チーム天狼院

「明日死ぬかもしれない」という恐怖


*この記事は、「ライティング・ゼミ」を受講したスタッフが書いたものです。

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記事:斉藤萌里(チーム天狼院)
 
「だって、明日死んだらどうするの」
 
笑い事だと思うかもしれない。
最近のわたしは、頭の中で「明日死んだら」という言葉が反芻している。
いま世間を騒がす、ウイルスのせいではない。
やつからこれほどの脅威を感じるよりもずっと前から、「明日死ぬかもしれない」という恐怖に取り憑かれている。
それは私が物語を愛しているからかもしれない。
どんなに時間がない日でも、絶対に1日10分は本を読もうと決めている私は、朝起きて必ず歯を磨くのと同様に、寝る前に必ず本を読んでいる。
物語の世界では、よく人が死ぬ。
暇さえあれば小説を読んだり映画やアニメを見たりして日々過ごしているわたしは、それらの物語の中でいくつもの死に直面し、死は誰にも平等に訪れるものだということを、幼い頃から頭に蓄積してきた。
 
それがいま、爆発したのかもしれない。
 
きっかけは、昨年社会人になり仕事をするようになってからだ。
 
「来年は〇〇もできるようになるよ」
 
「3年後、10年後はどうなっていたい?」
 
「10年後は主任や係長に、20年後は課長に」
 
前職での新入社員研修や先輩たちとの会話の中で、幾度となく未来の自分に問いかけられた。
また、自分でも問いかけていた。未来の話。この会社で、どんなふうに働いていたいかという。
その度に、「うーん」と悩みながら答えて、研修ノートにありふれた言葉を綴り、それが私の未来なんだと、納得してきた。いや、本当は納得なんかしていなかったけれど、「この会社で思い描ける全ての未来」は、「他人から信頼される人に」「後輩の気持ちが分かる先輩に」というありきたりな人間像でしかなったのだ。
新入社員のわたしは、より具体的な、1年以上先の未来を思い描こうと躍起になった。もっと「納得できる」答えがいい。その理想を追いかけて走り続ければ間違いないんだという未来。
納得。
未来。
わたし。
 
けれど、わたしの頭の中は真っ白になるのだ。
 
1年後。
3年後。
10年後。
 
わたしは、何になりたい?
この会社の中で、未来のわたしに何ができるの?
先輩たちを眺めてみたり、会社の方針を理解してみたりしたけれど、なかなか答えはでなかった。
そりゃそうだ。だって、今のわたしは「明日何をするか」を必死で考えて生きているもの。例えばこんなことがあった。2週間後が納期の仕事を今請け負っているとして、でもそれ以外にやることがない。明日も明後日も、新しい仕事が絶対に舞い込んでくるという確証がなかったため、2週間後が納期の仕事をやる以外に、まだ多くの仕事を一人でこなすことができないわたしは、何をすれば良いのか分からなかった。
 
忙しそうな先輩たちに声をかけ、仕事をもらい安心している自分がいる。
「あー、今日も仕事ができて良かった」って。定時ぴったりで帰れる姿を、あまり何度も他の社員、特に同期の子たちに見せたくなかった。他部署の同期はみんな、夜遅くまで仕事に追われていて。それなのに自分だけ、彼らより何時間も早く帰ることができる。割り当てられた仕事なのだから仕方がないと言えばそうだが、不公平だとも思う。内勤のわたしと外回りの彼らでは、こんなに差があるのか。こんなに忙しさが違うのなら、1年後についている力も違うだろう。わたしはきっと、彼らより何倍も後ろに下がって、そのことに引け目を感じながら社会人人生を送るのだろうか。
 
わたしが甘えていたといえばそうだ。
もっと大きな仕事が欲しいのなら、先輩たち以上にやる気を見せて「あなたにならもっと別のことを任せられる」と期待される可能性だってあった。部署の枠を超えて、どんどん自分の意見を発信していくこともできた。
でも、わたしはそれをしなかった。
きっと甘えていた。時間内に仕事を終えて帰れるポジションに。それでいて仕事自体も向いているものが多かったから、現状を維持することが自分を守ることだと思っていた。
ここにずっといたい。
大好きな先輩たちと、このままずっとここに。
そうすれば、私はこのまま、良いポジションのまま、社会人人生を送ることができる。
 
