女が隠す3本目の腕《リーディング・ハイ》
記事:まみむめもとこ(リーディング&ライティング講座)
「ここ、私の陣地だからあっちに行って」
「あ、これ私が育てていたの、とらないで」
「私の、お姉ちゃんに比べて量が少ない」
これが元旦に繰り広げられる我が家の会話。
重箱に盛り付けられた栗きんとんや黒豆などをつまみながら、「おめでとうございます」と家族みんなが顔を揃えて挨拶する。これが正しいお正月の姿だとすれば、うちは少し違う。
祖父、祖母がいなかったせいか、おせち料理は食卓には並ばない。そのかわりかまぼこや焼き豆腐が入ったすき焼き鍋をみんなで囲むのが我が家流の正月だ。
ただし鍋の中にメインの肉はない。
なぜかと言うと最初から肉を鍋で泳がしていると、私と妹2人はアッと言う間に肉だけを拾いだし、野菜しか残らない悲惨な状況が待ち構えているからだ。しかも3姉妹は、闘っている最中は無口。ただ人の箸を目で追い、時々それが原因で小競り合いが勃発することもしばしばある。
父はそれをよしとはしなかった。親に恵まれなかった彼は、鍋といえば、みんなで和気あいあい楽しい会話をするのが家族だと思っている。だから父は食事の時間が静かにならないよう、肉を5等分にわけ、それぞれの皿に入れて配るスタイルを思いついた。めいめいが自分の量の肉を、それぞれのタイミングで鍋に肉を入れ、それを育てて食べる。しかもそこから“陣地”だとか、“育てた”などと言う言葉が飛び交い、意外と盛り上がる。父は「これぞ、食卓!」と思ったかはわからないが、ひどくこのスタイルが気に入り、我が家の定番となっている。
大人になってもそれは続いた。
そして今でも陣地をとっただの、私が育てた肉を食べたなどと賑やかなすき焼きだが、娘たちはどこかでそれを演じていることを知っている。
今は脂っぽい肉もそんなに食べられないのだがが、父の前ではみんながちょっぴりいい娘になって父を喜ばせている。
そんな娘の心を知るわけもない父は、思惑通り無邪気にはしゃぐ姿を見て、幸せだと感じてくれているようだ。
これで1年分の親孝行ができたと思えば、365日分のわずか数時間ぐらい笑っていることはそう苦ではないと三姉妹と、そして母も思っている。だから娘たちに付き合い、父と一緒に笑っている。
この絵に描いたような家族模様。よその人がみたらそれは幸せな一家だと思うだろうが、それは違う。
父は家族団らんを演じる一方で、よそに女がいる。
必死になって父は隠しているが、母と娘たちはそれを知っている。
でもそのことには触れない。
きっとこの宴が終われば、また父はその人のもとに行くに違いない。
でも私たちは見て見ぬふり、気が付かないふりをして過ごす。
そして人から「良妻賢母だ」と評判の母は、銀色に光る玉がポケットによく入っている。玉を精算機に入れるときに紛れ込むらしい。そんな彼女もまた、パチンコ屋に足しげく通う、パチンコ依存症だ。
そして次女は引きこもりのネットオタク。ヒマさえあればパソコンに向かって、キーボードを打ちながらゲームをやっている。夜から活動し、朝になったら寝るサイクルで一日を過ごしている。
OLの三女は、イチバンまともに見えるが、実は自称・フリーターのヒモ男を養っている。
そして長女の私。よくある妻子持ちの男と付き合い、ドロドロの真っただ中。
母と娘たちは父のイメージを見事に裏切り、心にヒミツをそれぞれ持って夕食の座についている。
それを隠しながら、お正月には理想の家族をがんばって繕う。滑稽に見えるかも知れないけれど、私はどこかでこれが家族の健全な姿なのではないかと確信している。
それぞれが少しの優しさを持ち寄り、集団をつくっていく。男はそれに気づいていないが、女たちはちゃんとそれをわかったうえで、心の奥では猜疑心も持ち合わせている。
これはまさに、両手で合掌をしつつも、さらにもう一つの腕には刀を持っている“阿修羅”だ。
昭和の家族は卓袱台を囲み、お父さんが絶対的な存在。妻はそれを支え、子どもたちも父を敬う……これが理想の家族だった。そしてこのイメージを作ったのはテレビドラマ『寺内貫太郎一家』を書いた、脚本家の向田邦子ではないだろうか。そして彼女は、それから5年後、家族の裏に潜んだ闇に迫った『阿修羅のごとく』を書いている。
ホームドラマとして数々のヒット作を世に送った彼女は、もしかしてこの『阿修羅のごとく』では、「男性の理想の家庭は、阿修羅像のようにもう三本目の手に刀を持っている女がしたたかに作り上げた虚構」と言いたかったのかも知れない。
そういえば彼女は何かに書いていた。「カステラは実は端っこがイチバン美味しいんですよ」と。女はそれを知っていて「真ん中をどうぞ、召し上がってください。私は、端っこを頂きます」と笑いながら男性にすすめる生き物だと言うことを知っているからだ。
『阿修羅のごとく』
向田邦子 著 新潮文庫
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