゃないけれど、大切にはされていないのだ。
そのメソッドの概念と私がこれまでやってきた行動が腑に落ちたときに、ずっと悩んできた思いの答えが見えてきたのだ。
 
自分に対する周りの人間の対応の仕方、それを生んでいたのは、私自身が私をどのように扱っていたかという行動の結果だったのだ。
もう、泣けてきて、悔しくて、腹が立ったのを今でも覚えている。
そこから、私は「まあ、これでいいや」という食器をすべて捨てて行った。
自分を大切に扱ってもらいたかったら、まずは自分で自分を大切に扱えばいいのだ。
それがわかりやすいのが、モノだ。
 
だから、目の前に取り置いているモノに向き合って、必要なモノを入れ替えていったのだ。
今の私が使いたいモノに入れ替えてゆくと、毎日が楽しいのだ。
好きなモノが身の周りにあるということは、間違いなく嬉しい状況が常にあるということ。
そこで、不機嫌になることはない。
毎日、自分をもてなしている行動は、やがては自己肯定感にも影響が出て来た。
 
自分の中から、じわっとわいてくる、好きなモノとある喜び、使う嬉しさが日々の私に幸福感を与えてくれた。
それと同時に、自分の中から、エビデンスはないけれど、自信のような思いもわいてきたのだ。
それは、山を歩いていると時々出会う、湧き水のようなイメージだ。
派手にダクダクとわいてくるのではなく、チョロチョロとわき出ている清らかな水のようなもの。。
 
すると、小学生の頃、いつも友だちを羨ましく思っていた私が。
ママ友との付き合いの中で、思いっきり自分を卑下していた私が。
 
そんな私にも、良いところがあるじゃない。
あの、小学生の頃の〇〇ちゃんのように素敵ではないけれど。
あの、ママ友のように器用ではないけれど。
私が持っているモノだって、それなりにいいじゃない。
そんなふうに自分を思えるようになったのだ。
 
今の私が小学生の頃の私に声をかけることができたら、どんなに良かっただろうか。
今の私が子育てに必死になっていた頃の私に声をかけることができたら、どんなに良かっただろう。
 
そう、「あなたはあなたのままで十分よ」
 
過去の私を好きではなかった私は、今、当時の自分を思い出すと、なんだか健気だったし、一生懸命生きていたんだな、と微笑ましくさえ思える。
 
過去がどうであれ、未来の自分は、自らにどのようなモノを与えるか?で、変えてゆけるのだ。
 
私は、これからの自分の人生、あるがままの今の自分をうんと愛でてゆこうと思っている。
だって、私にも素敵なところがちゃんとあるって、心から思えるようになったから。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
丸山ゆり(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

関西初のやましたひでこ<公認>断捨離トレーナー。
カルチャーセンター10か所以上、延べ100回以上断捨離講座で講師を務める。
地元の公共団体での断捨離講座、国内外の企業の研修でセミナーを行う。
1963年兵庫県西宮市生まれ。短大卒業後、商社に勤務した後、結婚。ごく普通の主婦として家事に専念している時に、断捨離に出会う。自分とモノとの今の関係性を問う発想に感銘を受けて、断捨離を通して、身近な人から笑顔にしていくことを開始。片づけの苦手な人を片づけ好きにさせるレッスンに定評あり。部屋を片づけるだけでなく、心地よく暮らせて、機能的な収納術を提案している。モットーは、断捨離で「エレガントな女性に」。
2013年1月断捨離提唱者やましたひでこより第1期公認トレーナーと認定される。
整理・収納アドバイザー1級。

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2020-04-06 | Posted in 週刊READING LIFE vol.74

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