過去も未来も自分が創り上げたモノ 《週刊READING LIFE Vol.74 「過去と未来」》
記事:中野ヤスイチ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
「何の為に生きている? 生きている価値ある?」と自分の心が叫んでいた。
小さい頃、何をやっても、上手く行かなかった。
僕は3人兄弟の次男。
生まれた瞬間には1つ年上の兄がいて、物心がついた時には4つ年下の弟がいた。
兄は優秀だった。間違いなく僕より。
小さい頃、父親は僕と兄に、「水泳とテニスどっちやりたい?」と聞いたらしい。
僕は聞かれた事を全く覚えていない。
その時、僕と兄は何を思ったのか、水泳は溺れるかもしれないから、テニスが良いと言ったらしい。
そこから、僕と兄は同じテニススクールで同じクラスで練習をするようになった。
やわらかいスポンジボールを小さなラケットで打つ練習を何度もやらされた。
小さい頃だったから、言われるまま、黙々と練習していた。
兄も同じ練習をしていたので、同じようい言われるがまま練習していると思っていた。
年を重ねるにつれて、僕も兄もボールをある程度は打てるようになった。
その頃になると、ボールもスポンジボールから大人も使っている黄色い硬いボールに変わっていた。
その硬い黄色いボールを打つようになってから、僕と兄とではレベルの違いが明らかなになってきた。
僕はただ言われたように、ボールを打っていただけだったので、ボールが打てるレベルのままだった。一方で、兄は違った。キレイなフォームで頭を使ってしっかりとボールを打っていた。
その頃まで、僕と兄は同じコーチに練習を見てもらっていたのだが……。
ある日、練習後にコーチが、父親に真剣な眼差して話をしているのを僕は見逃さなかった。
父親は笑顔で、「ありがとうございます」と言っていた。
その後、僕と兄が練習を終えて、父親と一緒に帰っている時に、兄に父親が「おめでとう、次から一つ上のクラスだ、コーチが綺麗なフォームだって、センスが良いと褒めてたぞ」と満面の笑みで言った。
その横で、僕は面白くなかった。
「え、なぜ、兄だけが、上のクラスなんだ!? 練習して来た期間は一緒なのに……、僕だって、ボールは打てるし、フォームも汚い訳ではない」と心の中で呟いていた。何より、兄が嬉しそうにしている表情が許せなかった。
「まあ、お前は年も一つ下だし、もう少し練習したら上のクラスにあがれるよ」とそっけなく父親に言われた。
それを言われた瞬間、僕の小さなプライドが崩れて落ちた。
それ以降、僕は誰とも話をせずに、家に帰った記憶だけが残っている。
僕も兄も年を重ねて中学生になった。
すでに、テニススクールは引っ越しもあり、辞めてしまっていた。
中学生になると、お互い別々の部活に入った。
兄は野球部に、僕はテニス部に入った。
ある程度、ラケットを使って、ボールを打つ事ができたので、テニスが楽しかったし、試合に出て、ある程度は勝つ事もできた。
そして、ある大会で僕は順当に勝ち上がり、県大会出場を決めた。
その瞬間に、僕は心の中で「やった、やっと、ここまで来た、これで両親にも喜んでもらえる」と浮かれていた。
家に帰って、母親に県大会出場を決めた事を伝えた。
母親は笑顔で、「おめでとう」と言ってくれて、嬉しかった。
夜遅くに父親が家に帰ってきて、僕はベットで寝ようとしている時に、母親が父親に夕ご飯を出しながら、「県大会出場を決めたんですよ」と言っているのが、聞こえてきた。
僕はやっと父親に認めてもらえるに違いないと思いながら、耳に全意識を集中させていた。
聞こえて来た言葉の意味が理解できなかった……。
「そうだ、これは夢だ、夢なんだ」と自分の心に言い聞かせていた。
なぜか、布団を顔に被った瞬間に自然と目からは温かいモノが流れた。
「それはよかったな……。あいつも、ずっとテニスを続けていたら、県大会出場をしていたに違いない、あんなに才能があったし、フォームだってとても綺麗だったのに、もったいないな」と父親は言った。
その時から、「僕は生まれてくるべきでは無かったのでは!?」と自分に問うようになった。
それから、僕は父親を嫌いになり、自分も嫌いになった……。
さらに、兄はいつもテストの点数が良く、正直、頭も良かった。
一方で僕は頭も悪かった。
テスト前になって、横の机で勉強している兄に「わからない所があるから、教えてくれない?」と聞いた。
その時、兄は鋭い眼差しで、「オレも勉強しているんだ、自分で勉強しろよ」と言ってきた。
僕は、悲しかった、わからないから、恥をしのいで、兄に聞いたのに、何も教えてもらう事もなく、より惨めになるだけだった。
それ以降、僕は兄に何かを聞く事はなくなった。むしろ、ずっと、必ず兄に勝つとライバル視するようになった。
