ハドソン川の奇跡――ヒューマンファクター!《リーディング・ハイ》
記事:西部直樹(リーディング・ライティング講座)
「ヒューマンファクター」
このひと言で、すべてが変わってしまった。
実際に事故にあった人々が写し出されるエンドロールを観ながら、
わたしは頷いていた。
「ヒューマンファクター」
これなんだ。
やがて、文字だけになったエンドロールを眺めながら、
この映画の監督であるクリント・イーストウッド氏が、かつて監督・主演をつとめた
「ガントレット」という映画を思い起こしていた。
あの映画も、どう考えても、どのようにシミュレートしても、
不利な状況だったのに
「ヒューマンファクター」
が、あの結末をもたらした。
そうだ、
「ヒューマンファクター」だ。
わたしは、映画館をあとにしながら、呟いていた。
「ヒューマンファクター」と。
わたしは少し興奮し、スッキリしていた。
これまで解けなかった難問が、するりと解けたかのように
呪文を忘れてしまった魔法使いが、万能の呪文をやっと思い出したかのように
そして、「ヒューマンファクター」から、もう一つの物語が思い起こていた。
「たまんないすよ!」
大学時代の後輩は、居酒屋のテーブルにタブレットを投げ出した。
「踏みつけたいけど、そうもいかないし、ホントに忌々しい」
後輩は、投げ出したタブレットを睨みつけていた。
「厳しいのか」
わたしは、レモン酎ハイを飲みながら、同情の視線を送る。
「厳しい、というか、息がつけない……」
後輩は、大手飲料メーカーの営業マンである。
日々のノルマが厳しいのかもしれない。
「ノルマというか、営業に新しいシステムが導入されたんですよ。それがね……」
後輩は、テーブルの上のタブレットを指で弾く。
「これが、まあ、システムの末端なんですけどね。これに、今日の営業先、回るルート、
見込み注文数、商談に必要な所用時間なんてのまで出てくるんですよ」
後輩は忌々しげにタブレットを軽く叩き、グレープフルーツハイを飲み干す。
「効率よく営業ができるように、というシステムなのかな」
わたしもタブレットを見ながら、慰めにもならないことを言った。
「ええ、効率よく、効果的な、成果を出す営業になるらしいですよ」
後輩は、手羽先あげにかぶりつき、手羽先が親の仇かのように、骨ごと噛み砕いていく。
「結構大変なのか?」
「大変なんてもんじゃないですよ、このシステムを入れて、もう二人も辞めてしまいましたよ。こんなのではやってられないって。
最近は、このタブレットが壊れることが多いんですよ。 この間は、先輩が途中で落として壊したとか、壊れると情報が来ないですからね」
後輩は、テーブルの上のタブレットを少しずつ押して、テーブルから落とそうとする。
わたしは、落ちかけたタブレットを戻した。
後輩は溜息をつく。
「このシステムを開発した奴らは、机の上というか、モニターの中だけで営業活動をとらえていますからね。わかんないんですよ、ほんとうのことが。
一日30件、得意先を回れとか、不可能だっていうの。
でも、システムの奴らは、こういうんですよ、コンピューターのシミュレーションでは、回れる、ってね
バカじゃないの、一箇所20分で切り上げろ、移動は15分で済ませよ、コンピューターのシミュレーションでは、それでできるとか。
やってられないすよ、こっちはコンピューターではないだから」
この日は、悪酔い気味の後輩の愚痴をえいえんと聞く羽目になった。
数週間後、再び後輩に会った。
この前の時は、やけ気味、仕事で疲れ果て、顔色もよいとはいえなかった。
今度は、溌剌としていて、顔色もいい。
何か、いいことがあっただろうか。
「まあ、とりあえず、駆けつけ三杯だ」
と後輩のグラスにビールを注ぐ、
「いやいや、先輩にそんなこと、ありがとうございます」
受け答えの言葉にも精気が感じられる。
「なんか、元気がいいなあ、いいことでもあったのか」
「それが、もう、スッキリ! なんですよ」
といって、鞄から仕事用のタブレットを取り出す。
「まだ、あの営業のシステムを使っているのか?」
「まあ、そうなんですが、これが痛快なことがありましてね」
後輩はニヤニヤと嬉しそうだ。
「この営業のシステム、大幅に変更になったんですよ。導入1年にも満たないのに」
「システムの導入後、営業成績が芳しくないし、辞める人が増えて、営業成績が下がる、という悪循環になっていたんですよ。
社長が、どうしてそうなったって、システム担当のねじ込んできて、やり方を見て激怒したらしいんです。
社長は営業出身ですからね。
そして、システム担当と一緒に、このシステムの指示通り営業を回ってみたらしいですよ」
後輩の顔は緩んでいる。
よほど愉快なのか。
「そうしたら、半日でギブアップですよ。コンピューターのシミュレーション通りには回れないし、散々だったらしいです」
「それは、システムの設計がまずかった、ということか。移動時間の変数が間違っていたとか」
「それもあるのでしょうが、それより、決定的なことがかけていたらしいです」
「決定的なことって?」
わたしも興味沸いてきた。何だ、その決定的なことは。
「それは、社長が一言言ったらしいんです。
ヒューマンファクターが足りない、って」
「ヒューマンファクター?」
「人間的な側面というか、そんなことです。
例えば、商談は、注文と受注のやり取りだけでなく、その前後に雑談とかしますよね。雑談から、次の仕事に繋がったりとかあるんですけど、その時間を考慮していなかったんですよ。商談だけして、終わりにして、計算していたりしてね。移動の時間だって、途中ちょっと息抜きがしたい、と思うこともあるじゃないですか。それもなかったんですよ」
「だから、システム通り動きたくなくて、壊す奴がいたりしたんだな」
「そうです。ヒューマンファクターがかけていたんですよ」
ヒューマンファクターを考慮したあとのシミュレーションは、だいぶ変わったという。
ヒューマンファクター!
それで、絶体絶命から抜けだし、
それが、一気に状況を変えてしまう。
その一言の「衝撃」は、じんわりと胸に染みこむのだ。
………
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