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週刊READING LIFE vol.76

その一つの作業が世界に繋がっている《週刊READING LIFE vol.76「私の働き方改革~「働く」のその先へ~」》


記事:丸山ゆり(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 

「はい、このインボイス、よろしくね」
 
毎日、担当の営業マンから、輸出用の書類を受け取ることから私の仕事は始まっていた。
 
1984年、大阪の短大を卒業後、私は同じく大阪の中堅商社に就職した。
そもそも、商社を選んだ理由は短大時代の親友のススメだった。
特に就職先に希望もなく、うだうだと就活をしていた私を見かね、親友は自分の希望である商社のことを熱く語ってくれたのだ。
 
「商社って、世界を相手に商売するんよ。壮大やと思わへん?やりがいあると思わへん?」
 
その熱意に私もいつしか、商社の世界観にあこがれていったのだ。
元々は、繊維問屋だったその会社は、その当時も繊維部門が圧倒的に成績を上げている会社だった。
私は、入社当初は経理部門に配属され、その後は総務を経て、入社7年目には貿易部門への配属となった。
 
1980年代後半といえば、言わずとも知れたバブル全盛期。
20歳そこらの私が、相当な給料や賞与を手にしていた。
「華金(はなきん)」という言葉も生まれ、週休二日制の会社では、金曜日の夜は特別羽目を外して遊べる日となっていた。
友だちとは、おしゃれなレストランで食事をして、その後はホテルのバーに飲みに行って。
会社の上司、同僚とは、ちょっとおしゃれな居酒屋で食べてから、二軒、三軒とハシゴするのが当たり前となっていた。
 
若さもあったのだろう、週に2~3回の午前様も体力的には、全く大丈夫だった。
部署での接待、交際費も気兼ねなく使え、福利厚生費は充実し、賞与は年に3回出た年もあった。
あの頃、10000円をまるで1000円のように使っていたように思う。
夏休みには、海外旅行、そしてブランド物のお買い物と、やりたい放題の時代だった。
 
そんな華やかなOL時代、大きな組織の中で、私に任された仕事は大きな流れの中の一端だった。
男性営業マンがとってきた仕事を売り上げ、必要な書類を作成し上司に確認をとる。
時に、営業マンの出張の清算をし、接待ゴルフの予約や手配などの雑用もあった。
毎月のルーティングワークがほぼほぼ決まっていた。
慣れてしまえば、とくに難しいこともなく、誰にでもこなせるような内容だった。
そんな仕事を私は気に入っていて、日々、問題なく、むしろ楽しくやっていた。
 
ちょうどそのころだった。
 
「とらばーゆ」という雑誌が創刊され、言葉が世に出て来た。
 
「とらばーゆする」とは、「転職する」という意味であった。
 
同期の友だちも、そんな雑誌を手にして、目を輝かせていた。
私のように、ルーティングワークや営業マンの補佐を楽しいと思える者ばかりではなかった。
仕事にやりがいや、自分の可能性を活かしたいという熱意を抱いている友だちもいたのだ。
営業をやりたくて入社したのに、配属された部署が情報システム関連だったりした同期は、会社を辞めて別の道へと軌道修正していたりもした。
 
それに、私が入社した後、「男女雇用機会均等法」というものが出来た。
それまでは、いわゆる女子社員は、お茶くみ、コピー取り、といったようなイメージがまだ残っていた時代だった。
それを嫌う友だちも周りには多くいたのも確かだ。
女性が、それぞれが持っている本来の力を、存分に発揮してもいいのだと認め始められた頃だった。
私自身、正直お給料をもらっている就業時間中のことは、すべて仕事と割り切れたのだった。
これは、やりがいがある仕事、これは、やりたくない仕事という概念は全くなかった。
お茶くみも、コピー取りも、おつかいも、イヤな顔一つせずやっていた。
 
