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週刊READING LIFE vol,109

マフラーに包むのは、大切な人への想い《週刊READING LIFE vol.109「マフラー」》


2020/12/31/公開
記事:今村真緒(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
ちょっと健気で、くすぐったい思い出。
マフラーと言えば、懐かしい想いがよぎる。
 
27歳の年の瀬を、私は病室で過ごしていた。
年末にかけて退院していく人が多い中、手術して間もない私は、年末年始を病院で過ごすこととなってしまった。
話し相手は、専ら年の近い、隣の病室の主婦の方だった。
結婚して幼い子供がいるという隣室の住人は、家庭生活のことを面白おかしく話してくれる人だった。
来年あたりには結婚するつもりだった私は、興味津々で話を聞いていた。
家庭内の出来事、夫婦の会話、可愛らしい子どもの話、嫁姑問題など。
結婚って、二人だけの問題じゃなくなるんだよね。
そんな話を聞きながら、もうすぐ自分にもそんなことが分かる日が来るのかと、期待と不安が入り混じるような気持ちに襲われた。
 
私が受けたのは、卵巣の手術だった。
たまたま仕事中に椅子から立ち上がった時、痛みのあまり動けなくなってしまったのだ。
元々、腰を痛めての入院だったのに、精密検査をした結果、卵巣嚢腫が見つかってしまった。
入院していたのは外科だったため、退院後婦人科に行くことになった。
結婚もしていないのに、婦人科に行くのは敷居が高い。
緊張して受けた婦人科の診察。
女性の医師は、もし卵巣が捻転すると激痛を伴って大変なことになると私に告げた。
かなり大きく腫れあがっているので、これ以上育つ前に手術は必須だと言う。
そう言えば、下腹部がたんこぶのようにぽっこりしていた。
痛みがなかったために、単純にちょっと太ってしまったのだと勘違いしていたのだ。
 
私は、怖がりだ。
激痛で大変って、どうなるの?
不安ばかりが広がった。
ひょっとして卵巣を摘出しなくてはならなくなるのだろうか?
卵巣は二つあるから、一つ摘出したとしても、もう一つは温存できるかもしれないけれど。
でも、もしそうでなかったら?
知識が無いのも相まって、悪い方向へと想像が加速していく。
 
将来の夫となる彼と、結婚しようと約束したばかりだ。
彼の母は、孫を楽しみにしているようだから、もし子供が産めなくなったらがっかりさせるのではないだろうか。
そして何より、自分が子どもを産めない体になることを恐れていた。
もちろん、子どもを産むことイコール女性の価値ではない。
頭では理解していても、どこか引け目のようなものが私を支配していた。
 
彼に病のことを告げるときの緊張度合は、私の人生の中でベスト3に入るほどだった。
彼の反応が怖かった。
結婚後の生活に影を落とすことになりはしないだろうか?
そもそも、彼がこのことで結婚に難色を示しはしないだろうか?
彼は子供好きだ。
二人だけではなく、子どものいる家庭を思い描いているはずだ。
 
キリキリと胃が痛くなりながら、彼の目を真っすぐに見ることができずに話をした。
まだどうなるか分からないけれど、と前置きをしながら。
 
彼の反応は、あっけなかった。
しっかり診てもらって、早く手術を受けるべきだ。
何も心配することはない、と。
 
拍子抜けした私は、矢継ぎ早に彼に質問した。
もし、卵巣の状態が思っているよりも悪かったら?
もし、手術してもどうにもならなかったら?
子どもが産めなくなったら?
それでも、私と結婚するのか?
 
最後の質問が、一番聞くのが怖かったことだ。
 
「大丈夫」
彼は一言そう言った。
 
「その時は、その時。心配ばかりしないで、まずは治すことを考えよう。結婚をやめるつもりはないよ」
 
緊張で、張りつめていた糸が弾けた。
涙と鼻水でドロドロになりながら、自分でも何を言っているのか分からなかった。
とにかく、そう言ってくれた彼に感謝でいっぱいになり、一生懸命にその想いを伝えようとしていたことは覚えている。
 
手術の日は、クリスマスの前あたりになった。
手術日まで安静にしておかなくてはならなくなったため、病室ではひたすら横になっていた。
何かの拍子で卵巣が捻転することを恐れていた私は、看護師さんの教えをひたすら守り、患者の模範のような生活をしていた。
 
