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週刊READING LIFE vol.76

仕事はあなたのすべてじゃない《週刊READING LIFE vol.76「私の働き方改革~「働く」のその先へ~」》


記事:東ゆか(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「 Je ne veux jamais travailler au japon」
 
ブラジル人の女の子にそう言われた。
それはパリの語学学校で、フランス人の先生から、日本人には何日のバカンスがあるの? という質問をされたときだった。
 
1年ごとに与えられる10日間程度の有給休暇があるが、連続して取得できるものではない。バカンスとは学生の春休みや夏休みのように、連続する休暇のことをいうのだ。そうなると、働く日本人にバカンスはない。日本人の有給取得率は先進国の中でも最下位だ。そんな状況で、連続して休暇を取れるような立場にいる人はごく限られているはずだ。
 
私は日本人を代表して「バカンスはない」と答えた。世界各国から来た生徒たちの「嘘だろ?」というどよめきが聞こえた。「でも日本は祝日が多いから……」と苦し紛れの祖国へのフォローを遮って放たれたのが、ブラジル人の女の子のこの言葉だった。
 
「 Je ne veux jamais travailler au japon」
「絶対に日本で働きたくない」

 

 

 

フランスはバカンス国として世界で最も有名で、法律で5週間のバカンスが義務付けられている。他の国もフランスほどではないが、1週間や2週間と、少なくとも日本よりはまとまった休暇が取得できるようであった。
なぜ日本人の休暇に関する考え方は他の国とこんなにも違うのだろうか。また考え方が違うのは休暇に対してだけだろうか。
バカンスのない国・日本と、バカンス大国・フランスを例にとって、働くことについて比べてみたいと思う。
 
 
日本にバカンスの習慣がない理由は、日本人特有の「頑張る」ことが尊ばれる文化にあると思う。
日本人は真面目で働きものだ。「24時間がんばれますか?」「風邪でも、絶対休めないあなたへ」
という栄養ドリンクや市販の風邪薬のキャッチフレーズに聞き覚えがある。
24時間ずっと頑張る必要はないし、風邪のときには休んだほうがいい。それなのにそういうCMは日本人の共感を得ているし、励まされている人もいるのではないだろうか。
私達はより長い時間働くことに美徳を感じてはいないだろうか。休息は悪、とまではいかないが「十分な休息」という言葉の裏には「怠け」という非難が潜んでいるような気がする。
 
また、日本人が美徳を感じるスイートスポットに「無理を押してでも」という感性があると思う。
日本人は「苦労」や「努力」という言葉が好きな国民だ。スポーツに例えるなら、骨折していても試合に出たり、高校球児が肘の違和感を感じながらも投球を続けたり。そんな苦労と努力の話が美談となる。果ては鬼コーチの厳しい罵倒や指導に耐えるマゾヒスティックなエピソードにも、なんの抵抗も抱かないどころか、師弟愛として感動する人たちも多い。日本人の「頑張る」という言葉には「辛いことに耐える」という意味が内在されている。仕事を頑張る。そのためには休暇(バカンス)なんてもってのほかだろう。
 
それに対してフランス語には日本語の「頑張る」の意味に相当する言葉がない。代わりにもっと具体的に「Beaucoup travailler」という言葉を使う。「Beaucoup(たくさん)」「 travailler(働く)」直訳すると「たくさん働く」というという意味である。「travailler」は働くこと以外にも、勉強や何かを習得するときにも使われる。広く解釈すると「その人がやるべきこと」のようなニュアンスだ。そうなると「Beaucoup travailler」は「やるべきことをしっかりやる」といったところだろうか。日本語の「頑張る」のように「辛いことに耐える」ようなニュアンスは含まない。
 
日本のこの「頑張る」文化が顕著に表れるのは残業だ。
「残業をするぐらい頑張っていて偉い」「あの人は残業もせずにいつもさっさと帰って……」残業をするかどうかを本人のやる気のバロメーターと捉えるところがないだろうか。その日の仕事が終わずに居残りをしなければならないのは、個人にとっても組織にとっても全く生産的ではないはずだ。しかし、残業は自分自身や同僚たちに対して頑張りをアピールするものになっている。
それにこれもおかしなことだが、自分の仕事が終わっても、上司がまだ仕事をしている場合は、帰りづらい雰囲気がある。「上司は頑張っているのに、これでは私が頑張っていないみたいじゃないか」と気まずく思ってしまうのである。
 
対してフランス人は、絶対に残業はしない。定時の時間がきたら多少仕事が残っていても、上司がまだ会社にいたとしても、仕事を切り上げる。彼らは仕事よりも、仲間や家族と過ごす時間や、趣味に打ち込む時間を大切にするのだ。人生にとって大切にしたい時間は何か。大切にしたいものは何か。彼らはそれを見極めている。フランス人にとって働くことは、あくまで生きるための手段でしかないのだ。
 
