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週刊READING LIFE vol.75

夫のソレは核シェルターなみだった《週刊READING LIFE vol.75「人には言えない、ちょっと恥ずかしい話」》


記事:武田かおる(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「熱っ!」
 
20年程前の話だ。結婚して間もない頃、私は眠気眼で朝食を準備していた。
 
陶器でできたドリッパーにフィルターを敷き、コーヒーの粉を入れ、その上からお湯を注ぐという昔ながらのやり方で、夫と私の二人分のコーヒーを淹れていたときのことだ。毎朝のことのため無意識に自動モードで動いていたので、何がどうなったのかはっきり覚えていない。だが、手元が滑ったみたいで、気がついたときには、熱湯と一緒に、熱湯がかかったコーヒーの粉が私の左手首にへばりついていた。
 
慌ててシンクの蛇口をひねり、流水で患部を冷やした。今までの経験から、しばらく冷やせば治るはずだった。だが、なかなか熱と痛みが引かなかった。
 
私の手首は赤く腫れ上がり、水ぶくれができて痛みが続いた。さらに痛すぎて手を動かすことすらままならくなった。
 
火傷した範囲が広くこんなにひどい火傷を負ったのは初めてだったので、病院に行くことにした。しかし、そのありふれた決断が運命の分かれ道になるとは、その時、想像すらしなかった。

 

 

 

「病院に行くわ」
 
「俺も一緒についていく」
 
アメリカ人の夫は私を心配した。私の父は、母が熱が出ていても看病的などしたことがない人だったので、彼の優しさが素直に嬉しかった。別の日だったら、たかが火傷ではあるが、彼の優しさに甘えて病院まで付き添ってもらったかもしれない。でも、その日だけは来てほしくなかった。というか仕事へ行ってほしかった。
 
「気持ちはありがたいけど、病院ぐらい一人で行けるから、
大丈夫だよ。ありがとう」
 
これで夫は引き下がって仕事に行くと思った。
 
しかし、夫は病院まで連れて行くと言って譲らなかった。といっても、当時、私達は車を持っていなかった。痛かったのは手だけで歩くことは普通にできたし、日本に住んでいたから一人で病院に行くこと関しては全く問題なかった。それに、その日、夫は絶対に外せない大事な仕事が入っていたのを私は知っていたからだ。
 
その仕事とは、モデルの仕事だった。夫は知人からの紹介で、副業としてモデルをやっていたのだ。
 
最初に断っておきたいが、今、おそらくこの記事を読んでおられる方は、モデルと聞いて、アルマーニとかグッチなどのデザイナーブランドに身を包んでポーズを決めている外国人ファッションモデルを想像しているかもしれない。仮にもしそうならば、その想像は今すぐ撤回してほしい。それから、私が夫の自慢話や惚気話をしようとしているわけではないということもわかってほしい。
 
確かに夫の身長は196センチでモデル並だ。ただ、体重は125キロ以上で全体的に縦も横も大きく、スキンヘッドで第一印象は厳つい。昔はアメリカ海軍の特殊部隊にいたこともあったそうだが、軍を辞めてから体重が増えたと聞いている。想像しやすいように敢えて夫を有名人に例えるとしたら、アニメーションの登場人物になるが、シュレックまたはカンフー・パンダだ。これは自他共に認めていることである。
 
その顔立ちは比較的優しく、私と話す事が多いので日本語を話す時は女性っぽい優しい話し方だ。
 
その類まれなる厳つさと優しさの両方を持ち合わせたキャラクターで勝ち取った、彼のモデルの初仕事は、日本人なら誰もが知っているであろう某ランニングシューズの広告だった。その広告は、1ページ全面に夫の顔面がアップになっているもので、とある専門雑誌に掲載された。それは、素人目から見ても、非常に目を引く面白い広告だった。
 
本人もまんざらではなさそうだった。「また、次の仕事がきたらいいね」と話してはいたが期待はしていなかった。だが、意外にも早くそのチャンスがやってきた。しかも、その仕事は大手の電機メーカーの液晶テレビの広告のモデルだったのだが、動画も撮影するということだった。
 
どこにその広告が使われるのかは聞かされていなかったが、私は彼の顔が地下鉄の広告スペースに貼り出されているのを勝手に想像した。私の妄想はとどまることを知らず、渋谷のスクランブル交差点の大型ビジョンに映る夫の様子を想像し、ニヤつきが止まらなかった。まさに、取らぬ狸の皮算用とは私のことだった。
 