そんな中で、私はひそかに入院前に準備していたことがあった。
今年のクリスマスプレゼントに、彼にマフラーを編み始めていたのだ。
不器用な私は、それまで編み物を完成させたことがなかった。
マフラーは、編み物の中でも比較的簡単な部類だと思う。
真っ直ぐに、ある程度長く編んでいけばいいだけだ。
それなのに、編むたびに私は四苦八苦していた。
どうやっても網目が減っていくらしく、編めば編むほど形が先細りになってしまうのだ。
自己流でやっても完成は難しい。
編み物の本も見ても、よく理解できなかった。
私よりも器用で、編み物にハマっていた妹に助けを求めた。
まさか入院することになるとは思わず、秋ごろからこっそり妹に編み方を教わっていたのだ。
 
どうせ安静にしておかなくてはならないようならば、マフラーを編んで過ごそう。
入院用の荷物に、作りかけのマフラーを忍ばせた。
彼は渋めの色合いが好きだから、黒とグレーのミックス糸を選んだ。
これなら、着るものを選ばずに巻けるだろう。
あとは、私の腕次第だけど。
仕事終わりに見舞いに来てくれる彼に感づかれないように、昼間に一生懸命に編んだ。
器用ではないけれど、やる気だけはあったので、珍しく根気を発揮した。
看護師さんたちから、彼氏にあげるの?と冷やかされながらも黙々と編んだ。
マフラー完成まで、あと少し。
必死に編んだものの、手術日までには間に合いそうもなかった。
クリスマスプレゼントが、歳を越してしまいそうだ。
 
クリスマスにはケーキを食べられないだろうからと、彼がショートケーキを買ってきてくれた。
私が好きないちごのショートケーキだ。
クリスマスケーキの代わりね。
気分だけね。
そう笑い合いながら、一緒にケーキを食べた。
 
手術の前日、よく眠れるようにと安定剤を飲んだ。
ところが翌朝。
薬が効きすぎたのか、お手洗いに行こうとベッドを降りた私は、真っ直ぐに歩けないほど血圧が低下していた。
視界が歪む。
血圧が戻らなければ、手術はお預けになる。
倒れそうになりながら、もし転んだ拍子に卵巣が捻転したらどうしようと妙に気がかりだった。
それでなくとも、人生初手術だ。
気が高ぶっていた私は、どうなることかと心細くなった。
 
看護師さんが処置をしてくれたおかげで、無事手術へと漕ぎつけた。
今でも、脊髄に麻酔を打つ感覚が忘れられない。
何とも言えない痛さと気持ち悪さ。
20年以上経った今でも覚えているほどだ。
 
気が付くと、白い天井が見えた。
手術は、いつの間にか終了していた。
これからは、変な話だが「おなら」が出るまでは食事ができない。
ベッドにくくりつけられたまま、動くこともできない。
白い天井にある、無数の模様を数えるくらいしかできないのだ。
 
改めて、口からものが食べられることの有り難さが身に沁みた。
点滴で栄養をとってはいても、実感がないのだ。
口から食物を入れてこそ、生きる活力が湧いてくることを実感した。
ようやく「おなら」が出て、重湯から食事がスタートしたが、徐々に出されるものがおかゆ状となり、白米が食べられた時は何だか感慨深かった。
ご飯って凄いんだな。
手術して分かったことが、また一つ増えた。
 
食事ができるようになって体力が戻ってくると共に、少しずつ体を動かし始めた。
捻転の恐怖がなくなったため院内を歩き回ってみたり、隣室の住人との談話室でのおしゃべりができるようになったりと、退院に向けて私の日常が動き始めた。
 
卵巣の摘出は免れた。
結果的に、悪い部分の切除だけで済んだのだ。
術後、卵巣の機能的には全く問題がないと先生に説明されたときは、心底ほっとした。
 
早く、このことを彼に伝えたい。
その時に、遅くなったけどクリスマスプレゼントだと言ってマフラーを渡そう。
彼が今度来るまでに、マフラーを仕上げなければ。
私は決めていた長さまでに、あと数センチとなったマフラーに再び取り掛かった。
 
今とは違い、携帯電話も普及していない。
手術前に会ったときに、次に来ることができるのは年が明けてからだと聞いていた。
あとは、両端に房を付ければ出来上がり。
房を同じ長さに切り揃えると、ようやくマフラーが完成した。
 
仕事始めの帰りに、彼は病院にやってきた。
病室の外は、日が暮れて寒々とした色をしていた。
「外は寒いよ。ここは天国だね」
縮めた背中を伸ばしながら、彼は病室に入ってくるなりそう言った。
 
