週刊READING LIFE vol.75

僕は仕事ができない《週刊READING LIFE vol.75「人には言えない、ちょっと恥ずかしい話」》


記事:黒崎良英(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
ちょっと、というかすこぶる恥ずかしい話だが、私は仕事ができない人間である。
 
いや、私だってできる人間じゃないよぉ〜、とご謙遜されるあなた。申し訳ないがそんな生ぬるいものではない。
それは例えるなら、
 
「テスト勉強進んでる?」
 
という問いに対して、
 
「いや、全然やってないよ〜」
 
というようなものである。
こういう答え方をする人は往往にしてしっかり勉強している。
 
私の場合は、この時に耳を塞いで「聞こえないー」と答えるようなパターンである。あるいは黙秘を貫くパターンである。そういう人は本当に勉強していない。
 
つまり、いわゆる「ガチ」で仕事ができない人間である。
あなたの周りにもいたことがあるのではないだろうか?
こいつ使えねー! と憤慨し、呆れ、ストレスが溜まってしまうような人間である。
 
そう、私はガチで仕事ができない人間である。
 
まず、言われたことが頭に入らない。
言われたそばから抜けてくる。したがって記憶に残らず、そのことを尋ねようとすると、
 
「あの時に言ったように……」
 
と前置きされて、険しい顔つきをされる。
さもあらん。向こうとしては、一生懸命に説明したことを聞いてなかったのか、ということになる。
 
もちろん、ボーッとしていたわけではない。話自体はしっかり聞いている。聞き漏らすまいと注意を払っている。
が、どうも頭の中で反芻したり、そこから考えが広がったりしているうちに、次の言葉を聞き逃しているようだ。
あるいは、実感が伴わず、なるほどなるほど……くらいにしか考えられず、さて、実際に自分が作業しなくてはならなくなった時に、どうすれば良いのか、何と言っていたのか、途方にくれてしまう。
 
ではとにかく、分からなければ聞く必要があるのだが、私は叱られることや敵意を向けられることがすこぶる苦手である。
先にも言ったように、私の質問はあまり歓迎されるものではない、ということがわかっている。だから、仕事内容が分からなくてもすぐには聞きに行けず、作業が滞ってしまう。
 
加えて、1度や2度ならまだ良いが、そう何度も聞きに行くと、まずは自分で考えろ、ということにもなる。
もちろんその通りで、では自分で考えて実行すると、これが大変なこととなる。
どうも私の考え、というか感性というか判断というか……おかしいようなのだ。いわゆる一般の答えが導き出せない。
したがって自分で考えて実行した結果、「普通、こんなことしないよね?」と言われる結果を出してしまう。自分では最良だと思っているのに、だ。よって、その答えが正しいかどうか、判断に戸惑って、遅くなってしまう。
 
頭が回らないということもある。なんというか、頭がショートしてしまう感覚に陥る。何も考えていない、というわけではない。だが、例えるなら処理能力の低いCPUで、大容量の情報を処理しなければならない時のようになってしまう。もちろんこの処理しなければならない情報量というものは、はたからみれば対して大容量でもない。だが、演算能力が低い頭で考えているので、考えても考えても、次にやるべきことが分からない。
フリーズしてしまう状態だ。
 
自分では必死にやっているつもりである。残業という概念がない職業だが、遅くまでやっていくことはしょっちゅうである。だが、時間単位の仕事量が少ないので大してはかどらない。
 
また、ありがちだが、苦手なことを後にしてしまう。ギリギリにならないとやらないタイプの人間である。そして提出が遅くなってまた痛い目にあう。
 
そもそもが情熱がない。
これも恥ずかしい話だが、こんなスペックではあるが、私の職業は教師である。高校で教えている。
そして大変申し訳ないが、私は生徒のために命を張れない。いや、庇って凶弾に倒れるくらいはやぶさかではないが(なんかかっこいいし)、それでも「生徒のため」という観点から必死にはなれない。
先ほども言ったように、遅くまでやっていくことはやぶさかではないが、それは必要に駆られてであり、いわば「仕事のために仕事をしている」ようなものである。申し訳ないが、その先を考えられる余裕はない。
 
とかく使えない人間である。仕事の場に存在していていい人間ではない。
 
こんな人間が、では、なぜ今までやってこられたか。
一つの理由としては、それは数少ない「手に職」が身についていたからである。
私の専門は国語であるが、大学を卒業する年、その大学で情報科の教員免許が取得できるようになった。もとより情報機器の扱いは得意で、興味もあったのだが、これが功を奏し、無事取得。そしてこれが重宝されるようになった。
 
みなさんの周りにもいないだろうか? PC周りで分からないことがあった時、誰それに聞けば解決してくれる人。この人に聞けば大体何とかしてくれる人。
要はそのポジションにつけたのだ。
ありがたいことに、みなさんそこは評価してくださっている。
加えて、情報科は比較的新しい科目なので、その教員免許はを持っている人は多くない。国語科と合わせて持っている人はなおのことである。それも功を奏した。
 
