週刊READING LIFE vol.75

恥ずかしいことは、3割打者への道《週刊READING LIFE vol.75「人には言えない、ちょっと恥ずかしい話」》


記事:石崎彩(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
女も30過ぎるといろいろある。
お金の問題やらパートナーとの問題、体の問題……。
悩みなく生きている人の方が少ない。
 
彼女たちとも、人には表立って言えない話をよくしていた。
旦那との関係、仕事の悩み、家族との関係などなど。
 
「ちょっと相談があるんだけど、会って話さないとうまく伝わらないと思うから、空いている日ないかな?」
 
その日、グループラインに呼びかけられたコメント。ラインでなく、会って話さなくてはならない話とは、きっとただ事ではない。
空いている日を返信した後、さまざまな悪い想像をめぐらせる。
 
「もしかしたら、本当に離婚すると決めたのか……。いや、会って話さないと伝わらないことだから、もっと違う込み入った悩みか……」
 
召集日当日、呼びかけを受けた私ともう一人の友人。
彼女が到着するまで、友人と2人で話の内容を憶測する。友人もいささか不安な様子で、どんな深刻な悩みが来ても大丈夫なように心構えをしているようだ。
そんな様子を知ってかしらずか、いつもとあまり雰囲気が変わらないように見える彼女が現れる。
 
いつも通りの世間話を一通りした後、彼女は居住まいを正し、ゆっくりと口を開いた。
 
「驚かないで欲しいんだけど、私……王騎になろうと思うの」
 
おうき?
友人の顔を伺うと、私と同じくあまりピンと来てない様子だ。
 
「おうきって?」
 
「キングダムの王騎っていうキャラクター」
 
キングダムとは、週刊ヤングジャンプで連載中の超人気漫画のことだろうか?
そして、その漫画に出てくる人気の将軍、王騎のことだろうか?
 
「私、王騎のコスプレをしようと思っていて、でも一人ではきっとできない。すごく変なお願いかもしれないけど、本気でお願いしたいの!」
 
彼女の話をよくよく聞いてみると、なるほど話が見えてきた。
彼女は、長らく夫婦関係で悩んでいて離婚も考えているほどだった。それは、私も友人も聞かされていたが、その悩みは私たちが考える以上に深刻なものだったらしく、ある有名な占い師に先日相談に行ったそうだ。
 
その占い師は、彼女と夫を占ったあと、占いとは違った観点で話を始めたというのだ。
すごく大きな悩み、それはある種その人の「〜でなければならない」という強い思い込みから生じている。つまり、夫婦関係はこうでなければならない、旦那にこうあって欲しいという彼女の固定概念から離れるほど悩みは深くなるのだ。
 
そこで、占い師はこうアドバイスしたそうだ。
 
「悩みは考えれば考えるほど、悪い方向に考え込んでしまう。そして、さらに悪い現実ばかりが起こるように脳が錯覚してしまうのです。だから、ひとまず脳をその悩みから離しましょう。脳の注意をそらせるようなインパクトのあることをしてみるのはいかがでしょうか?」
 
そうして、その占い師(男性)は自身が実践している方法を話し出したのだという。
彼が実践しているというのは、「自分が嫌だと思うこと、恥ずかしいと思うこと、普通に生活していたら絶対やらないこと」を1年に1度やってみるという方法だった。
 
例えば、彼は2児の父親で30代の既婚者だが、初音ミクのコスプレを始め、女装を定期的にしているというのだ。絶対やりたくないことにあえてチャレンジする。
決めたらば、実践する日にちまで決めて準備をしだす。その準備期間中はものすごく不安や焦りに襲われるそうだ。やりたくないことをするのだから当たり前である。
 
しかし、このやりたくないことを準備している間は、小さな悩みや普段感じている不満がなくなるそうだ。
 
「それは脳をただごまかしているだけだから根本的な悩み解決にならないのでは?」
 
「違うようなの。嫌なことを実践してみると、意外にできたことに対して達成感を感じるって。嫌だと思っていたことが、実は案外そうでもなかったと思えるんだって」
 
そしてさらに、自分の人生に対する固定概念に気づくのだそうだ。
別に恥ずかしいと思ってたことって、自分が恥ずかしいと思ってただけで、何か自分に実害があるわけじゃない。世の中にはさまざまな価値観があることに気づき、それまでの悩みが急に軽く感じるそうだ。
 
なるほど、そう言われると確かに理にかなっている。それで、なぜ彼女が王騎を選んだのかもわかった。
彼女はスレンダーで都会的な雰囲気の女性だ。まっったく、中国戦国時代の伝説の将軍のイメージとはそぐわない。想像できない。っていうか、キングダム知っていたのか。
 
彼女は占い師と相談して、すでにコスプレをお披露目する日にちまで決めていた。だんだんと彼女の王騎にかける思いの本気さが伝わってきた。
友人はすでに王騎の画像を検索し始めている。
正直、彼女の本気さもあったが、単純にやったことないことに興味を惹かれ、2020年3月某日「王騎プロジェクトチーム」が立ち上がった……。
 
その後、コスプレ素材の検討をして解散。後日、制作のために彼女の自宅に集まる予定が組まれた。
私は仕事の都合で集まれず、当日の撮影スタッフとしての役割を与えられたが、制作途中の画像がどんどん送られてきた。
 