そう、その2回目のモデルの撮影の日が、事もあろうに私がその火傷を負ってしまった日だったのだ。
 
私は、「病院に付きそう」と譲らない夫を説得にかかった。
 
「いつもの仕事だったら、ついてきてほしい。
でも、今日はモデルの撮影に行ってほしい。
撮影には、映像カメラマンや音響担当の方そして、
メイクやスタイリストの担当の方、広告ディレクターなどなどの多くのクルーがその日に合わせて準備している。
しかも、納品までに時間の余裕が無いことが多い。
あなたのユニークな外見ありきで広告が制作されただろうから、
簡単に代理を探すことはできない。
主役のモデルのあなたが来ないとなると、モデルエージェンシーの担当の方の顔に泥を塗ることになる。そもそも100%もう次の仕事は来ない。
私もイベント関係の仕事をしたことがあるので、わかるけど、そんな事になったときの損害や迷惑は尋常ではない」
 
と、あくまで論理的に冷静に説明した。
 
それでも、彼は一緒に病院に行くと譲らなかった。
 
私は、日本人の最終手段に出た。土下座して半泣きになって彼に頼んだ。
 
「お願いだから、撮影に行って!!」
 
しかし夫は、「ファミリー・ファーストなんだ(家族が一番大事)」と自分の意志を曲げなかった。結局、根負けした私は夫に病院に付き添ってもらうことになった。その頃には仕事をドタキャンした夫に対する苛立ちが勝って、やけどの痛みはどうでも良くなっていた。
 
これを読んでいる方に聞きたい。あなたが夫の立場だったら、どういう行動をとるだろうかと。文化の違い、価値観の違い? 私は大人で病院くらい一人で行ける。いくら家族が大事でも、社会人としての優先順位というものがあるのではないかと、夫に優しくしてもらっているにも関わらず悶々としたものが心から消えなかった。
 
会社の同僚に話をしても、私の気持ちをわかってくれる人はおらず、惚気または自慢だと思われて「ごちそうさま」と言われるだけだった。だから、それ以来、この話は誰にも話さないようにしようと心に決めた。

 

 

 

それから数年後、私達の間に子供が生まれアメリカに移住した。その後、二人目の子供が生まれた。異国での育児は予想以上に大変だった。自分が生まれ育っていない環境で子供を教育していくということは、暗闇で手探りをしているようなものだった。毎日が必死だった。次第に私の関心は子供だけになり、夫に回す気持ちの余裕がなくなっていった。数人の日本在住の友人に自分の状況を話しても同じような状況だった。だから、結婚して長くなると夫に対する愛情の形が変わり、以前とは夫婦関係が変わっていくのは特別なことのようには思えなかった。特に、私の両親が冷めた関係だったこともそう思わせたのかもしれない。だが、こういった私の態度に夫は不満を抱くようになっていった。
 
子供が成長するにつれ、育児の方法などで意見が食い違い、喧嘩になることも増えた。ちょっとしたことで夫は逆ギレし、大きな夫婦喧嘩が勃発することがしばしばあり、その時に私の気持ちが冷めたことに対する苛立ちを私にぶつけ、罵ることもあった。罵られるとますます夫に対する気持ちが冷めていった。それなのに、「結婚式で誓った言葉は嘘だったのか?」と、夫は私を責めた。結婚式では誓いの言葉を誰もが誓う。だが、その気持が一生続くかどうかなんてわからないし約束できない。文化の違い、価値観の違い、いちいち説明しないとわからない。最初は好きだったからその違いが新鮮だった。でももう、全てが面倒になった。結局のところ、自分の事を見てくれないことから、拗ねてゴネている子供にしか思えなかった。
 
どうして罵られながら、こんなところにいなくてはいけないのかと悔しくて涙したこともあった。お互いに幸せじゃないなら、もう別れるしか無いと離婚について何度も考えた。だが、夫はあれだけ私を追い詰めておいて、離婚はしないと言い張った。自分にとって家族は一番大事なもので、簡単に壊せるものではないと。さらに、夫は非常に子煩悩で、子供たちもパパのことが大好きだった。私は何をどうしていいのか分からなかった。

 

 

 

そんな時、誰かに話しを聞いてもらいたくて、日本に住む昔からの友人で夫と私の事をよく知るAさんに夫婦間の問題について聞いてもらった。Aさんは、自分と夫の性格が似てるから夫の気持ちがわかると常々私に話していた。私の言い分を一通り聞いたあとAさんは、
 
