やがて読書が究極のエンターテインメントになる《READING LIFE 読書特集号プロトタイプ版》
記事:三浦崇典
(天狼院読書クラブ/TENRO-IN BOOK CLUB グランドマスター)
本屋として、非常に言いたくない事実を、まずは大前提として言おうと思います。
それは、
読書は、ストレス行為である
という揺るがしようのない事実です。
たとえば、中学、高校時代のもっとも嫌いな科目の教科書を思い浮かべてください。自在に操れない外国語で書かれた原書を思い浮かべてください。
あるいは、眉間にシワを寄せながら読む自分の姿を思い浮かべることができるのではないでしょうか。
嫌いな本だから当然だろう、と思うかもしれません。好きな本なら、ストレスではないと。
でも、あえて、もう一度言います。
大前提として、読書はストレス行為です。
ただし、段階に分けると、ストレス行為でなくなる場合があります。
それは、いったい、どういうことなのか?
まずは、この図をご覧ください。
なぜ、人生に読書が必要なのか?~読書の効用~もし、あの読書体験が消されるのを防げるとすれば、あなたは幾ら払いますか?《プライスレス読書体験》
読書のメカニズムを示したものです。
つまり、文字列(テキスト)というプログラムをインプットして、脳という処理機関で処理して、脳裏のディスプレイにイメージを投影します。あるいは、思考し、概念を理解します。
この読書のメカニズムは、パソコンがインプットし、CPUで処理し、ディスプレイに投影する過程とまさに一緒です。
パソコンは、たとえば、動画の編集など、“重い作業”をする場合、CPUが過剰に動き、機種によっては、ファンがウィーンと大きな音を立てて回ります。パソコン自体が熱を持って熱くなります。
それと同様に、読書において、未知なる知識が詰め込まれたものだったり、苦手な教科だったり、“重い作業”が生じる場合は、脳に負荷がかかり、それがストレスとなります。ストレスは文字列を処理する際に、当然のように生じると考えていいでしょう。
逆に好きなコミックを読むなど“軽い作業”の場合、脳にはそれほど負荷がかかりません。本来、小説なら、文字からキャラクターの絵などを“想像”しなければなりませんが、コミックではその作業はすでにマンガ家がやってくれているからです。ただし、それでも、その世界を脳裏に現出させますので、脳にはそれなりに負荷がかかっており、ストレスが生じています。
つまり、嫌いな教科の教科書でも、好きなコミックでも、多い少ないはあったとしても、読書の最中にストレスが生じているということです。
それでは、なぜ、むしろ趣味としての読書ではストレス解消していると感じるのでしょうか?
実は、ストレスを解消しているのも、また間違いのない事実です。
この場合、読書を2段階に分けて考えるといいでしょう。
1段階目:文字列などをインプットして脳で処理し脳裏に投影(アフトプット)する
2段階目:脳裏に投影(アウトプット)したイメージや概念をインプットする
1段階目は、決まってストレス行為になります。違いは、2段階目に現れます。 脳裏に投影した概念をインプットした際に、感動して精神の浄化(カタルシス)を受けたり、理解できて喜びを感じたりすれば、これは明らかにストレス解消になります。
そのとき、人は多くの場合、
「面白い!」
と感じることでしょう。
つまり、読書の過程を、ストレスを指標に図にすると、こういうことになります。
読書はストレス行為なので、一度、マイナス方向にベクトルが下がります。どれくらいの量が下がるかは、好き嫌い、その分野を熟知しているか未知か、テキストのみか写真や絵もあるかによって変わります。
そして、脳裏に投影されたイメージや概念をインプットする際に、プラス方向にベクトルが生じます。「面白い」と感じる度合いが強ければ強いほど、このベクトルの量は大きくなります。
そして、このマイナス・ベクトルとプラス・ベクトルの差によって、人は読書が面白いか、つまらないかを判断します。合算して、プラスであれば、読書は面白いものになり、その量が大きければ大きいほど、読書をやめられなくなることでしょう。
それでは、どうすれば、プラス・ベクトルを大きくすることができるでしょうか?
これも、意外に、結論は簡単です。
“脳内ストック”の質と量が高まれば高まるほど、プラス・ベクトルが大きくなる可能性が高くなります。
それは、どういうことなのか?
先ほどの例で言うと、自在に操れない外国語で書かれた原書を読むのは、ストレスになると確認しましたが、もし、脳内ストックに、この外国語の知識が十分にインプットされ、自在に操れるようになったらどうでしょうか? おそらく、脳裏に投影されるイメージや概念が正しく描かれるようになり、さらに精緻化されることでしょう。たとえば、世界の名作『グレート・ギャツビー』を原書で読むとして、英語が自在に操れないときと、ネイティブレベルになったときとでは、それがもたらす感動は、大きく違うだろうということです。
たとえば、カメラ初心者にとって、カメラと写真の教本は、実に読みにくいものでしょうが、プロやハイ・アマチュアになってから読むと、スルスルと頭に入ってきて、あれほど難解だったものが、「面白い!」と感じられるようになります。様々な経験と勉強から、カメラや写真に関する“脳内ストック”が充実したゆえに起きることです。
また、脳裏への投影(アウトプット)という処理を繰り返すことによって、その処理、つまりは“思考”が日々鍛錬され、経験値を増していき、レベルアップします。
そうなると、投影されるイメージや概念の解像度が格段にアップし、“情報量が増大”していきます。
実は、感動や理解には、この投影されたイメージや概念の“情報量の増大”が非常に重要な要因になります。映画館での映画が原作の小説よりも感動しやすいのは、テキストデータでインプットするよりも、動画のデータでインプットし、しかも、音声などの情報が付加され“情報量が増大”している状況だからです。
ところが、読書を鍛えることで、また人生経験を積むことによって“脳内ストック”が充実し、読書で脳裏に投影する処理を鍛錬することによって処理能力がアップすれば、ただ文字列を読んでいるだけなのに、映画を観ているのに匹敵する、いや、それ以上の感動を得ることができるようになります。
脳裏に描かれる作中世界が、より現実に近づきます。つまりはリアリティを得ます。そうすると、映画館で映画を観ているのと同じレベルの、感動や精神の浄化が起きます。
同じ本を読んだとしても、人によって、脳裏に描かれるイメージの解像度、概念の理解度が違い、その結果として、プラス・ベクトルが生じる量が大きく違うということです。
“脳内ストック”が磨かれ、“読書のスキル”が上がると、映画やテーマパーク、その世界に行かなくとも、それに近いプラス・ベクトルを得られるようになるので、コスト・パフォーマンスを考慮すれば、健全なる活字中毒者の読書は、究極のエンターテインメントと言えるのではないでしょうか。
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