僕は、まるで自分の心がハッキングされているような錯覚を覚えた
記事:西脇聡志(ライティング・ラボ)
誰かを好きになる気持ち。
誰かを大事にしたい、誰かに触れたいという気持ち。
そういった切実な想いが、もしかしたら、その大事な誰かを「変容」させてしまうのかも知れない。
もう一年も前のことになるが、僕は六本木の国立新美術館でその作品に出会った。
久野遥子氏が作成したアーティストCuusheのミュージックビデオ(MV)「Airy Me」。
久野氏の多摩美術大学における卒業制作として作られたこのMVは、昨年「平成25年度[第17回]文化庁メディア芸術祭」において新人賞を受賞した。
文化庁メディア芸術祭は、アート、エンターテイメント、アニメーション、マンガの4部門において優れた作品を顕彰し、また受賞作品を美術館等において公開することで、鑑賞の機会を提供する、という趣旨のもと開催される総合芸術祭だ。
毎年、海外からも数多くの作品応募があり、現代において最先端とも言える新しい才能に出会うことができる場である。
僕がほぼ毎年と言ってよいほど、この芸術祭に足を運ぶのには理由がある。
それは、この芸術祭に展示される作品が一般的な絵画媒体に限定されず、CG、マンガ、アニメ、立体作品など幅広いジャンルの作品を一度に体験できる、というところにある。
受賞作品は、昨年度は「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」や森見 登美彦氏原作の「有頂天家族」、荒木 飛呂彦氏の「ジョジョリオン」など非常に知名度の高い作品も多かったが、それでも僕は、久野氏の作品「Airy Me」にすっかり心を奪われてしまった。
最初にその映像を見た時の何とも言い表せない衝撃――
僕は茫然として画面の前に立ち尽くし、何度も何度も繰り返し映像を見てしまうのだった。
世の中には多くの素晴らしい作品が存在するが、「Airy Me」には、どこか一線を画するような異質さがある。
まるで、今ここにない別の世界のことを描いているような……
それとも、まるで、今ここにない別の世界のモノから、画面を通して心が「浸食」されていくような……
映像を言葉に移し替えてしまうということは、無粋なことかも知れない。
(それでも)あえてそのあらましを書いてしまうならば、こうだ。
最初に病院と思われる建物の一室から物語は始まる。
病室には一人の少年が横たえられている。
少年は頭や首に何本ものチューブがつながっており、自由に体を動かすことができないようだ。
そして、少年を担当する看護師がいる。
彼女は少年にリンゴをむき、食べさせたりと、少年に優しく接しているようだ。
少年も彼女に対してささやかな好意を抱いている。
それが物語の前半だ。
MVは薄い黄色を基調とした紙に、手書きの線画で描かれており、その色合いや可愛らしいキャラクター造形により、一見その世界は優しく静謐な感じがある。
しかし、勿論そこには予兆がある。
これから始まる暴力的でおぞましい、そして切実な想いの予兆が、そこにはある。
いつものように看護師が少年の部屋にやってくる。
そして少年の腕に注射をし、その後看護師は少年の布団を直す。
しかし、彼女はいつものようには、彼の部屋を去らなかった。
彼女は束の間、少年のベッドの傍らにいる。
そして、何かを思いついたかのように、まっすぐ手を伸ばし、まるでスイッチを押すように、彼の顔の真中を人差し指で押す。
そして、それはまさに“スイッチ”と呼ぶべきものだった。
日常の世界にいるものと、異質の世界にいるものが、
(マジョリティとマイノリティが、)
(正常と異常が、)
その瞬間を境に入れ替わる。
その時、少年の頭部は、
一瞬にして大きく膨らみ、弾け飛ぶ。
少年の身体は、
弾けた頭部からひっくり返り、
異形の化物が現れる。
僕の頭の中は理解を越えた感覚に浸される。
なぜ突然にして、動けない少年が化物にならなければならないのか?
看護師はそうなることが分かっていて、その“スイッチ”を押してしまったのか?
そもそも、この変化は見る者に何を伝えているのか?
そういった疑問や驚きを処理できないまま、僕は映像に引きずり込まれる。
そして、
現れ出た化物は、
看護師に飛びかかろうとする。
彼女は、
おびえ逃げ出す。
化物は、
彼女を追い求め、姿かたちを醜く変化させながら追いすがる。
彼女は、
地下室の扉を開き、より危険で異質な世界に足を踏み入れる……
(結局僕は、何も整理できない頭を整理するため、展覧会の後、ネットで久野氏のインタビュー記事を読むことになる。そして、一見病院に見える建物が実験施設であることを知る。そして動けない少年もその実験サンプルの一つであることも)
物語が後半に進むほど、映像は暴力的にエスカレートし、
僕は、まるで自分の心が映像に浸食されて、ハッキングされているような錯覚を覚えた。
しかし、何よりも僕の心を揺さぶったのは、暴力的な映像の間に挟まれる、少年の「心象風景」だった。
――少年は「その世界」の中で、横たえられたベッドから起き上がる。
彼は、自分の手が、自分の足が、今や自由に動かせるようになっていることを知る。
そこには少年の驚きや喜びの感情がある。
そして、そこにはそれ以上に強い感情がある――
――化物は、
さらに姿かたちを変化させながら、看護師との距離を次第に縮めていく。
その身体は強い感情のあまり、醜く、不自然に大きく育っている。
看護師は
地下室の奥で足をもつれさせて転倒する。
そして、
化物が彼女の体に触れたとき――
――少年は部屋を飛び出し、廊下を駆け抜ける。
その先には看護師が空の車いすを押し運んでいる。
少年は後ろから駆け寄り、彼女はそれに気づき振り返る。
そして、少年は彼女の体を
強く、とても強く抱きしめる――
――それは、まさに切実で純粋な愛情の表れだった。
長くベッドに横たえられ、身動きを取ることもできなかった少年が、優しく看護してくれる彼女にどのような感情を抱いていたのか。
その真摯な感情が、このようにおぞましい形で発露されてしまうという表現に、僕はとても激しく心を揺さぶられる。
そのとき、僕の心の中で価値観は反転し、
異質なものが、そうでないものたちと入れ替わる。
まるで僕の心が異質なものに浸食され「変容」してしまうかのように。
とてもおぞましい光景であるのに、映像から目を離すことができない……
そのとき僕にもたらされた感情は、自分のより深い所にあるとても根源的なものだった。
異端者が抑えがたい感情に突き動かされ、周りの世界を壊し塗り替えていく、
それこそが、美しさだけでは説明することができない芸術の核なのではないだろうか。
それは一面においてはとてもおぞましく、暴力的にさえ見える。
そして、それこそが僕の心を浸食し「変容」させていくものの正体なのだ。
MVの最後のシーンでは、看護師が一人取り残される。
そして、彼女もまた「変容」させられている。
少年がいなくなった地下室で、彼女は床に静かに横たわっている。
その瞳は、とてもairy(からっぽ)だ。
果たして少年は彼女から何を奪ったのか?
それとも何を与えたのか?
そして、この作品は僕から何を奪ったのか?
それとも何を与えたのか?
僕は一年以上経った今でもなお、この作品に魅了されたままだ。
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