もう一つは、自分でいうのも変な話だが、性格が穏やか、といえば聞こえがいいが、何事にも怯えるミジンコの心臓の持ち主だからである。
私は決して怒らない。怒る必要があるときも怒らない。
だからこれが長所だとは決して思わないが、処世術としては使える部類である。
不平も言わないし、不満も言わない。そもそもない。
いわゆる「生きているだけで幸せだ」というおめでたい性格である。
 
決して長所ではないこの性格だが、ある時、そう卑下するものではないと思うことがあった。
古い友人と話をしていた時のことである。その友人は、確か仕事の不満なり、恋愛系のいざこざなりを話していた。私はそれをただ普通に聞いていた。
だが、
 
「お前はそういう風に聞いてくれるからありがたいよ。他のやつだったら途中で放り出して、やめろと言ってくるもの」
 
という。
私としては目から鱗であった。私は特別なことをしていない。アドバイスもしていない。ただ「聞いていた」だけである。それが、どうも他の人にはできないことであるらしかった。
「ただ聞く」という行為は、私にとっては別段苦痛ではない。ただ待つ(これも人によっては苦痛のようだが)のと一緒で、特に難しいことではない。
 
私は、ここに光明を見出した。
私の処世術の合わせ技である、「穏やかに話を聞く」ということは、人によっては不得手なことであるようだ。
 
私は仕事のできない人間である。だが、このように人の話を聞くことはできるし、いついかなるときも穏やかに接することもできる。
 
それは別に長所でもないとは思うが、私が職場に存在していていい理由ともなるのではないか。生きていていい理由になるのではないか。
 
社会に出て10年ほどが経っている。その中で思ったことだが、私を含めて、何もできない人間というのは存在するのである。
何をやってもうまくいかない、しょっちゅう失敗するうえ、失敗から学ばない。
そういう私みたいな人間は大勢いるのである。
 
ただ、私たちは、何かしらの処世術なり、人に必要とされるものを持っている。いや、持っているように思わせることが必要となる。
 
なぜなら、私たちは死ぬわけにはいかないからだ。
どんなにダメ人間でも死ぬわけにはいかない。
どんなに何もできなくても死ぬわけにはいかない。
 
であるならば、犯罪以外なら大体やることをやらなければならない。
死ぬわけにはいかない、と大いに主張するのがよかろう。ミジンコの心臓をノミの心臓にくらいには大きく見せることも大事である。
 
だって死にたくないんだもの! とある種開き直ることも大切である。
 
そんな「死ぬなんて大げさな」と思われるかもしれない。私もそう思う。だが、大げさに考えるのが妥当の用でもある。
 
締め切りを過ぎたら死ぬ。
書類を完成させなかったら死ぬ。
何かを達成できなかったら死ぬ。
 
それこそちょっとしたことで死ぬミユビナマケモノ並みにすぐ死ぬと考えていた方が良い。
危機感の上乗せにもなる。
 
何もできないながらも、自分では気づかない長所、というか人に必要とされるものがある。ありきたりだが、人間そのようなものかもしれない。
一人の完璧な人より、多数の不完全な人がいるからこそ、集団は力を発揮する。
不完全な中に、かなり不完全なものが混じっていても大いに結構。集団はそれくらいカバーする。肝心なのは、その人が「生にしがみつくこと」であるかと思う。
それは言い換えれば集団にしがみつくことであり、社会にしがみつくことでもある。
 
私は生徒によく伝える。「とにかく死ぬな」と。
君がどんな人間でもいい。犯罪さえしなければ、人を悲しませなければ(ここも難しいかもしれないが)、大体のことはしてもいい。だから死ぬな。
 
これが正しいかは分からないが、せめて、この最高難度を持つ社会で生き残るために、こう伝えるしかないと思っている。
情けない教師で申し訳ない。
 
これに幾分かの情熱があれば言うことはない。
だが、前にも言ったように、私は生徒のために命を張れない。生きるために働き、仕事のために仕事をするしかない。
だから、私と関わった方や生徒諸君、どうかその間、犬に噛まれたと思って諦めていただけるとありがたい。
 
いつだったか、検定合格を知らせてくれた君も、テストで高得点をとったことを知らせてくれた君も、それから専門学校に合格したり大学に合格したり……いろんなことを知らせてくれた君。
それは自分自身や他の先生方の努力の賜物です。決して仕事のできない私が導いた結果ではないので、他の方に率先してお伝えなさい。
 
ま、それはそれで死ぬほど嬉しいけどね。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
黒崎良英(READING LIFE編集部公認ライター)

山梨県在住。大学にて国文学を専攻する傍ら、情報科の教員免許を取得。現在は故郷山梨の高校に勤務している。また、大学在学中、夏目漱石の孫である夏目房之介教授の、現代マンガ学講義を受け、オタクコンテンツの教育的利用を考えるようになる。ただし未だに効果的な授業になった試しが無い。デジタルとアナログの融合を図るデジタル好きなアナログ人間。趣味は広く浅くで多岐にわたる。

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2020-04-13 | Posted in 週刊READING LIFE vol.75

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