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週刊READING LIFE vol.76

なんとなくの風に吹かれて-激務で働いた女性会計士が専業主婦で子育てして気づいたたった一つの真実《週刊READING LIFE vol.76「私の働き方改革~「働く」のその先へ~」》


記事:浦部光俊(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 

「ねぇねぇ、理沙ちゃんって、会計士なんだよね。なんで働いてないの」
 
せっかく勉強して、立派な資格持ってるのに、もったいないじゃん。
 
その質問だけは…… 今まで避けてきた話題。気のきいた返事ができない自分がもどかしい。
 
今日は娘の幼稚園のママ友達とランチ。運動会のリレー、最高だったよね、全力で頑張る子供達、それを応援する先生と私たち。最後にはみんなで大泣きしちゃったね、なんて感慨に浸っている時、ママ友の一人が、ずっと気になっていたんだけど、と切り出した。
 
なんとなく…… かな、そう答えた時、以前、どこで同じような返事をしたシーンがよみがえってきた。あれは、なんだっけ…… そうそう、あれは……
 
「なんとなく」
 
どうして公認会計士という職業を選んだのか、結婚して間もないころ、夫にそう聞かれたとき、理沙はそう答えるしかなかった。そう、本当になんとなく、なのだ。
 
もちろん心当たりがないわけではない。大学3年生のとき、ITバブルが崩壊、企業はいっせいに新入社員の採用を絞り始めた。就職活動をひかえ、友人達と話し合った。
 
「やっぱり資格だろ」 一人がそう意気込んだ。どうせやるなら、少しハードルが高いほうがやりがいあるよな、司法試験とか公認会計士とか。
 
「ステータスもあるし、お金だって稼げるしね」 彼女の父親は会計士。確かに羽振りはよさそうだ。
 
そんなやりとりを聞きながら、文字ばかりの法律よりも、数字が絡むほうが私向けかな、なんてぼんやりと考えていた。
 
会計士の仕事の内容を知らなかったといったら嘘になる。受験専門学校でたくさんの資料を読んできた。いいことばかり書いてあるんだろうな、割り引いて考えても、その仕事内容に魅力を感じたのは事実だ。
 
「でも、どれも決定的なものじゃないんだよね」
 
そう答えた時、夫は唖然としてたっけ。専門家のプライドとかを期待していたのかもしれない。それでも言葉にしろと言われたら、働かないという選択肢はないし、どうせやるなら、たくさんお金がもらえるほうがいい。みんな仕事を選ぶときなんてそんなもんでしょ、といったところか。専門家だからって働く理由なんてほかの人たちと大して変わらない。みんな働くから、働くのだ。
 
「帰りが遅いのはいつものことだけどさ」
 
夫に愚痴っていたのが懐かしい。
 
やれマニュアルだ、今度はチェックリストだと、形式的な仕事ばっかり。この仕事ってほんとに必要なの? それとも自分の理解力が足りないせい? なんて思ってもやらないことには帰れない…… ブツブツ、ブツブツ。
 
それにつけても、会計監査という仕事は歓迎されないことが多い。クライアント会社の損益計算書、貸借対照表などがルールに基づいて作られているかを調べるというのは公認会計士だけに許された仕事。誇り高き孤高の戦士、市場経済の番人といえば聞こえはいいが、表面上は単に他人の仕事のミスを探すという仕事にしか見られない。
 
「そんな仕事していて、楽しいですか」
 
お客さんの無邪気な一言に心をえぐられたこともある。
 
それに加えて専門家として常に勉強してないといけないというのも心が重い。クライアントのほうがよく知ってるなんてことはあってはならない。
 
「損切りしないといけませんね」
 
こんな修羅場では、会社側も相当対策を練ってくる。単にルールを知っているということではなく、ルールの意義まで腹落ちしていないと相手を説得できない。これも自分の勉強不足が原因かと言われたら辛いところなのだが……
 
自分は、いつからこんなネガティブになったんだろうか。考えてみると、会計士としての仕事がすべて嫌だったわけではない。おもしろいこともたくさんあった。いろんな会社に関わって、会計や監査の話だけでなく、会社がどうやって儲けているか、どうやって運営しているかを知ることができた。
 
特に印象に残っているのは、企業向けソフトウェア開発をしている会社。地元ではかなり名の知られた会社で、“すごい”会社、働いている人たちも“すごい”人なんだと勝手に想像していたが、実際に関わってみると意外な発見があった。
 
「会社って、普通の人たちがぎりぎりのところで頑張ってるんだ」
 
その後、たくさんの会社を見て回ったが、大企業でも規模の小さいベンチャーでも、どの会社もそんなに変わらない。普通の人たちがみんなで頑張って回している。一つの会社だけの経験だと、自分の会社でやっていることが当たり前。それだけで判断して、うちの会社はいいとか、悪いとか、そんな風に感じてしまっただろう。苦しいとか辛いとか思ったりするのは自分だけじゃない、会社ってそういうものなんだ、といい意味で開き直れた。
 
「本当に、助けてもらってありがとうございました」
 
そう言ってもらえた時のことは、今も忘れられない。アドバイスができたり、ちょっとでも役に立てたり、みんなで頑張っている会社の一員になれたみたいで、素直にうれしかった。
ミスを見つけるだけじゃない、自分もお客さんと一緒に成長できた、そう感じられた瞬間だった……
 
「それにしても、S先生って、本当に子供のこと、大好きだよね」
 
ママ友の一人に声をかけられ我に返った。そう、S先生、本当に子供が大好きなのだ。やっぱり思い出すのは運動会のリレー。ダントツ最下位チームのアンカーの男の子。悔しいのと恥ずかしいので大泣き。でも最後まで頑張ってゴール。S先生、その子をぎゅっと抱きしめて大泣きしてたよね、見てたらこっちまで泣けちゃったね、なんて、みんなで大笑い。
 
