READING LIFE ver.20220208 読書特集号PROTOTYPE版

★特別無料公開中★活字中毒者というポジショニング〜マーケティングの観点からの活字中毒者〜《特集①なぜ、人生に読書が必要なのか?》

thumbnail



記事:三浦崇典(天狼院読書クラブ/TENRO-IN BOOK CLUB グランドマスター)


 
 
 中毒という言葉は、あまりいい印象を与えない。
 僕も、昔、練炭が焚かれている田舎の掘りごたつで、寝落ちてしまい、おそらく、ちょっと口元がこたつ布団の中に入ってしまったのだろう、一酸化炭素中毒になりかけて、ひどく頭痛がして吐き気が止まらなかった覚えがある。
 言うまでなく、アルコール、ギャンブル、薬物などの中毒には、誰も好き好んでなりたくはないだろう。また、なれと勧められることも、なって褒められることもないだろう。
 子どものゲーム中毒は、親が心配し、ある自治体の条例でも規制がかかるくらいだ。
 ところが、稀に推奨される中毒がある。
 
 そう、活字中毒である。
 
 ゲームセンターやパチンコ屋に入り浸っていると、家族に叱られたり、しかめ面になられたりするが、「本屋に入り浸っている」ということに関しては、家族や社会は、甘い。むしろ、推奨している。
 中高生時代、祖父にゲームを買うから金をくれ、と言えば、あからさまに嫌な顔をされたが、
 
「本を買うから金をくれ」
 
 と言えば、ほぼ制限なく財布が開かれた。
 また、大人になっても、
 
「実は、僕、重度の活字中毒者なんですよ」
 
 との告白に、嫌な顔をする人はいない。むしろ、ポジティブな反応をされることがほとんどだ。たぶん、本屋ではなく、ラーメン屋や焼肉屋をオープンしていれば、ここまで社会から褒められなかっただろうし、応援されなかっただろう。
 
 何を言いたいのか?
 
 結論から言えば、“活字中毒者というポジショニング”は、メリットがあまりに大きいということだ。
そう、ポーズでも、擬態でもいい。最初は仮面活字中毒者でも、いずれ、その仮面がはがれなくなり、本当の顔になる。
 “ポジショニング”とは、マーケティング用語だ。どこの位置に陣取ってビジネスを展開するか、という意味くらいに捉えてもらえればいい。
 たとえば、「無頼派の作家」というのも、ある種の“ポジショニング”だ。そのポジションで作家というキャラクターを構築し、クリエイターとして展開して行きますよというマーケティング戦略である。
 店や企業ばかりではなく、個々人も、意識するかしないかに関わらず、パーソナル・マーケティングを日々遂行していて、特に“ポジショニング”がうまくハマるかどうかは、人生の成否、つまりは、自身の“理想の状態”の実現に欠かせないことだ。
 様々なポジショニングがある中で、“活字中毒者というポジショニング”は、非常にメリットが高い。なぜなら、誰もがそうなると決めた瞬間からなれるからだ。
 
「明日から、面白い人間になります」
 
 との宣言は、ほとんど無効だ。ところが、
 
「明日から、活字中毒者になります」
 
 は、できる。
 東大卒、京大卒、早稲田大卒、慶応大卒のポジショニングを得るのは難しい。マッキンゼー出身、ボスコン出身、ゴ ールドマン・サックス出身、官僚出身のポジショニングも、誰もが再現性高くできるものではない。
 ただ、活字中毒者にはなれる。そう、今日、この瞬間から、そうなると宣言してしまえばスタートを切れる。
幸い、活字中毒者には、国家資格試験も、基準もない。自分がそう思えば、そして、現実に本を読み、活字中毒者になっている感覚があれば、あなたも立派な活字中毒者だ。
 願書も就活も、入学金もいらない。
 それでは、活字中毒者になると、それ以前とどう人生が変わるのか?
 本を読んでいると、まずは、ある程度の信用を得られる。たいてい、仕事を優位に展開している人、人生を好転させている人は、活字中毒者か、その予備軍、あるいは健全なる習慣的読書者である可能性が高い。
 いわゆる「うまくいっている人」とのコミュニケーションの中で、この人はしっかりと本を読む人なのか、と認識されることは、対人関係において非常に優位である。本を読んでいるということは、物事を知っていて、常に学ぶ姿勢がある可能性が高く、ともに仕事や取引をする上で、あるいは、プライベートで付き合う上で、メリットが高そうと思えるからだ。
 また、学ぶことを無意識的に恒常化させている人は、わからないことがあると、すぐに、
 