甲冑に施される予定の丸い装飾をたくさん紙粘土でこねている様や、青いラッカースプレーでダンボールが塗られていく様の写真。細面の女性らしい顔立ちの彼女が、額いっぱいに極太眉毛を描いている様まで送られてきた。
極めつけは、青い甲冑を身にまとい、いかった眉毛で男らしい風貌となった彼女の仁王立ち。
 
笑いをこらえられるわけがなかった。仕事中だったため、周りの人からきっと訝しがられたに違いない。画像を直視すると平静を保てないため、左手で画像を覆い隠しながらラインに返信しなければならなかった。
 
打ち合わせ段階では、まったく想像ができなかったが、まさか彼女がここまで王騎に近づいているなんて……。驚きと笑いとでなんとも言えない。
30過ぎてからこんなに面白いことをやったことがあっただろうか?
趣味でもないし、ましてや仕事でもない、誰かの役に立つことでもない。
 
写真を見る限り、彼女も友人もとても楽しそうだ。嫌なことをやるはずだったのに、いつの間にか童心に帰っている私達がいる。
そして、もちろん実際にコスプレを完成させて外の会場に出て撮影会をするのは、勇気のいることだろう。今、一生懸命に自分の殻を破ろうとしている彼女の姿勢に思わず感動しそうになる。
 
いや、さっきまで笑いをこらえていたのに今は少しうるっとしている自分がいる。
 
次回は、本番。
私の出番である。
彼女の立派な王騎姿を写真に収め、占い師に送らなければならない。
 
「コスプレをすると決めた時は、本当にやるのかって自分に何度も問い直した。けれど、この期間、すごく楽しかった。何度も私は何やってんだって思ったけど、今はもうやるしかないって覚悟が決まったよ」
 
胸を打たれた。
 
人は、誰しも固定概念に囚われている。
私もそうだ。
 
私は長年ぢ主だった。そう「痔」。
それもなかなか大変なものを持っていたが、知り合いから聞いた痔の手術の一部始終を聞き、絶対やりたくないと思っていた。というか、人に痔だということを言うことすら考えたことがなかった。
 
大変屈辱的なポーズで、自分でも見ることの叶わない秘部を知らない人に見られるなんて……、想像しただけで背筋に鳥肌が立つ。絶対ヤダ。
 
そう思っていた私だが、期せず手術を受けようと思った。
症状が悪化したからではない。
恥ずかしさや後ろめたさ、そういったものに気を使うのに疲れたからである。
 
正々堂々と、健康な体を取り戻したい!
そうして、20年の呪縛から逃れることを決めたのだ……。
 
痔の手術はよほど症状が重いものでなければ、診察してすぐにしてもらえるものではない。1ヶ月の経過観察ののち、手術日が決められる。その診察に通う間、毎回下着を脱いで下半身をあらわにして医師を待つ。初めはすごく嫌だったが、ある時から率先して下着を脱いで診察台に横になるようになった。
 
そして、手術日当日、手術着に着替えて個室の待合室で呼ばれるのを待つ。
病院で手術を受けることが初めてなので流石に緊張したが、気持ち的には「もうどうにでもなれ」。
手術室に呼ばれ、手術台にヨガの子供のポーズのような体制で乗る。
すぐに麻酔の効果が現れその後はよく覚えていない。
 
終わった後に診察室に呼ばれていくと、見事なビフォーアフターの写真を先生が指し示してくれた。長年いたあいつは綺麗さっぱりいなくなったのだ。
 
「もう私に、後ろめたいものはない!」
 
驚くほどの晴れやかな気持ちで病院を出た。
その後も経過観察で、診察に行くたび下半身を露出する日々が続いたが、すでに壁を乗り越えたように何も思わなくなっていた。なんでもっと早く手術しなかったのか。
 
そして、さらに今までやれないでいたことへの挑戦を決意する。
 
それは、全身脱毛。
 
全身である。再び出てくる、下半身の毛という毛も、全て。
これもやはりネットで調べて断念していた。金額もだが、その施術方法にハードルを感じてできなかったのだ。
 
しかし、もう下半身の露出は慣れたもの。
再び、恥ずかしいと思ってできなかったことにチャレンジすることに。
結果はやはり、恥ずかしいものだった。
 
施術してくれるのは女性スタッフだが、「そ、そんなところまで……!」といった箇所まで容赦なく攻めてくる。
施術後も、何もない状態にすごい違和感。
 
もちろん脱毛は何度も通わなければ効果がない。1ヶ月に1度、2ヶ月に1度と、だんだんと施術スパンは長くなっていくが、少しずつ快感になってきた。
なんでもっと早く施術しなかったのか。
 
後ろめたいことがない状態は、非常に心地よい。
恥ずかしいこと、無理だと思うこと、実はそれは絶好のチャンスではないかと思う。
私にはできないと思っていること、こうあるべきだと思っていることを乗り越えることで、私たちはバッターボックスに立てる。
 
恥ずかしいことへのチャレンジは、筋トレのようなものだ。
少しずつ自分の可能性が増える。いくら能力が高い人でも、バッターボックスに立てなければ打率は0。表舞台に立つ恥ずかしさを乗り越えてこそ、いざという時立ち上がることができ、舞台に上がれる。
 
人間の尊厳を失うこととのさじ加減は必要だが、恥ずかしさ筋トレは是非おすすめである。
 
 
 

□ライターズプロフィール
石崎彩(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

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2020-04-13 | Posted in 週刊READING LIFE vol.75

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