わたしは、どれだけ彼女を幸せにすることができたのだろう?《リーディング・ハイ》
記事:西部直樹(リーディング・ライティング講座)
遠くから救急車のサイレンが聞こえてくる。
夜の街を走っていた。
近づいてくるサイレンは徐々に高まる。
道ばたに寄せ、救急車が通り過ぎるのを待つ。
遠ざかるサイレンは、徐々に低くなっていく。
ドップラー効果だな。
わたしは一人うなずく。
お互いに近づくものは、波長が高まり、遠ざかると長くなる。
星々が近づいているのか、遠ざかっているのかがその光の波長でわかるというのだ。
小学生の頃から、そんなことを知っていた。
星のこと、宇宙のことが好きである。
幼い頃は、夜空を見上げ、星をよく眺めていた。
北斗七星のどこかを七倍したところに、北極星がある。
北極星を眺めたり、はくちょう座を探したりしたものである。
故郷の北海道の星々は豊かだった。
天の川は白く天空を横切り、はくちょう座は大きく翼を広げていた。
辛いこと、
悲しいこと、
空しいこと、
煩わしいことがあると、星空を見上げたものだ。
動かぬ北極星まで約430光年、
1秒で地球を7回り半する光の速度で、およそ430年かかる距離。
今、わたしが目にしている北極星の光は、
430年の時を経て、わたしのところまで届いたのだ。
星々を見上げ、
宇宙の悠遠を思えば、
日常の
辛いことも
悲しいことも
空しいことも
煩わしいことも
些細なことに思えてくる。
しかし、
星々から手元に目を転じれば
やはり
興味のない勉強は辛いし
好きな子が振り向いてくれないのは悲しいし
努力しても報われないのは空しいし
人間関係は煩わしいままだ。
その落差に嘆息したくなるけれど、
星を見上げる前より、少し心が軽くなっていたものだ。
星を見続ける天文学者は、
辛さや悲しさ、空しさや煩わしさを
星を見る時に思うのだろうか。
例えば、
1000年前に爆発した
7000光年彼方のかに星雲を
望遠鏡で眺めて
何を思うのだろう。
星から目を転じれば
星の美しさを見続けていても
地上の美しさには、やはり心奪われ
人間の一生など瞬きの間に過ぎないほどの
時間を想っていても
ひと時、人を思いやるのだろうか。
星々の年月に比べれば、瞬きの間ですらないほど
わずかな時間に人は出会い、
そして、
別れていく。
星の終焉のように、
終わりを予感した時、
出会った人に、何をするのだろう。
映画「ある天文学者の恋文」の中で
老天文学者は、思わず呟くのだ。
「わたしは、どれだけ彼女を幸せにすることができたのだろう」
この言葉にこめられた彼の懊悩が、
わたしの胸を騒がせる。
画面を観ながら
わたしと人生を共にしてくれている人
わたしの人生に喜びをもたらしてくれた子どもたち
わたしの人生に彩りをあたえてくれた人々……。
わたしは彼女に出会い、
子供らと家庭を築き、
友人たちと楽しい時を過ごし
わたしは幸せだ。
そのわたしは、彼女を、彼らをどれだけ幸せにしているのだろう。
まわりの人たちは……。
心を寄せる人には、会いたいと思う。
その姿を見たい。
声を聞きたい。
触れあいたい。と願う。
それは、その人のことを想っているから。
その人に会えれば、幸せだ。
その人の声を聞けたなら、幸せだ。
その人と触れあう時が持てたなら、幸せだ。
わたしは。
その人は、
わたしと会うことで、幸せなのだろうか?
わたしの声を聞くことで、幸せなのだろうか?
わたしと触れあうことで、幸せなのだろうか?
思いを寄せることが、その人の幸せになるのだろうか?
どれだけ、その人を幸せにすることができたのだろう。
スクリーンに広がる美しいサン・ジュリオ島の姿に、溜息をつきながら
思いをめぐらせた。
その美しい島の
水辺を散策し、
波音を聞いたなら、
どれだけの幸せにしたのか、
わかるのかもしれない、と。
東京の夜空を見上げても、
地上の光の渦に巻き込まれ、
星の光は届かない。
それでも、北斗七星と北極星は見つかる。
弱々しい光だけれど、
430光年を経て、届く光をみながら、
わたしは、どれだけ彼女を幸せにすることができたのだろう。
と思わず、呟くのである。
- 紹介した映画
「ある天文学者の恋文」 監督:トルナトーレ
………
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