天狼院通信

『スター・ウォーズ 最後のジェダイ』を観て、ディズニー帝国の逆襲に震える想いをした。《WRITING LIFE/天狼院通信》


天狼院書店店主および『殺し屋のマーケティング』(ポプラ社)の著者の三浦でございます。

今から言うことは、妄想だと思ってもらって結構です。

また、本屋が適当なこと抜かしやがる的なスタンスで、読んでもらえるとちょうどいいかと思います。

はじめに断っておくと、僕はそこまでの『スター・ウォーズ』フリークではありません。
どちらかと言えば、『スター・ウォーズ』よりも、『ドラえもんのび太と宇宙小戦争(リトル・スターウォーズ)』のほうが好きですし、『スター・ウォーズ』のフィギュアを持っているということもありません。

ま、全作、観ていて、特にスター・ウォーズのエピソード2と3が好きで、そこは何回か観ましたが、その程度のフリークはこの地球上に数多くいるでしょう。

ちなみに、前作のエピソード7『スター・ウォーズ フォースの覚醒』は、ユナイテッド・シネマで、人生初の4DXで観たので、映画を観たというよりか、アトラクションに乗ったという感じが強くて、それも含めて楽しかった覚えがあります。

ただ、僕はそうだったのすが、世の中的にはかなり酷い評価が多く、僕の友人のハイパー・クリエーターにして映画が超絶好きなKさんも、酷評していました。あまりに酷い出来で、一時期、本気で悩んだようです笑。

やはり、ジョージ・ルーカスが本気で創らないと「スター・ウォーズ」はだめなのか?

そんな落胆が、僕よりもはるかに「スター・ウォーズ」フリークの方々の中に広がったようです。

それで、それから2年後に、今回の『スター・ウォーズ 最後のジェダイ』が公開になったのですが、僕は特に期待をしないで映画館に観に来ました。
ま、ここまで観たんだから、最後のエピソード9まで付き合ってやろうかという、ちょっと上から目線の心持ちで映画館に来ました。

正直言うと、期待値としては、同時期に公開している『デスティニー 鎌倉ものがたり』と『オリエント急行殺人事件』のほうが断然高かったです。

結論から言うと、この冬一番の映画でした。
いや、もしかして、今年一番だったのではないでしょうか。

そうですね、様々観ましたが、今年一番の映画だったかもしれません。

ストーリー・ラインどうこうの話というよりも、もう、最初からクライマックス的に、豪華に作りこんであり、それはCGが豪華というわけでなく、「シーン」が豪華なんです。

「ここまで、拘って創るか?」

と唸ってしまうほどに、考え抜かれて、すべての「シーン」が紡がれているのです。

思えば、映画とは「シーン」の連続であって、その1シーン、1シーンが煌めくまでに作りこんであれば、当然、映画全体の「コンテンツの質」が上昇します。そして、どうして、こんなに「シーン」が磨かれているのかと考えたときに、ふと、去年のことを思い出したのです。

長崎県立美術館でやっていた『ピクサー展』を観に行ったのですが、あのときのピクサーの映画の創り方に衝撃を受けました。

たとえば、ジブリの宮﨑駿監督の映画は、宮﨑駿監督が中心となって、魂となって、絶対権力者となって、映画を創るスタイルだろうと思います。

ところが、ピクサーの作り方は違う。

グループが一丸となって、ストーリー・ラインやシーンのひとつひとつを作り込んでいくのです。
ストーリーボードに、シーンについて書いた紙を貼って、気に入らないシーンは、気に入るまで、全員でブラッシュアップをしていく。

その映画の監督はもちろんのこと、違う映画の監督まで参加して、作り上げていく。

ピクサーのジョン・ラセターは、宮﨑駿の崇拝者として知られています。宮﨑駿監督とも何度も会い、薫陶を受けた中で、彼はある意味、強い「諦観」を胸に抱いてしまったのかもしれません。

「天才宮﨑駿には勝てない」

それで、ピクサーは、「集団で天才になり、上質のコンテンツを大量生産する」という戦略を取ったのではないでしょうか。

実は、僕は世界初の3次元小説『殺し屋のマーケティング』を作る際に、このピクサーの方式を応用しました。
通常、小説だと、作家に圧倒的な主導権があり、ビジネス書と違って編集者にはそれほど創作権限がないのですが、今回は、ポプラ社の担当編集大塩さんと、文芸編集者の関根さんの意見を大いに聞きました。特に大塩さんの粘り強い意見に沿うように、物語も変えることもしました。

それは、長崎の美術館で観た、ピクサーの創作法に対する衝撃が残っていたからです。
天才ではないと重々承知している僕がハイパー・コンテンツを作るためには、どうしても、このピクサーの方式を応用して、取り入れる必要がありました。