「私たちも相当、子供のこと、好きだけどね」
 
誰かの発言に全員がしげしげと頷く。そう、私も子供のことが大好きなのだ。自分でも驚くほど大好きなのだ。
 
次女の出産を機に仕事を辞めた。長女だけの時は、保育園に預けながら働いていたが、二人目が生まれ、仕事との両立が難しくなったと感じ始めた。いや、違う。自分の気持ちの整理ができていなかったんだろう。
 
「じゃあ、ママ、いってらっしゃい」
 
保育士さんと一緒に手を振る子供に後ろ髪を引かれる思いだった。専業主婦でいつもずっと一緒にいてくれた母親の影響もあったんだと思う。子供に淋しい思いをさせているんじゃないか、子供じゃなくて、自分を優先していいのか、そんな疑問がいつも頭の片隅にあった。
 
とは言え、思い切って子育てに専念して気持ちがスッキリしたかと言われたら、そうでもないところが私らしい。やはりモヤモヤ感がぬぐえない。
 
働かざる者食うべからず。
 
心の中でどこか引け目を感じてしまう自分がいる。私って、コンビニの学生バイトより価値が低いのかな、的外れなことだとわかっていても、そんなことを感じてしまうのだ。
 
働いているときは、給料とかボーナス、上司の評価っていうわかりやすい指標があった。だけど家事や育児っていうのは、結果が見えないというか。毎日が当たり前に過ぎていくことが素晴らしいこと、頭では分かっていても、自分を納得させるのが難しい。
 
ただ、毎日ニコニコと楽しそうに過ごしている子供達をみていると、そんな気持ちも薄らぐのは確か。
 
働いていた時はいつも明日のことを気にしてる自分がいたっけ……
 
はしゃぎ回って遊んでいるけど、明日体調崩したらどうしよう。仕事休めないし、急に不安になって途中で切り上げるなんてこともよくあった。
 
いざとなったら学校も幼稚園も休めばいいや、今はそんな風に思える。これを余裕というのだろうか。そして、きっとそんな私の気持ちが伝播するのか、子供達の表情も生き生きとしているよう。休日もしっかり満喫できるし、平日でも習い事に連れて行ってあげられたり、練習をみてあげたり、子供のやりたいことを中心におく余裕がある。私も子供も、ハッピーづくしだ。
 
「こんなにも、子供のことに一生懸命になれるんだ」
 
なんとなくで始まった専業主婦という世界。周囲のママ友や先生達に圧倒されたり感心したり。一緒に時間を過ごすうち、気づいてみたら自分もすっかりその一員。今までは知らなかった自分の一面を発見できた。
 
「でもさ、こうやってガッツリ子育てってのも、あと一年だね。私たち、幼稚園ロスになっちゃうね」
 
ははは、誰かの発言に全員で笑いながらも、どこかに寂しさがよぎる。そう、こんな風に過ごせる時間もあと少し。家事、育児といった時間はとても貴重なもの。本当にいい経験だった。もう一度、人生をやりなおせるとしても、同じことをするだろう。後悔どころか、感謝の気持ちでいっぱいだ。ただ、だんだんと子供が手を離れていく今、私の価値って何だろうって感じてしまう。
 
働きたい……
 
理彩ちゃんは、どうするの、そう聞かれた時、素直にそう思えた自分に驚いた。
 
「だって、やっぱり人の中にいたいから」
 
なぜだろうと、自分の気持ちを探ってみるとそんな答えが返ってきた。そうなのだ、自分が今までおもしろいと感じた時、知らなかったことを見つけられた時、いつも自分は人の中にいた。大切なことはいつも誰かが教えてくれた。仕事も育児もそういう意味では一つの舞台にすぎないんだろう。その中に飛び込んで一生懸命やってみる。そうすれば、きっとまた、おもしろいもの、すてきなものに出会えるはず。
 
「今度はもう少し自分らしく働いてみたいな」
 
監査する側でなく、監査を受ける側になってみてもいい。最近は社内フリーランスのような制度もあるし。自分で会社を始めてみるってのもいいのかも。まだ形は見えないけれど、自分らしいスタイル、なにがフィットするのか探してみたい。そんな時、きっと会計士という資格は役に立つ。
 
だからといって、家族との時間を犠牲にするのはあり得ない。働き始めたら子供を学童に入れたり、一人で留守番させることになるかもしれない。でも、やっぱり子供のことを中心に考えたい。周りがどうとか、そういうことじゃなくて、自分は子供と触れあいたい。夕飯の準備には間に合うように帰りたいし、習い事のために時間を取ってあげたい。病気の時には休んであげたい。
 
そんな風に自分らしく働きたい、いや自分らしく生きてみたい、なんとなくそういうことなのかな、理彩は自然と微笑んでいる自分に気がついた。頬に感じた春の風にふと顔をあげると、桜が咲き始めていた。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
浦部光俊(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

語学力を生かしたいとの思いから、貿易関係の会社に就職するも、約2ヶ月で退職。その後、米国公認会計士試験に合格し大手監査法人へ転職。上場企業の監査から、ベンチャー企業のサポートまで幅広く経験する。
約8年の経験を積んだ後、より国際的な経験をもとめ、フランス系金融機関に転職。証券、銀行両部門の経理部長して、様々なプロジェクトに関わる。
現在は、フリーランスの会計コンサルタント。テーマは、より自由に働いて、より顧客に寄り添って。

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2020-04-20 | Posted in 週刊READING LIFE vol.76

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