メディアグランプリ

あっという間に母が逝ってしまいました


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記事:安光伸江(ライティング・ゼミ平日コース)

母との別れはあっという間にやってきた。

末期ガンが判明して余命数ヶ月、半年はもたないだろうと言われた年末。
積極的治療をしても苦しむだけだから、穏やかに送った方が、とのこと。

預かっていただいていた病院で看取りもできるが、緩和ケア病棟のある病院に転院した方が、と勧められ、年があけて連休明けに面談、翌日転院となった。

緩和ケア病棟は落ち着いた雰囲気の部屋で、スペースも広めにとってある。
輸液は最小限にとどめ、なるべく口から食べ物をとる方針。
母は胃の出口にガンがあるとかで、食べると嘔吐するため、前の病院では絶食、点滴のみで生きていたが、本人は「食べたい」と願っていた。
病院の方針と本人の希望が合致したので、一度食事をとったのだが、全部食べたものの、全部吐いてしまった。その後はまた点滴のみになった。

転院した初日の母は、主治医の先生(私の高校の後輩にあたるらしい)に私のことをぺらぺら喋っていたらしいのだが、一日おいて見舞いに行ったら、何か喋るけれど何を言っているかわからなくなっていた。痛み止めの薬のせいなのかと先生に聞いたら、肝臓が悪く脳に影響が出ていて、戻ることはないとのこと。
このまま意思の疎通ができないのか、と悲しかったが、一生懸命話しかけた。

おねぇちゃんはママが大好きだからね!

毎日ではないが頻繁に見舞いに行き、そういえば転院して1週間たっていた。
翌日は私の乳がんの治療で点滴に行くので見舞わない予定で、母が眠ったのを見計らって「また来るからね」といって帰った。

夕方、私のうつ病の関係でいつものように訪問看護の方が来て下さり、いつものようにそれが終わるとさっさと夕食を食べて寝てしまっていた。
一寝入りしてもまだ日付が変わるかどうかの時間で、かなり睡眠はとれていた。

そして夜中の2時半。
ケータイが鳴った。病院からだ。

「呼吸が悪くなっているので、すぐ来て下さい!」

それからは大慌てだ。いつもピンクを着ていたがそれはまずい。
茶色のヒートテックと黒いジャケットを着て、タクシーを急いで呼んで、
病院にかけつけた。

タクシーの支払いに手間取り、昼間とは違う雰囲気の病院の中で迷い、
1階の看護師さんに道を教えてもらって3階の緩和ケア病棟についた。

「ついさっき呼吸が止まりました」

私が迷っていた時間だったのだろうか。
呼吸が止まる瞬間は、見ることが出来なかった。
死に顔は穏やかだった。苦しまず、す〜っと眠るように息を引き取ったそうだ。

しばらく母の顔を見て
個室にベッドを移され
当直医の先生に死亡確認をしていただき
看護師さんに体をきれいにしていただき
死に化粧をしていただいた。肌が綺麗だと褒められた。

余命宣告を受けてから、兄とも相談の上、某葬儀社の斎場直送のコースに決めてあった。事前に葬儀社に問い合わせなどもしていたので、その通りに電話して、迎えに来てもらった。

火葬場の霊安室が工事中なのとまだ開いてない時間なのとで、母の遺体はまず葬儀社の斎場に運ばれた。アパートの一室のようなところに安置され、事務所で打ち合わせをし、その日はもう特にすることがないということで家に帰った。
予定通り、乳がんの治療の点滴にも行けた。
普通ならお通夜だの葬儀だのいろいろ決めることがあるはずが、簡素なものだ。

当初の予定では火葬場で待ち合わせということだったのだが、翌朝電話があり、葬儀社の斎場に呼ばれた。そこで支払いなどをすませ、霊柩車で一緒に火葬場に行けることになった。
兄夫婦は火葬場直行。私は母と一緒に行けたのが嬉しかった。

そして兄夫婦と3人で母を見送った。
母を炉に入れる時、一緒に中に入って焼いて欲しい衝動にかられた。
扉を閉めて鍵を預けられた時は泣きじゃくっていた。

待合室で兄夫婦が買ってきてくれたお弁当を食べ、静かな時を過ごした。
こういう時間もいいものだなと思った。

そして呼び出しがかかり、骨を拾った。
父が亡くなった時はがっしりした骨格だったが、母の骨はボロボロだった。
圧迫骨折でほぼ寝たきりだったからだろうか。
ガンが骨に転移していたせいもあるかもしれない。

それから骨壺に入った母を連れたまま、市役所の本庁に行った。
1週間以内にしないといけないような手続きはすべてすますことができた。

お通夜も告別式もしないというのはあちこちに失礼かとも思ったのだが、
兄夫婦と3人だけで見送るのも結果としてはよかった気がする。
手続きもその日に出来たし、ものすごく疲れたという感じは、今はしない。
まだ気が張っているだけかもしれないが。

家に帰った母は、かつて介護ベッドを置いていた洋間にいる。
仏壇からいろいろ持ってきてお骨の前に置いて、お線香をあげた。
夜は電気をつけておいて寂しくないようにしている。
扉もあけておいて、ことあるごとに「ママ〜」と声をかけている。

母との永遠の別れ。
でも、まだ、そこにいる気がする。
母の供養のためにも、私がしっかり生きなくては、と思う。
***

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2018-01-24 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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