このピクサーのやり方は、ピクサーだけではなく、本体のディズニーにも引き継がれます。
そして、大ヒットしたのが『アナと雪の女王』でした。

ここから、ディズニー&ピクサーは『ベイマックス』や『インサイドヘッド』『ズートピア』などヒット作を連発しました。
ピクサーのジョン・ラセターは、ピクサーだけでなく、ディズニー本体のCCO(チーフ・クリエイティブ・オフィサー)、つまりはクリエイティブ部門の最高責任者にも就任し、ディズニー帝国を盤石化しました。

そして、前作のエピソード7は初めてディズニーが手がける『スター・ウォーズ』であって、現在のコンテンツ・キングであるディズニーの手にかかれば、『スター・ウォーズ』はどうなるのか、大きな期待が寄せられていただけに、大きな落胆に繋がったのだろうと思います。

なにせ、監督はあの大ヒットドラマ『ロスト』や『フリンジ』を手がけ、『アルマゲドン』でも脚本を手がけたJ・J・エイブラムスでしたから、もう、彼なら絶対に間違いないという空気でした。

「スター・ウォーズ」×「ディズニー」×「J・J・エイブラムス」という黄金の組み合わせだったことになります。

しかし、前作が、あまり評判が良くなかった。
場合によっては、酷評だった。

おそらく、その酷評の中で、彼ら「コンテンツ・キング」の面々たちは、忸怩たる思いをしたことでしょう。
今に見ておれ、と臥薪嘗胆したことでしょう。

今回の映画を観ていると、どんだけ歯ぎしりしたんだろうと思えるくらいに、素晴らしかったのです。
もう、意地でしょう!

クリエーターとしての意地でしょう!
ディズニーとしての、スター・ウォーズとしての、そして、J・J・エイブラムスとしての意地でしょう!

人間、追い込まれると、あそこまで素晴らしいクリエイティビティを発揮するのかと感動すらしました。

僕の印象でしかないかもしれせんが、前回のことがあってか、今作では様々なテレビ番組や宣伝などで、J・J・エイブラムスを前面に出していないように感じました。今回、彼は監督ではなく、製作総指揮なので当然と言えば、当然かもしれませんが、それにしても、そのビッグ・ネームをまるで隠すように、ライアン・ジョンソン監督の名前のほうを頻繁に見たような気がします。

僕も、今回の『スター・ウォーズ 最後のジェダイ』の製作総指揮がJ・J・エイブラムスだと知ったのは、エンドロールで名前を見つけたときでした。

だとすれば、もしかして、今作は、前作とまったく違うとマーケットに印象づけるために、あえてJ・J・エイブラムスの名前を前面に出さなかったのかもしれません。

しかし、この悔しい二年間を過ごしたJ・J・エイブラムスは、今作において、見事にその名前に相応しい仕事をしました。

本当に素晴らしかった。

おそらく、制作陣は、試写室でガッツポーズをして、抱き合ったのではないでしょうか。

これで雪辱を果たせると、誰もが確信したのではないでしょうか。

まさに、コンテンツの帝国、ディズニーの「帝国の逆襲」が、『スター・ウォーズ 最後のジェダイ』でなされたと僕は思いました。

見事に巻き返しました。

これで、エピソード9が楽しみで仕方がなくなりました。早く、公開してもらいたくてしょうがない。

あるいは、と思わないでもありません。もしかして、次作のエピソード9に最大のクライマックスを持っていくために、エピソード7はあえて低いボルテージにしたのではないかと。

ジョージ・ルーカスは、『スター・ウォーズ』を作った当初から、エピソード9までを構想していたといいます。

そうした、大きな一連なりの作品としてみれば、クライマックスは、最後に持ってきたほうがいいに決まっています。
全体をみれば、このエピソード8は、クライマックスへと加速して駆け上っていく、最高の回になったと思います。
そうであれば、エピソード7は、あれでよかったのではないかと、エピソード8を観て思ってしまうのです。

もう、借金が帳消しになって、お釣りが来るくらいの、今回は勝利だったと思います。

そして、J・J・エイブラムスと聞いて、最近、日本でのあるニュースを思い出さないでしょうか?

そうです、新海誠監督の『君の名は。』をハリウッド映画にする人こそが、J・J・エイブラムスなのです。
日本初のハイパー・コンテンツが、ハリウッドでも屈指の監督によってハリウッド映画に生まれ変わるということです。

あれだけ完璧に近い、新海誠監督の『君の名は。』が、J・J・エイブラムスとハリウッドの手によって、どう更新されるのか?