ただ、大きな組織の中での自分の仕事って、一体何の役に立っているんだろう?
自分は何をやっているんだろう?
そんな思いがふとよぎるときもあった。
それでも、日々の仕事は回ってくるし、やることはたくさんあるし、そこに考えを置いておく時間はなく毎日を送っていた。
細かい説明を聞く時間もないし、とにかく言われたことを期日までにこなすことが精いっぱいだったのも正直なところだ。
 
私が当時やっていた仕事の一つに、原糸のボビンの回収というのが定期的にあった。
原料としての糸を輸出する際、ボビンに巻いて出すのだが、その後のボビンは回収してメーカーに返すのだ。
それはそれで、回収することで収益が立つのだけれど、最初はピンとこなかった。
ミシンを使ったことがあればお分かりだと思うが、ミシンの内部に糸を巻いてセットした、あの小さな丸いボビン。
 
「ボビンねえ」
 
あれを、難しく考えることなく、そのまま映像として想像していた。
 
ある日、私は家のすぐそばを通る国道沿いを歩いていた時のことだ。
ふと車道に目をやると、大きなトラックの荷台に、何やら大きな木製箱が載せられて走ってゆくのが見えた。
そこには、ボビンという文字がはっきりと見えたのだ。
 
「ボビン、あのボビンね!」、ふと頭にひらめいた。
 
その国道は、神戸の港にも通じていて、そこから大阪へと運ばれて行ったのだろう。
あまりにも大きなトラックに、大量に積まれていたので、一瞬は何かわからなかったのだ。
でも、確かにボビンと書かれている。
 
「どこの国から返って来たんだろうか?」
 
「いや、どこかの繊維メーカーへと運んで、これから輸出するのかもしれない」
 
ボビンは糸を輸出したら、また戻ってくるから。
あのトラックの荷台に乗せられていた、大きな箱に書かれたボビンの文字を目にしたとき、私はこれまで自分がやってきた仕事になんだか誇りが持てるようになった。
嬉しくて、誇らしい思いがじわっと身体の中からわいてくるのがわかった。
今、自分がやっている大きな組織の中での小さな作業。
それでも、その一つは、必ずやその先の大きな仕事に繋がっているのだと確信できたのだ。
私が何度も書いた、あの貿易書類があるからこそ、こんな大きなトラックでボビンが動いているんだ。
そう、今やっているあなたの、その作業がなければ、会社という組織の中ではすべてのことは成り立たないことばかり。
 
今、自分がやっている作業一つは、一見地味で面白みがないように思えても、その先には壮大なプロジェクトが完成しているはずだ。
そんなふうに思うと、日々の小さな業務も大切に丁寧にできるのではないだろうか。
 
華やかで、クリエイティブなことだけが仕事ではなくて、一つひとつは地味で小さなことの方が多いもの。
そんな作業が合わさって、その先の壮大なプロジェクトを成功へと導いているのではないだろうか。
そう思うと、どんな作業もいとおしく、やりがいを感じられるものだ。

 
 
 
 

□ライターズプロフィール
丸山ゆり(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

関西初のやましたひでこ<公認>断捨離トレーナー。
カルチャーセンター10か所以上、延べ100回以上断捨離講座で講師を務める。
地元の公共団体での断捨離講座、国内外の企業の研修でセミナーを行う。
1963年兵庫県西宮市生まれ。短大卒業後、商社に勤務した後、結婚。ごく普通の主婦として家事に専念している時に、断捨離に出会う。自分とモノとの今の関係性を問う発想に感銘を受けて、断捨離を通して、身近な人から笑顔にしていくことを開始。片づけの苦手な人を片づけ好きにさせるレッスンに定評あり。部屋を片づけるだけでなく、心地よく暮らせて、機能的な収納術を提案している。モットーは、断捨離で「エレガントな女性に」。
2013年1月断捨離提唱者やましたひでこより第1期公認トレーナーと認定される。
整理・収納アドバイザー1級。

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2020-04-20 | Posted in 週刊READING LIFE vol.76

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