兄も僕も同じ中学、高校を卒業し、大学から違う進路を取った。
ただ、お互い理系で、同じような分野を専攻していた為、お互いがどのような事に興味があるのか、知らない振りをしながら過ごしていた。
僕は奈良にある大学院に進学する為に、一足先に実家を出る事になった。
研究者になるんだという大きな夢を持って……、その夢も叶う事はなかった。
決して、研究が嫌いになったからではない、研究は間違いなく好きだった。
ただ、自分に自信が持てなかった、研究を続ける自分が想像できなった。
研究者も生きるか、死ぬかの世界、目指した人がすべて研究者になれる訳ではない。
それを感じていた僕は、父親からの進めもあり、就職する選択を取った。
運が良いことに、友人が受けてみたらと勧めてくれた会社に無事に内定をもらい、就職をする事ができた。
その時、初めて父親が喜んでいる姿を見る事ができた。
「就職おめでとう、よかった、よかった」と言ってくれた。
僕もこれで良かったんだと自分に言い聞かせ、これで親から自立する事ができると喜んでいた。
社会はそんなに甘くなかった……。
理想と現実は全然違っていた。
研究者の夢を諦めて、社会人として理想を胸に描いて入社して、仕事をしていると、自分の心の声が、どこからか、聞こえるようになって来ていた。
「誰の為に、仕事をしている? 何がしたいの?」と問いかけてくる。
僕はわからなくなっていた、自分が誰の為に、何がしたくて仕事をしているのか。
その問いがどんどん強くなっている時に、父親が亡くなった。
僕は父親が亡くなった事が信じられず、父親の死を受け入れる事ができなかった。
ずっと、父親に認められたくて、生きてきて、父親に喜んでもらう為に、頑張って来たのに、
やっと「良かった」と言ってもらえたのに、その瞬間、この世から居なくなってしまった。
父親が居なくなってから、僕の心の隙間がどんどん広がっていくのを感じていた。
社会人になるまでの人生を自分の為ではなく、誰かを見返したくて、誰かに喜んでもらいたくて、過ごしてきた自分という人間の愚かさに気付かされた。
誰かが、「人生は何かを成し遂げるにはあまりにも短い」と言っていたのを思い出した。
誰かから提示された選択肢の中から、答えを選んでいる内は、自分に自信を持つことすらできない、自分の力を信じて、何か一つでも良いからやり続ける事ができた時に、過去を振り返った時に、自信に繋がるに違いない。
これからの時代、人生100年時代と言われている、生まれてから死ぬまでの間に桜が咲くのを100回も見られるようになる事を意味している。
「本当に100回も桜が咲く瞬間を見る事ができるのだろうか」
未来に行ってみないとわからない。
今までの時代は、親が正しいと思った事を子供に伝えて、それを信じて頑張っているだけで、良かった。でも、桜を100回も見られる人生を過ごす事があたり前になると言われ始めたのは、近の事であり、まさに、未体験ゾーンへの突入を意味している。
もう正解がある時代は終わった、いや、そもそもそんな時代はなく、幻想の世界だったのかもしれない。これからの時代は自分の事、自分の持っている力を信じて、生きていく時代になっている。
どんな人生が正解か、死ぬまでわからない。
正解は、自分で創り上げるしかない。
父親の死を目の前で見た事で、人間はいずれ死ぬのは間違いない、だったら、一度しかない人生を、自分のやりたい事もやらないで、正解も失敗もわかるはずがない。
未来の自分がより充実した人生を過ごしている事を願って、今という時間を一生懸命生きていきたい。
だから、過去の失敗をエネルギーに変えて、僕は今も記事を書いている、きっと、未来も書いているに違いない。
□ライターズプロフィール
中野ヤスイチ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
READING LIFE編集部ライターズ倶楽部
島根県生まれ、東京都在住、会社員、妻と子供の3人暮らし、奈良先端科学技術大学院大学卒業、バイオサイエンス修士。現在は、理想の働き方と生活を実現すべく、コーアクティブ・コーチングを実践しながら、ライティングを勉強中。ライティングを始めたきっかけは、天狼院書店の「フルスロットル仕事術」を受講した事。書くことの楽しみを知り、今に至る。
この記事は、天狼院書店の大人気講座・人生を変えるライティング教室「ライティング・ゼミ」を受講した方が書いたものです。ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。
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