病院で、元旦におせち料理っぽい食事が出されたことに驚いたこと。
家族が、一緒にお正月を過ごせなかったからと言って、おせち料理をお重に詰めてきてくれたこと。
隣室の主婦との話題。
「おなら」が出なければ、普通の食事にありつけなかったこと。
やっぱりご飯は最強だと思ったこと。
会えなかった間の、別にどうでもいいけれど、ちょっとした病院での出来事を話していく。
 
「……術後検査の結果なんだけど」
しばらくして、伝えたかったことをようやく切り出した。
 
「ほら、心配しなくてもよかったやろ?」
彼は、笑顔でそう言った。
あまりにも曇りのないその顔を見ると、つられて私も笑顔になった。
 
「あの、これ」
ベッドの横の棚から、紙袋を取り出した。
病院だし、素敵なラッピングもできなかったけれど。
実は、家から作りかけのマフラーを入れてきた紙袋だけど。
「遅くなったけど、クリスマスプレゼント」
 
「いつの間に準備したの?」
不思議そうに、彼は紙袋から中身を取り出した。
「これって……?」
「そう、私が編んだんだ。編み物って最後まで完成させたことなかったから、記念すべき完成第1号!」
何だかむず痒くて、早口でまくしたてた。
 
「おー! いいね。この色合い好きな感じ。早速巻いてみよう。どう?」
首にマフラーを巻き付けると、彼は私に向かってひょうきんなポーズをとってみせた。
 
退院後、1年と少し経って、私たちは結婚した。
そして、ちょうど1年目の結婚記念日に、私の妊娠が分かった。
 
余談だが、夫が暑がりであることが、結婚して分かった。
何となくは知ってはいたけれど、夏に冷房の温度を18度にされたときは凍えそうになった。
冬でも雪が降るほど寒くなければ、厚手のダウンジャケットなどを着ることはない。
だから、私が贈ったマフラーは本当に出番がないのだ。
それでも、冬に外出をするときは、しばらくあのマフラーをしてくれていた。
 
私は、夫がマフラーを巻くと、冬でも汗をかくとは知らなかった。
娘を抱っこしている時、大汗をかいているのに気づいた私は、暑いなら無理して巻かなくてもいいのにと思わず言ってしまった。
どうやらそれで巻かなくて良いお許しが出たと、夫の中では理解したらしい。
別に、私が無理やり巻くように言ったことはないのだけれど、妙に律儀な夫としては、使っているところを見せたかったのだろう。
 
それからは、ほとんど夫がマフラーをしている姿を見たことがない。
けれど、私は知っている。
20年以上経った今でも、あのマフラーを夫が保管していることを。
きちんと畳まれて、箪笥の奥にあることを。
 
私は夫には内緒で、こっそり引き出しを開けて、マフラーを見ては病院で過ごしたあの時間を思い出すのだ。
あのマフラーは、瞬時に時を引き戻してくれるタイムマシンのようだ。
編んでいたときに思っていたこと。
病院での不安な気持ち。
その時にかけてくれた夫の言葉。
随分時は過ぎているのに、ありありとその時を思い出すことができる。
そして、あのマフラーは、私の心に温かい灯を点してくれるのだ。
 
我が家の娘は、高校3年生の受験生となった。
毎朝、暗いうちから学校へ行き、夜も遅く帰ってくる。
受験が目の前に迫った今、体調管理だけは怠ることができない。
幼いときには、私が編んだマフラーを身に付けていたこともあったけれど、現在は既製品の大判マフラーを、娘は愛用している。
 
「カイロ、持った? ほら、風邪ひくからマフラーを忘れないようにしないと」
毎朝、駅まで娘を送るときの私の掛け声だ。
温かくして、首と名の付く体の部分を冷やさぬように。
大判のマフラーをグルグル巻きにしている娘を見ると、よし、OK。
体が温かいと、気持ちまで温かくなるでしょう。
今が頑張り時。
張りつめた毎日に、少しでも気持ちがほぐれますように。
つつがなく今日も過ごせるようにと願いつつ、駅の改札口に消えていく娘を見送るのだ。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
今村真緒(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

福岡県出身。
自分の想いを表現できるようになりたいと思ったことがきっかけで、2020年5月から天狼院書店のライティング・ゼミ受講。更にライティング力向上を目指すため、2020年9月よりREADING LIFE編集部ライターズ倶楽部参加。
興味のあることは、人間観察、ドキュメンタリー番組やクイズ番組を観ること。
人の心に寄り添えるような文章を書けるようになることが目標。

この記事は、人生を変える天狼院「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」をご受講の方が書きました。 ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。

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2020-12-31 | Posted in 週刊READING LIFE vol,109

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