好きなひとを好きって言えないジレンマを抱えているあなたへ《リーディング・ハイ》
記事:おが あやな(リーディング&ライティング講座)
好きなひとを好きって言えないジレンマを抱えているあなたへ。
もしかして、それはもう既に恋ではないのかもしれません。
「ねぇねぇ、ヤマダくんのどこが好きなの?」
そう聞かれると決まって、
「イジワルなとこが嫌い」
と答えました。
私がうら若き女子高生だった頃の話です。
ヤマダくんはイジワルだし、チビだし、全然かっこよくもないし、こないだなんてさぁ、球技大会でソフトボールを顔面に食らって鼻を折ったんだよ。だっさいよね~。それからそれから……。
「ちょっと待って」
戸惑う友人にストップをかけられました。
「私が聞いたのは、ヤマダくんの好きなところであって、ヤマダくんの悪口じゃないんだけど」
彼女は念を押すように、
「え、あやなって、ヤマダくんのこと、好きなんだよね?」
私は友人に向かって、満面の笑みを浮かべました。
――勿論!
ヤマダくんのイジワルなところが嫌い。
チビでかっこ良くないところも嫌い。
どんくさくて運動神経も全然良くないし、いいところなんて全然ない。
なのに、好き。
私の恋の進め方は、いつだって矛盾だらけでした。
全然好きでもないひとにならいくらでも「好き」だと言えるのに、少しの長所を捕まえて誉めちぎることもできるのに、本当に好きなひとには可愛くない憎まれ口ばかり。
照れ臭いのもあります。
だけど、それ以上に「好き」を語ることが自分の気持ちを安っぽくすると思っていました。
どういうところが好きか、言葉を尽くせば尽くすほど、理由を挙げれば挙げるほど、「好き」でいることは私の傲慢ではないかと思うようになりました。
かっこいいから好き。じゃあ、ヤマダくんが将来禿げてメタボのおじさんになったら?
スポーツができるから好き。じゃあ、ヤマダくんが怪我をして走れなくなったら?
いつも前向きで元気だから好き。じゃあ、ヤマダくんが落ち込んでいたら?
私は、ヤマダくんを嫌いになってしまうのでしょうか。だとしたら、ある要素を取り出して「好き」でいるのは傲慢ではありませんか。
本当に好きなものには、語るべき理由がない。皮膚の奥深いところを流れる動脈のように、情熱は仕舞っておくものだと思っていました。
こうして私は、「好き」を「ファナティック」に語るのをやめました。
さて、困りました。
このリーディング&ライティング講座では「好き」な本や漫画、映画を「ファナティック」におすすめしなければならないそうです。
これは私にとって一番難しいことでした。天狼院書店のイベントを通じて知り合った方は皆さん、「好き」なものに対して、前のめりです。
「○○という本を読みました」
と一言言えば、
「○○、超面白いですよね! 特にあのシーンが最高で……!!」
「その作者なら他の△△という本もおすすめです!!!」
「映画化もされてますよ!! ××監督で、主演は☆☆さんで!! そっちもとっても良かったです!! ぜひ!!」
日々、溢れる「好き」の熱量に圧倒されてばかりです。
どうしてみんな、そんな風に「好き」を「好き」と語れるのですか。
語れない「好き」こそが、秘められた「好き」こそが至高なのだと思って生きてきました。
どうしましょう。信条を崩さなければ、この記事を完成させることはできません。
「四の五の言わねえ! とにかく読みな! 読めばわかる!」
と、一文で済ませてしまいたい気分です。泣きたい。
かつての私は、ヤマダくんのどういうところが好きだったのでしょう。イジワルだったのも、チビだったのも事実です。どんくさかったし、かっこいいと思ったことはありませんでした。
でも、好きだった。
イジワルなところも、チビなところもどんくさいところも含めて、愛しかった。
ヤマダくんはヤマダくんであって、物語の中の王子様ではありません。だからかっこよくなくても別に問題はないのです。私にとってだけ特別な、「好き」なひとでした。
バレンタインチョコレートを渡すために、どれだけ頭を悩ませたことか。不格好なトリュフを完成させて。けれども渡せず、14日の夜に大泣きして。他の女の子がヤマダくんにチョコを渡したのを知り、嫉妬で胸を焦げつかせて。
ジレンマだらけの私の恋。
そうか、私はヤマダくんの「嫌い」なところが、そのまま「好き」だったんだね。
イジワルなところが好き。チビなところが好き。どんくさいところが好き。
かっこよくないヤマダくんが好き。
美しいものを美しいと感じるのは当たり前で、きっとそれに心惹かれることが「恋」なのでしょう。
ヤマダくんの「嫌い」なところに惹かれていたあの頃、私が抱いていた感情は、もしかして、「恋」ではなく「愛」だったのかもしれません。
ならば、私は今から紹介する本を、間違いなく心から愛しているのだと思います。
ひとが傷つき、時に死ぬ物語です。とにかく分厚いし、長い。全編にわたってじめっとした湿気が漂い、最後まで救いがあるのかないのかわからない。「好き」を「好き」と語れない私ですが悪口なら、いくらだって出てきます。
物語の渦中にいながら、決して交わらない男と女。二人の間に、「愛」があったのか、私にはわかりません。
確実に「恋」はなかったでしょう。
しかし、醜さを認め合う「愛」は、あったのかもしれません。
「白夜行」は、私にとってそんな物語です。
好きなひとを好きって言えないジレンマを抱えているあなたへ。
もしかして、それはもう既に恋ではないのかもしれません。
愛なのかも、しれません。
東野圭吾「白夜行」 集英社 集英社文庫(2002年)
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