「今いったこと、どういう意味ですか?」
 
 と、堂々と聞くことができる。なぜ、聞くことができるかと言えば、それが知ったほうがいいことだとわかれば、すぐに関連の書籍を読んだり、Webで調べたりすることに躊躇がないからだ。ここに、下手なコンプレックスが出る余地がない。知ったかぶりは、学べない、あるいは学ぼうとしていないコンプレックスが表出しただけなのだ。
 さらに、仕事において、部下や上司、同僚が活字中毒者であることは、ビジネスという戦争において、戦線を構築する上で、戦友として背中を預けやすくなる。なぜなら、未知なる分野でも、健全なる活字中毒者であれば、怯むことなく、学んで短期のうちに習得して戦果を上げるだろうとポジティブに予測できるからだ。
 逆に、一ヶ月経っても、二ヶ月経っても、
 
「それは、私の得意分野ではありません」
「できる人にやってもらえればいいんじゃないですか」
 
 との姿勢を崩さない人は、周りの人の戦友リストから削除されることになるだろう。
 学ぶ姿勢がない仲間は、仲間ではない。戦線を崩壊させる可能性があるからだ。
 その分野や仕事にその時点で精通していなかったとしても、健全なる活字中毒者であれば、必ず短期間のうちに、知識レベルを向上させて来て、実践で磨かれ、玉となり、戦友リストから除外されなくなる。
 これからは、文字通り、“フリーランス”の時代であり、社内フリーランスの時代とも言える。つまり、磨かれたランス(槍)を持っていない、磨くつもりのない人は、仲間から除外されるようになる。会社員であっても、自分の食い扶持以上を稼げないと、簡単に放逐されることになるだろう。
 健全なる活字中毒者は、そう考えると、これからの時代に非常にマッチした存在となる。学び続ける姿勢ができているので、目まぐるしく変わり続ける時代に対応できるだろう。
 また、活字中毒者であるとの宣言は、いい意味で、“自縄自縛”することになる。なんだ、読んでいないじゃないかと言われないために、面目を保つためにも、本を買い、読むことになる。そうして、結果的に本当の活字中毒者になれば、このポジショニングは十分に有効だ。
 活字中毒者になると、常に思考することになり、思考の結果、“脳内ストック”は濃厚になり、質と量が向上し、「面白い人」と言われる可能性が高くなる。
 
 それについては、この記事を参照してほしい。
 

 
 また、プライベートに関しても、活字中毒者はメリットを享受できる可能性が高い。
 
 なぜなら、まずは配偶者に対して、恒常的に学ぶ姿勢があることは、未来的に生産者としての市場価値が低下しない可能性が高いという安心感を与える。簡単に言えば、たとえ一度職を失っても、これだけ学ぶのが好きだから、すぐに新しい仕事ができるだろうと思えるということだ。
 
 また、子どもに対しても、学び続ける姿勢を見せ続けることは、百の利があったとしても一の害もない。自分もそうしないとならないとのスタンスができるだろう。それが、子どもの将来を確実に助けることになる。活字中毒者のポジショニングが継承され続けることは、そこから始まる系譜を確かなものにできる可能性が高くなる。
 
 そもそも、特に男子において顕著だが、小中学、高校時代、恋愛で異性に選ばれる大きな要因のピークは、容姿と運動神経だったが、大人になって、それは変遷し、面白さと稼ぐ力へと要因のピークが如実に変わる。
つまり、健全なる活字中毒者のポジショニングは、プライベートでも優位に進められる可能性がある。
 
 総括して、考えると、全人類“活字中毒者のポジショニング”は、直ちに取るべきだと思うのだが、やはり、本屋と著者のポジショントークに聞こえるだろうか。
 
 ちなみに、無意味に「本を読んでいないアピールする人類」は、学生時代に「勉強していないアピール人類」とともに、滅んでしまえばいいと思っている。
 
 
 
 


ライターズプロフィール


コンタクトフォーム

あなたのプライスレスな読書体験を教えてください!
※送っていただいた読者体験は後日公開させていただきます。


問い合わせフォーム

READING LIFE PROTOTYPEについてご意見、ご感想、質問等あれば、
こちらの問い合わせフォームよりお問い合わせください。
▶︎ 天狼院書店HPお問い合わせフォーム


関連講座


関連記事