もう楽しみで仕方がありません。

また、ハリウッド版『君の名は。』は、日本の天才プロデューサー川村元気さんとハリウッド随一のプロデューサーJ・J・エイブラムスがコラボする作品ということにもなります。

川村元気さんといえば、『君の名は。』だけでなく、大ヒットした『モテキ』や『バクマン』『怒り』のプロデューサーでもあります。

彼が、日本から、様々な作品をハリウッドに送り込み、それが世界的にヒットするという図式になれば、とても面白いのではないかと思います。

ここからが本題です。

僕が書いた世界初の3次元小説『殺し屋のマーケティング』は、実は、最初からこう編集の方にも、出版社の方にも、取次の方にも書店にも宣言していました。

「『殺し屋のマーケティング』の主人公のひとり、西城潤は、ジョニー・デップに演じてもらうことをイメージして書きました」

そういうと、みんな、決まって笑ってくれるんですが、作者である僕自身は大真面目でした。
それしか念頭にありませんでした。

つまり、ハリウッドで映画化することを当初から想定して、『殺し屋のマーケティング』を書きました。
その想定があるからこそ、企画から出来上がりまで、およそ、四年の歳月をかけました。
また、4回初めから書き直して、結果的に100万字以上、原稿用紙に換算して3,250枚ほどの文字数を費やしました。
そして、そのほとんどを捨てて、19万6千字の原稿に仕上げました。

ピクサーの方式を部分的に採用して、チームで作り上げ、実は、ジョージ・ルーカスが、『スター・ウォーズ』を最初からエピソード9まで構想していたように、『殺し屋のマーケティング』は、最初から7シーズンまで作ることを想定しました。

『殺し屋のマーケティング』を注意深くお読みいただいた方は、作中に登場する、伝説のスナイパー「ジョー・キリュー」の弟子が、「7人」いることに、あるいは気づかれたかもしれません。

『殺し屋のマーケティング』では、その中のひとり、世界一のスナイパー「サイレンス・ヘル」が登場しました。

つまり、ジョー・キリューの7人の弟子たちが、それぞれのシーズンの中核になるように考えていました。
また、第1作目は、池袋を部隊としましたが、第2作は京都を舞台にすること、第3作目は仙台、第4作目は九州、第5作目は伊勢・出雲が舞台になることまで僕の中で、明確に決めています。

ちなみに、第2作目の京都編は、花街のマーケティング、寺社のマーケティング、室町から続く企業のマーケティングの3つが中核となって、お馴染みのメンバーがミステリーを繰り広げる予定です。

最初から、7シーズンになることを想定したのは、Netflixなどの海外ドラマに対抗することを念頭に置いたからです。
これからは、Netflixなどにある海外ドラマのレベルでなければ、コンテンツは通用しなくなる。
そうした考えから、海外ドラマになっても大丈夫なように、映像化しやすい構成を心がけました。
映画化も、コミックかも、ドラマ化も、ハリウッド映画化も、ハリウッドドラマ化もできるようにと最初から設計しました。

なぜ、僕はそこまでしたのか?
天狼院書店を経営する合間にそこまでして、『殺し屋のマーケティング』を作ったのか?

その答えは、明確です。

すでに、2016年春に雑誌『AERA』の「現代の肖像」ででも言ったように、

「ディズニーに勝つこと」

が僕の目標だからです。

常に、日本のクリエイティブの天才たちは、日本以上にハリウッドに研究されて、ハリウッドの血肉にされてきました。

それは、宮﨑駿を研究した、ピクサー&ディズニーのジョン・ラセターに始まったことではありません。

遠くは、黒澤明監督を徹底して研究した、スティーブン・スピルバーグ監督や、ジョージ・ルーカス監督がいました。

ジブリは、小さく縮小する中、その養分を吸い取ったディズニーはさらに巨大化しました。

まさにクリエイティブの帝国です。

そんな中、僕はまるで「トロイの木馬」のように、『殺し屋のマーケティング』をハリウッドに送り込みたいのです。
あるいは、デススターの内部に潜入した、共和国軍のルーク・スカイウォーカーの戦闘機のように、内部に入り込みたい。

そして、ハリウッドの憶測に秘められているクリエイティブの秘密をごっそりと日本に持ち帰って、日本をクリエイティブの中心にしたいと僕は考えています。

そうです、最初に言ったように、これは妄想です。

また本屋が適当なこと抜かしやがると思ってもらっていいと思います、今は。

ただし、いつかリアルになる妄想だと、僕は信じているのです。

どうでしょう、川村元気さん。

『殺し屋のマーケティング』を読んでみませんか?

連絡、お待ちしております。

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