「ビル(夫)は海軍にいた時に、死と隣り合わせになるような職務もやってたって聞いたよ。そんな経験してるから家族の存在って私達が考えるよりも特別なんじゃないかな」
 
その時は、私も憤慨していたのでその言葉は私に響かなかった。私は夫の軍隊に入っていたときの事を聞いたことがない。付き合い出した頃に、あまり話したくないような素振りをしたので、それ以降は聞かないようにしていたからだ。だが最近Aさんの言葉をよく思い出すようになった。
 
それは、新型コロナウイルスが猛威を奮って、アメリカでも感染者や重傷者や死者が増えて、私達もいつ感染して重症化してもおかしくない状態に身を置いているからだ。

 

 

 

2月の中旬のことだ。
 
「もしかしたらパンデミックになるかもしれない。2週間ほどロックダウン(都市封鎖)になるかもしれないから、保存が効く食料を買っておいて」
 
夫が私に言った。その時はまだ対岸の火事のようにアジアでの様子を見ていた。だが、一度近隣都市でクラスター感染が起こると、ウイルスの感染者は日々増加していった。3月後半、州民は自宅待機を勧告され、食料や薬を買いに行く以外の不要不急な外出は自粛となった。4月になり、あっという間に州の感染者は2万人を超えた。
 
自宅待機勧告が出た後は、一緒に住む家族以外と会うこともはばかられるようになった。一緒に住む家族以外と会う場合は、2メートル程距離を開けるようにと言われている。普通の距離感で会話をしたりコミュニケーションを取れるのは家族のみになってしまったのだ。友達とも普段からよく会う夫の兄弟とももう4週間ほど会っていない。
 
ほとんどの人が感染しても軽症ですむと当初言われていた新型ウイルスだが、最近になって、健康な人の重症化の例や若年層の死亡が報告がされている。そんな中で、夫は万が一のために「遺言書」を作成すると言い出した。日本の方々からすると大げさに聞こえるかもしれないが、アメリカでは国民の8割が感染すると言われている。感染して死に至るのは僅かな確率だが、私も死を意識して物事を考えるようになった。そして、見えてきたのは自分にとって本当に大事なものだった。
……それは家族だった。
 
結婚した当時から、「ファミリー・ファースト」といい続けていた夫。私の関心が子供ばかりにいっていたときも、家族として私とも仲良くしたかっただけだ。彼の口癖は、いつも「家族が一番大切なんだ」だった。Aさんが言ったように、死と背中合わせの生活を送ったことがある夫にとって、何が一番大事かということは変わることなく一貫したものだった。
 
それに比べて私はどうだ。新婚当時のモデルの仕事ドタキャン事件の時も、目先の欲にかられて夫が家族を大切にしたいという思いを理解できずに苛ついていた。子供が生まれて環境が変わったからと言って、夫への関心が薄れ、私はそれをあからさまに態度に出していた。時々そんな私に苛立ちを見せることもあったが、夫の「家族第一主義」は変わらなかった。その信念はいかなる外敵環境にも影響しない核シェルター並の強固さだった。

 

 

 

「買い物に行くときは俺も一緒に行くから一人で行くな」
 
新型コロナウイルスが、中国から来たウイルスということで、アジア人ということで誹謗されたり暴力を受けたニュースを知り、夫が心配して私にそう言った。確かに白人が多い環境にいるからか自意識過剰か、外出した際は通りすがりの人がいつもより自分を見ているような気はしている。
 
自宅待機が基本なので、食料を買い物に行くのは2週間に1度位の頻度にしているが、その時は、ウイルスに感染する可能性も否定できないので、身が引き締まり戦場に行く兵士のような気分になる。買い物をするスーパーはいつも利用するところなので、危害を与えられることはまずないだろうとは思うけれど、夫のやや過保護な対応を素直に受け入れることにした。以前だったら、そんな夫の気遣いは鬱陶しく感じていたかもしれない。だが、私自身も新型コロナウイルスが気づかせてくれた家族の大切さをひしひしと感じながら、いつまでも続くとは限らない夫の家族を思う気持ちに感謝しながら日々を暮らしている。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
武田かおる(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

アメリカ在住。
日本を離れてから、母国語である日本語の表現の美しさや面白さを再認識する。その母国語をキープするために2019年8月から天狼院書店のライティング・ゼミに参加。同年12月より引き続きライターズ倶楽部にて書くことを学んでいる。
『ただ生きるという愛情表現』、『夢を語り続ける時、その先にあるもの』、2作品で天狼院メディアグランプリ1位を獲得。

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2020-04-13 | Posted in 週刊READING LIFE vol.75

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