57歳の僕が、しみじみと恋とか愛について語りたくなった本《リーディング・ハイ》
記事:西部直樹(リーディング・ライティング講座)
小学校に入ったとき、最初に目がいったのは、同じ教室にいた、
つまり同級生の田中ゆきえ(仮名)ちゃんだった。
彼女は、小さな卵形の顔、長いお下げ髪、大きな目をしていた。
その小さな、丸い顔を見て、僕はぼ~としていたと思う。
なんだか、その子のことが気になってしまったのだ。
何かとその子を意識していたと思う。
無駄に近くに行ったり、からかったり、ちょっと意地悪をしたり。
でも、小学生だったから、興味は次々と変わり、本に夢中になったり、秘密基地の作成に血道を上げたりしていた。
入学から数年たち、クラスも変わり、少し疎遠になっていたと思う。
そして、僕のいたクラスは、担任の先生がその年の途中、夏休み明けに失踪してしまった。
どうやら、駆け落ちだったらしい。
そうして、僕たちのクラスは二分され、別のクラスと合同クラスとなった。
何ヶ月か窮屈なおもいをしたのち、新しい先生がやってきた。
クラスが二分し、再び一つになりと目まぐるしく変わっていた。
環境がくるくると変わる状況では、長いお下げ髪の少女のことは、頭の片隅に追いやられてもしかたなかったと思う。
高学年になり、再び田中ゆきえちゃんと一緒のクラスになった。
教室の中で、新しくできた異性の友達とふざけあいながら、視界の片隅に、ゆきえちゃんをとらえていた。
小学校高学年になって、彼女はちょっと可愛いから、とっても可愛い、いや、美少女に変わっていたからだ。
視界の片隅にいる彼女は、ときどき、いや頻繁に僕の方を見ていた。見ていたと思う。
騒がしい女子の友達、教室の片隅から、自分を見つめている美少女
それで、僕は浮かれていたのだと思う。
モテモテだぞ、と。
それを象徴する出来事があった。
二学期の中頃だったか、家に一通のはがきがきたのだ。
僕宛に、差出人は田中ゆきえちゃんだった。
そのはがきは、四分の一が折られていた。
裏面に書かれた文字を隠そうとしていたようなのだが、いかんせんはがきなので、きっちりと折れることもなく、書かれている文字はわかってしまった。
書かれていたのは
「好き」
の二文字だった。
僕は、その文字を見ながら、ニヤニヤついてしまった。
嬉しかった。
でも、恥ずかしかった。
はがき はないだろう。
父母に見られてしまうかも知れないじゃないか。
告白は、封書で欲しかった。
うれしさと気恥ずかしさ、少々の怒りを込めて、
彼女に返信をした。
なんと、そのはがきに書き込んで、封筒に入れて、返してしまったのだ。
それから数日後、彼女の家に封書が届いただろう翌日あたりから、彼女は僕と目を合わせようとはしなくなった。
それなのに、僕はのんきに、次は封書でくるかな、と期待し、待っていたりしたのだ。
彼女は少しうつむき、僕の方を見なくなり、卒業式を迎えてしまった。
小学生だった僕は、いつまでものんきだった。
彼女は、ずっと僕のことを好きのままだろう、と思っていた。
田舎の町には、小学校が1つ、中学校も1つ、みんな同じ学校に通うことになる。田中ゆきえちゃんも同じ中学である。
中学生になっても、彼女は僕のことが好きなのだろうと、夢想していた。
中学生になって、1年ぐらい過ぎたとき、友人が彼女の噂を持ってきた。
「田中ゆきえって、2組の○○が好きらしいよ」と。
そんな話を聞いても、僕は、さもつまらないことを聞いたかのように、
「へえ、そうなんだ」と返したりしたものだ。
胸の内側では、「ああ、なんか、失敗したなあ」と、後悔、悔恨、慚愧の念が渦巻いていたのに。
そして、3年生になる前に、彼女はどこかへ引っ越して行ってしまった。
それから10年ほどたった頃のことだ。
社会人になって、会社の研修で京都にしばらく滞在していた。
その会社に向かう朝のバスの中で、小さな卵形の顔をし、長い髪の女性を見かけた。彼女は柔らかい京言葉で連れの子どもと話をしていた。
小さな卵形の顔、長い髪、目が大きかった。もしや、あの田中さんか、と思ったけれど、確かめる術もない。
北海道から京都に移り住んだのだろうか?
ふとよぎった思いのまま、彼女はバスを降りていった。
彼女の後ろ姿を見ながら、思ったものだ。
もし、あの時、あのはがきに真摯な返事を書いていたら、
そうしたら、今はどうなっていたのだろう。
バスの内で、僕は少し悔やんでいた。
人生に「もし」はない。
それはわかっているけれど、もし、あの時、少しの勇気があれば、人生は変わっていたのかも知れない、と。
もし、あの時、違う方向に踏み出していたら、違う人生だったのかも知れない。
やり直すことはできないけれど、気づいたときから、新しい人生を歩みはじめることができるかもしれない。
「風の盆恋歌」は
その後悔を秘めたまま、再び出会ってしまった男女の物語だ。
あの時は、それでしかたなかった、と思いながら、20年の時を経てしまった。
あの時、もし違う行いをしていたら、今の家庭はなかっただろう、とは分かっているのだ。
しかし、時は戻らない。
夏の終わり、秋のはじまりの三日の間、町中で踊り明かす風の盆。
哀切に満ちたおわら節にのって、声なく踊る人たち。
男踊りと女踊りが、ひとつになって、幽玄な祭りを形づくる。
その祭りの間、その街にいるためだけに、一軒の家を買った男がいる。
毎年、祭りの間だけやってきて、その家に住む。
誰かを待っているように。
ある年、その一軒家の庭に酔芙蓉が植えられていた。
男がしたのではない。
誰かが、その花を植えたのだ。
酔芙蓉は、朝に白く咲き、夕方までに赤く染まっていく。
そして、一夜限りで散る花である。
その花は誰が……。
それから、静かな熱狂の祭りのさなか、
男が玄関を開けると……。
風の盆の静かな熱狂、男女の穏やかな愛情。
風の盆が過ぎれば、穏やかなものは……。
この物語は少し辛い恋をしたことがある、とか
あの時、ああしておけば、とときどき慚愧の念に身を捩る
という人は、分かるのだろうなあ。
幸せな恋をして、慚愧の念にとらわれることのない人も、もちろん
読んで欲しいです。
いつ、ボタンをかけ間違えるか、分からないのだから。
・紹介した本
「風の盆恋歌」 高橋治 新潮文庫
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