そんなふうに甘えていたわたしには、明日の未来さえ見えないのに、1年以上先の未来なんて、どう頑張ったって見えるはずがなかった。
 
「大丈夫、来年にはできるようになるから」
 
新入社員なら誰もが一度は言われたり、自分に言い聞かせたりするであろうこの言葉が、わたしにとって何の意味も為さないことに気づいたのは、つい最近のことだ。
 
「来年は、来年は……って、じゃあ明日死んだらどうなるの?」
 
それは素朴な疑問だった。
極論すぎて、他人からすれば、「は?」と冷ややかな視線を向けられても仕方あるまい。
 
未来を見据えて行動することが大切なことだということはよく分かる。目標は早めに立てて行動に移す。そうすれば、少なくとも目標を立てるのが遅い人よりは早く理想を実現できることも知っている。目標が高ければ高いほど、右肩上がりの大きな曲線を描かなければならない。一気に上がるのが難しいのなら、始まりを早くしてゆっくりでも上昇するのだ。そうすれば目標に手が届く。
 
そんなことは、分かっていた。
 
けれど、物語の世界で、例えば病気がちの人が事件に巻き込まれて余命より早く死んでしまったり、事故で死んでしまったことに自分で気がつかなかったり——という話をいくつも見てきた。これらは確かに物語の話だけれど、現実でも起こりうることだ。自分は明日死なないなんていう確信を、誰が持てるというのだろう。
 
考えれば考えるほど、1年後の未来——まして、10年後の仕事内容なんて、思い描けるとは到底思えなかった。
 
来年できればいいわけじゃない。わたしが生きているのは今なのだ。もし今大地震が起こったらどうする? その地震で自分や大切な人がいなくなってしまったら。日常は一転するだろう。来年やればいいと思っていたことだって、きっとできなくなる。
一度そう思うと、今何も成せない自分がもどかしくてたまらなくなった。
 
仕事中じゃなくて、家の中でも夫の前でその考えを口にしてしまうことがある。
「〇〇に行きたい」
「××に住みたい」
本気じゃなくて、何の気なしに言った言葉に、「5年後ね」なんて返されたとき。わたしも彼も、適当な希望を言っているのには違いないのに、つい、
「でも、明日死んじゃうかもしれないじゃん」と。
大体は、「んなこと」と軽くあしらわれて終わるのだが、わたしは結構本気で「明日死ぬかも」と思っていることを彼は知らない。
この「明日死ぬかもしれない」という妄想に支配されていると聞けば、おおよそ負の感情に支配されるだけじゃないかと思うかもしれないが、実はそうじゃない。
 
わたしは、「明日死ぬかも」という恐怖のおかげで、毎日「何か生産しよう」という気になれる。誰だって、もしも自分の寿命を知っていたら、それまでの人生全力を尽くすと思う。それが明日なのか数十年後かの違いがあるだけで、わたしのやっていることはそれと同じなんだ。
 
だからと言っていつもいつも気を張っているかといえばそうでもないし、休むときは休む。でも、最近だらだらしているなとか、休みの日はテレビ見て、ネット見て、ろくに外にも出ずに引きこもってばかりだというときは、何でもいいから生産すると心が晴れるのだ。こうして書き物をしたり、本を読んでレビューを書いたり。それがわたしにとっての生産であり、他の人には他の人の「生産」方法があると思う。
「明日死ぬかもしれない」という恐怖が、自分なりの「生産」につながっている。偏った見方だとは思うけれど、一見すると厭世的な考え方がプラスになるのは嬉しいことだ。
 
中高生のときには考えもしなかった、明日生きているかどうかの不確実性。これからは一生付き合っていくことになるだろう。
でも、その分いまの時間を大切にしようと思う。無理して周りの調子に合わせるのではなく、自分のやりたいことと向き合っていきたい。自分の好きなものや好きな場所、好きな人を一番に考える人間になりたい。誰かの顔色を窺って、誰も非難などしていないのに「あの人は自分のことを悪く思ってるだろう」と根拠のない敵意を感じなくて済むように。考えすぎは心に毒だ。わたしはわたしとして、この地に両足で立っているのだ。
 
明日死ぬかもしれないという恐怖があるからこそ、毎日生きていることが素敵だと思える。そんなふうに考える人もいる。もっと歳をとったら、一層その思いは強くなるんだろうか。
きっとそう。
その恐怖が強くなったら「ああ、いやだ……」と卑屈になんかなりたくない。
明日死ぬかもしれない、だから今を大切に生きよう。
未来の子どもたちに、いつかそう教えられるようになりたい。
「明日死ぬかもしれない恐怖」は、わたしにとって自分を自分たらしめる、正の感情の芽生えだった。
 
 
 
 
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2020-04-10 | Posted in チーム天狼院, チーム天狼院, 記事

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