サプライズ?嫌がらせ!?我が家のお弁当戦線
記事:わたなべみさと(ライティング・ラボ)
お弁当は戦いだ。
『今日も嫌がらせ弁当』という書籍が旧友との間でよく話題にあがる。
『今日も嫌がらせ弁当』とは、高校生になって反抗期を迎えた娘に対して “仕返し”をするべく「仕返し弁当」と称した個性的なキャラ弁を3年間作り続けた母と、食べ続けた娘のお弁当エッセイである。何度かネットニュースで見かける度に、キャラ弁ではなかったにせよ、うちのお弁当もなかなかの戦いだったなぁと振り返ってしまう。
「おべんとうなんていらない!!」
高校時代、母にそんなことを言ってしまったことがある。小、中学校は給食で、大学からは家を出てしまった為、母の作るお弁当を味わったのは実質高校の3年間だけであったというのに。
”料理が好き”なうちの母は、「他人と同じ料理」を作るのを好まない。”自己流、アレンジ大好き”な母である。その独特の感性をもって生み出される不思議な食べ合わせにおぉ!っと感嘆の声が上がるときもあれば、あまりにも時代を先取りしすぎていて、お…おぉ…?と首をかしげることもある。もちろん普通のごはんの時もあるのだが、記憶に残りやすいのはやはりインパクトの強い方である。とりわけ、毎日のお弁当のインパクトがすさまじかった。
高校入学当初になかなか友達ができなくて、1か月が経ち、イライラして母に当たってしまった日のお弁当は、タッパーいっぱいの酢飯の上にシシャモフライが一本乗っただけだった。あまりの潔さに怒りを通り越して可笑しさがこみあげてきて、声を殺してふるふる震えていたら、「わっ!すごいお弁当だね」と何人かにのぞきこまれてたちまち友人ができた。
シシャモ弁当を皮切りに毎日弁当を開こうとすると誰かしら声をかけてくれるようになった。恥ずかしいながらも、ここまでの求心力を誇るお弁当とそれを作る母はすごいな、と思っていた。ある時は、お弁当箱一面チャーハンで、その豪快さに笑い、またある時には、白米と焼きそばパンが隣接した“炭水化物だけ弁当”に非常に驚いたが味はおいしかった。「今日は普通だった。」「どうしてこうなったん!?」帰るたびに母に向かってその想像を超えたお弁当に全力でツッコミを入れる日々だった。
しかし、1度だけ、どうしても許せなかったものがある。
そのお弁当がでた日は、朝から妙に気分が沈んでいた。何をやってもダメな予感がしていた。その予感が当たったのか、昼にお弁当袋を取り出すとき異変に気づいた。なんだか濡れている。カバンとお気に入りのハンカチに茶色いしみがついていた。そして何やらスパイシーな香りがする。私の気持ちはもう、その時点で折れてしまった。
気づけばふたを開けるときには若干の人だかりが出来ている。ぱかっと開けてみると真っ白なごはんのみが広がっていた。おかずはない。あれ、おかしい。あの茶色いしみは?隅々まで観察するとお弁当箱の隅っこのご飯が茶色くなっている。加えて今日は箸ではなくスプーンだ。恐る恐るスプーンで一面のご飯を掘っていくと、茶色の水分を吸ってやや水っぽくなったご飯と共にニンジン、玉ねぎ、お肉が転がり出てきた。
「カレーだ!カレーが入ってるぞ!」
どっと笑いが起こる。普段はみんなと一緒になって笑ってしまうのに、この時ばかりは駄目だった。そうじゃないとわかっていても、お弁当が面白いのではなく私自身が笑われたように感じてしまい、恥ずかしくて悔しくて下を向いた。今日の失敗や、様々な嫌なことが泡のように膨れて、浮かんできた。もう泣きたかった。いや、すでに涙目だった。気を抜いたら涙が出てきてしまいそうで必死に我慢していたら鼻水が出てきた。ぐっとこらえて食べたカレーの味は涙混じりの鼻水でしょっぱかった。
帰宅後、母は上機嫌だった。
「ねぇねぇ、今日のお弁当、見た―?」
私は静かに答える
「白米だった」
母はどや顔で一本立てたひとさし指を振った。
「ぶーっ。中を掘ったら、カレーでしたー!びっくりした?ねえびっくりした?」
子供のようにはしゃぐ母の姿が不思議なくらい癇に障った。
大体何故こんな日にカレーなの!?どう考えたってお弁当に向かないじゃないの!そんなツッコミをする心の余裕すら無かった。
「もういやだ!おべんとうなんていらない!!」
自分でもびっくりするくらい大きな声が出た
「人がせっかく作ってあげたのにその態度はなんなのよ!」
母が大声を上げる。
こうなってしまったらもう止まらない。素直に謝ることもできない。どうしてこうなってしまったかもわからなくてうまく言葉が出ない。
「私は、みんなと同じ普通のお弁当がたべたいよぉ」
やっとのことでそういうと、わんわんと泣いてしまった。
翌朝、泣き腫らしてパンパンな目をした私は、黙々と朝ご飯を食べていた。同じように腫れた瞼をしているであろう母は朝ご飯を終えたテーブルの上にどんとお弁当箱を置くなりそっぽを向いた。私は無言でそれを奪い取ると逃げるように家を出た。
お昼になっても収まる様子のない腫れた目でお弁当の包みを開きぱかっとふたを開けると卵焼きに、ハンバーグ、ウサギの形をしたリンゴが入った鮮やかなお弁当が現れた。思えば出来合いのものが嫌いな私のために、母は一度だって冷凍食品を入れたことがない。どんな形であれ、必ず家で作ったものを詰めてくれていた。毎日の家事に仕事に忙しいのに、私はなんてひどいことを言ったんだろう。お母さん、ごめんなさい。普通のお弁当、うれしいけどちょっと寂しいよ。そう思いながら白いご飯を口いっぱいに頬張った。鼻の奥がつんとした。感極まってまた泣きそうになっているのだろうか、でも不思議と涙はでない。変わりに口の中に広がる酸味が。やってくれたな…!口いっぱいに頬張った酢飯をごくりと飲み込むと、ゲラゲラと笑ってしまった。
挑むように、挑戦状のようにお弁当を繰り出す母、それを受ける娘。日常の中で繰り広げられるやり取り。はたしてお弁当は母娘の戦いなのだろうか。
「嫌がらせ弁当」を作ったお母さんは、「仕返し」と称したお弁当にメッセージ性を持たせ、娘とのコミュニケーションを図っているようだった。これは我が家にも言えることで、私は毎日家に帰るたびに母に今日のお弁当についてツッコミを入れ、それをきっかけに母といろいろな話をした。もしかすると母は、地元から少し遠い高校に通うため、電車通学になって、勉強に、部活にバイトに忙しい娘とまともに会話をする時間が減ってしまったから、さみしかったのかもしれない。今思い返してみれば、母にとってお弁当はプレゼントのようなもので、サプライズ満載のコミュニケーション手段だったのだろう。
実家を出てしまったから母のお弁当を食べる機会はもうないけれど、私が誰かにお弁当を作るようになったなら、プレゼントを渡すように大切に、会話をするような気軽さで作ってあげたいなと思う。
今日も会社へ持っていくお弁当を詰める。
あ、ご飯しかない。と思ったらお鍋の中に昨日作ったカレーが…。
…仕方ない、カレーをお弁当にしよう。
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