自分のコンプレックスがお客様に喜ばれるツールになる時《週刊READING LIFE vol,96 仕事に使える特選ツール》
記事:武田かおる(READING LIFE編集部公認ライター)
「お前の声を聞いたら俺の中でホワイトノイズになるんだよ!」
これは夫婦喧嘩の際に、アメリカ人の夫が私に吐き捨てた言葉だ。
夫の言うホワイトノイズとは、1日のテレビ番組が終了した後、画像が砂の嵐になったときに聞こえてくる例のあの「ザーッ」という音だ。最近は24時間テレビ番組を放送しているみたいだし、オンデマンドが主流だから、若い人には馴染みが無いかもしれない。まあ、ホワイトノイズとは簡単に言うと雑音だ。私が小言を良く言うので、私が喋りだすと、声も嫌だし、その内容も雑音でかき消されて、心理的にシャットアウトされているということなんだろうと理解した。
元々、私は自分の声や喋り方が嫌で、コンプレックスを抱えていた。だから、いくら夫婦喧嘩をしているからって、人の声を雑音呼ばわりされて、さすがに私も傷ついた。
「はい、村上(仮名)でございます」
「武田です。みどりさん(仮名)いらっしゃいますか」
「武田さん、いつもみどりがお世話になっています。少々お待ち下さいね」
30年前のことだ。高校時代、携帯電話なんてなかった時代だ。私が友達のみどりちゃんの家にたどたどしい声で電話をかけると、必ずみどりちゃんのお母さんが電話に出て、どこかの会社の電話受付嬢のような、柔らかくて優しい声で応対してくれた。
みどりちゃんによると、みどりちゃんのお母さんはNTTの番号案内で若い頃働いていたらしい。NTTには電話番号案内という業務が今でもある。今ではインターネットで電話番号を簡単に検索することができる。だが、ネットが無かった当時、104の番号にかけると、大人の女性が出て、有料で店や個人、会社の電話番号等、自分の知りたい番号を調べて教えてくれる便利なサービスだった。そして、そこに電話をすると、決まって、みどりちゃんのお母さんのような、優しいくてまろやかな声のお姉さんが出てきて、電話番号を調べてくれたのだ。
みどりちゃんのお母さんは元々声がきれいだからNTTで採用されたのか、NTTで研修を受けてあんな美しい声と喋り方になったのか詳しいことはわからなかった。しかし、NTTを退職した後も、あんなよそ行きの声を家で普通に使えるなんて、と私はそんなみどりちゃんのお母さんの声にほのかに憧れを抱くようになった。あの、人を特別な感覚にさせてくれる、あの声はどうやったらなれるのだろうと考えた。
男子の場合は、声変わりの時期があって、明らかに成長期になると、喋り方は別として落ち着いてくる。その変わりようは息子を見ても目に見えている。しかし、女子の場合、少しは年とともに落ち着いた声になるとは聞いていたが、私の場合年を重ねても目に見えて変化はなかったような気がした。
そして、こんな私も社会人になった。20代の頃小さな会社で働いていたのだが、人数が少なかったし、社員の中で一番下っ端だったので、電話対応はもちろん、お客様の対応、事務処理、経理業務、お茶くみ等、何でもやらなくてはならなかった。入社してしばらく経った頃、先輩から依頼されたのが、業務時間外用の留守番電話にメッセージを録音するという雑務だった。留守電の内容に変更が生じる毎に、スタッフの皆が順番に声を録音していた。そして、私の番が回ってきたのだ。
いくら留守番電話だからって、いくら仕事だからって、自分の子供のような嫌な声や喋り方をお客様に晒してドン引きされるのは目に見えていた。そして、それは会社の不利益に結びつく可能性もあるのではないかとさえ思った。
営業時間中に電話対応はしていたが、録音のメッセージで会社の代表的な声になるのと、電話を受けて、担当者に電話をつなぐのとはまた訳が違う。だが、私がどれだけ自分の声が良くないと説明しても、先輩は「声なんて気にしないから、やってみて」というだけだった。皆が多くの仕事を抱えていて多忙の会社だったから、これ以上子供のように拒否することはできなかった。
業務時間後に電話が鳴る。私の声が対応する。
「はい、XXX(会社名)でございます。本日の業務は終了いたしました……」
業務で疲れ果てた、一日の就業時間後に録音したことも関係したのだろうか。やはり客観的に聞いても不格好な声だった。忙しい時期は、就業時間後も電話がかかってくることも多かった。留守番電話にメッセージを残す人もいれば、私の録音された音声が聞こえると、ぷつっと電話を切る人もいた。電話が鳴るたびに業務終了後は私の声が流れた。
ある日、仕事の後食事をした友だちに言われた。
「あんたの会社に電話かけたら、営業時間外で、留守番電話だったんだけど、
声がひどくて笑ったわ。
あんなだみ声で、よく留守番電話のメッセージに録音したねぇ。
もう少しマシにできなかったの?」
携帯電話がなかったあの頃、友達から会社に電話がかかることがたまにあった。待ち合わせの確認か、私が時間に遅れていたか何かで、彼女は私の会社に電話をかけたらしい。自分でも自覚していたが、やはり、私の声はひどかったようだ。その友人は大企業に努めていて、会社の代表の電話番号にかけると、やはりみどりちゃんのお母さんのような、特別な丸みのある、電話受付の専門の方が対応されるので、きっと私の声は更にひどく思えたのだろう。