これをひしひしと感じたのは、2019年12月からクリスマスをはさんだ50日間以上にわたって行われた、年金制度改革に反対するデモ・ストライキである。フランスは年金の満額支給が開始される年が定年退職となる年である。もともと他の職種よりも早期に定年を迎えることができる職業に就いていた人たちが、数年の定年の引き伸ばしを決める法律に対して強固に反対したのだ。
フランス人の「僕たちはそんなに働きたくない!」「定年退職後に人生を楽しむ権利を守る!」という主張が噴出したストライキだった。
 
フランス人、とりわけパリで暮らす人達には、定年後に明確な楽しみがあるようだ。定年後はパリの家を売り払い、田舎の家で悠々自適に過ごすのが夢という人も多いし、すでにそのような生活を送っているムッシュやマダムにも出会った。
彼らは自宅に友人を招き、ゆっくりと食事の時間を楽しんだり、ガーデニングや自宅のリノベショーンにチャレンジしてみたりと、引退後の生活は楽しく充実している。それを楽しみに現役生活を送る人も少なくないようだ。
 
 
では多くの日本人は人生と仕事をどのように捉えているのだろうか。日本人は仕事好きが高じて、働くことに生きがいを求める人が多い印象だ。それはフランス人の「生きるために働く」とは正反対の考え方だ。日本人は働くために生きている。人生を精神的にも物理的にも働くことに注力しすぎではないだろうか。
会社勤めをしていたころは仕事の人間関係が中心だったが、退職後は友達がおらず寂しい思いをするなんていう人の話を耳にする。働くために生きていた人たちが、働くことを取り上げられてしまい、時間を持て余してしまうらしい。せっかくの自由な時間を「持て余す」なんて寂しい扱いをしないでいただきたい。
 
またここ数年、年金の支給年齢がどんどん引き上げられている。それに伴い、70歳雇用を政府が企業に求めたりと、日本人は老いた後も働くという状況から逃れることはできないようだ。
 
そんなこと、私は死んでも嫌なのだが、なぜか不思議と「そんなのは嫌です」という声をあまり表立って聞かない。
それは私達日本人にとって「労働は素晴らしい」という洗脳があるからだと思う。「働きたくありません」と言うのは怠け者の証だ。その人がちゃんと職に就いて働いていたとしても、そんなことを言えば軽蔑されるだろう。そんな思想をもつことが許されない。甘えだ。社会から出ていけ! という圧力すら感じる。
 
確かに働くことは素晴らしいが、何度も言うようにそれが人生の全てではないはずだ。
仲間や恋人や家族と楽しい時間を過ごす。旅行にでかけていろいろな風景を見る。心が踊るような経験をなるべく多くする。これだって、人生を豊かにする大切な要素のはずだ。
 
もちろん日本人の「仕事好き」には良い面もある。
それは日本人が自分の仕事に対してプライドを持っていることだ。給料がそれほどよくないであろうスーパーやコンビニの店員さんでさえも、笑顔で丁寧な接客をしてくれる。それは彼らが自分の仕事にプライドを持っているからだろう。
それに対してフランスをはじめ、ヨーロッパのスーパーの店員さんには、感じのよくない人がたくさんいる(もちろん感じの良い人もいるのだが)。「接客=笑顔」の日本人からしたら信じられないことだ。しかし、現地の人達は「彼らはお給料が少ないからそんな態度でも仕方がないのよ」という見方をするらしい。なるほど。客側も期待していないということだ。
 
これは良い話でも、悪い話でもあるような気がする。
「少ないお給料しかもらえないけど、プライドがあるから頑張る」という人が大半を占めていると、「少ないお給料しかもらえないことに納得していない。笑顔で接客なんてする必要はないと思う」という人がいてもおかしくはない。それに、その考え方が間違っているとは言い切れない。しかしそういう態度を取っていれば、単に怠け者で、やる気のない人という扱いをされてしまう。大事な労働条件である給料の問題はおざなりになってしまうのだ。「嫌なら職場を去れ」と言われてしまうだろう。
多くの人が仕事にプライドを持つことが当たり前になると、そうできない場合、居づらい思いをするし、ひどい場合は「不適合」という烙印まで押されてしまう。プライドなんて、持てと言われて持てるものでもないだろう。
 
日本人はあまりにも仕事をすることを尊びすぎているし、「頑張る」ことを頑張り過ぎだ。しかしきっと、自分の人生を充実させるために一生懸命にしていることなのだと思う。その上で問いたい。人生には働くこと以外にも、他に大切なことがあるのではないか。
それでもやっぱりバリバリと仕事を頑張りたい人もいるだろう。しかし、実はそうではないという人も少なからずいるはずだ。
 
昨今、多様性という言葉をよく耳にする。働くことに対する考え方にも、もっと多様性があってもよいのではないかと思う。
そのためにはまず社会全体が「人生は働くためにあるわけではない」ということを受け入れるべきではないだろうか。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
東ゆか(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

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2020-04-20 | Posted in 週刊READING LIFE vol.76

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