その後、やはり声のコンプレックスは続いた。ある時、仕事を辞めて、次の仕事を探していた時、人材募集の広告でNTTの番号案内のアルバイトを募集していた。そこには「研修あり」と書いてあった。私は研修で喋り方や声のトーンなど学びたいと思い、思わず応募した。指導される方は、番号案内を長年経験されたベテランの社員の方で、みどりちゃんのお母さんのような丸みのある包容力のある優しい声だった。研修は厳しかった。一緒に入社した人達は、みどりちゃんのお母さんのようなきれいな喋り方に代わっていくのがわかった。私はというと、やはりできが悪く時間がかかったが、研修を乗り越えて、電話案内を実際にできるまでになった。しかし、問い合わせられた番号を調べても、全く該当番号がない場合など、焦りだすと、研修で習った話し方や声のトーンなど、どこかにすっ飛んでしまって、また地声のだみ声に戻っているのが客観的にわかった。研修自体はとてもしっかりしたもので、私もある程度話し方や声のトーンなど上達はしたのだが、私の場合はみどりちゃんのお母さんのように、その喋り方や声のトーンを実生活に身につけるまでには至らないうちに、正社員で別の仕事が見つかったので番号案内の仕事は辞めてしまった。
その後、正社員として別の会社で働き出し、その後しばらくして結婚した。そして、ずっとやってみたかったヨーガ教室に通い出した。当時、新しい職場で何かとストレスもあり、デスクワークの時間が長く細かい文字を常時取り扱うため、ひどい肩こりと眼精疲労からくる慢性の偏頭痛に悩まされていた。なんとなくだが、ヨーガで体をストレッチすることで、リラックスできて、ストレスや肩こりから解放されそうな気がしたからだ。
何の前知識もなくはじめたヨーガだったが、私の予感は強ち間違っていなかった。ヨーガクラスの最後では、ただマットの上に横で仰向けになって目を閉じるシャバアーサナ(死体の体位)というポーズがあるのだが、そのポーズでは、緊張やストレスでがんじがらめになった心と体を自然に緩めることができたのだ。それは、まるで固形のバターが、フライパンの上で溶けていくような、そんな自然な感じだった。その緊張を緩めてくれたのはヨーガの先生の声だった。
「目の周りを緩めます…‥。眉毛も緩めましょう。眉間に力がこもっている人は、そちらも緩めてあげます……」
こんな風に、体のパーツを一つづ順番に緩めていった。
ヨーガの先生の声は催眠術のようだった。あまりにもリラックスしずぎて、気がついたら眠っていたこともしばしばあった。先生の声が優しく、体を緊張から解きほぐしてくれて、非常に心地よい感覚に包まれた。
そんな風に、ヨーガのこの最後のリラックス感とや開放感の虜になってしまった私は、ヨーガを貪欲に勉強し始めた。そして、3年ほどかけて、2つのヨーガの講師の資格を取得し、ヨーガを教えることになった。声のコンプレックスはこの歳になってもう諦めていた。ヨーガの良さを伝えるためには、ただポーズを見せるだけではなく、どういった効果があってどこの部分に効いてくるのかを細かく説明する必要がある。コンプレックスであろうがなかろうが、この声を使って生徒さんに誠心誠意に伝えるしかなかった。
ただ、最後のリラックスの時間のシャバアーサナの時は、ある程度のインストラクションの後は声での指導はやめ、参加者の方にはしばらく静かに身体を横たえていただいた。私の先生も同じような指導法だったし、私のだみ声で参加者の方がリラックスできているのか不安があったのも事実だ。
今年3月よりコロナ禍になり、ヨーガのクラスもZoomを用いてリモートで行うようになった。今までのように気軽に人と会えなくなってしまったこともあり、ヨーガクラスの後、引き続きZoomで近況報告をしたり、ヨーガクラスで質問がある場合は質問したりと、自由におしゃべりできる時間を設けるようにした。
その時のことだ。
「先生の最後のシャバアーサナの時のインストラクションの声がとてもいいので、
クラスの最後まで声の指導を続けてもらえませんか。
すごく体がリラックスするんです。先生の声ですごく癒やされます。お願いします」
Zoomのおしゃべりに参加していた方の数人がうなずいていた。
この言葉を言われたのは1度ではなかった。声に自信がなかったので、クラスの間喋り続けることに自信がなかった。だが自分のこの声が、コロナ禍で今までに味わったことのない閉塞感や不安感からくるストレスの緩和の役に立っていると思ったら嬉しくなった。
身内や友達からも声のことを批判されて、今までコンプレックスに思っていた自分の声だが、もう気にならなくなった。雑音と言われようが、だみ声と言われようが、生徒さんがリラックスできているのを知り、自分の声に愛着が少し湧いてきた。むしろ、私の声は仕事上、必須で特選なツールになると思えてきた。
もしも、あなたが自分の体のどこかにコンプレックスがあったとしても、今回の私のようにそれを受け取る人によって、感じ方が異なり、そのコンプレックス自体が人を癒やしたり、元気づけたりと、ポジティブに利用できることがあるかもしれない。だからあまりコンプレックスにとらわれないで、自分の心や体に是非愛着を持ってほしいと思う。
□ライターズプロフィール
武田かおる(READING LIFE編集部公認ライター)
アメリカ在住。
Kaivalyadhama Yoga Institute 認定ヨーガ講師
ヨーガ禅道友会認定ヨーガ講師
日本を離れてから、母国語である日本語の表現の美しさや面白さを再認識する。その母国語をキープするために2019年8月から天狼院書店のライティング・ゼミに参加。同年12月より引き続きライターズ倶楽部にて書くことを学んでいる。
『ただ生きるという愛情表現』、『夢を語り続ける時、その先にあるもの』、2作品で天狼院メディアグランプリ1位を獲得。
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