ライティング・ラボ

卑猥料、20円。


 

記事:後藤暢子(ライティング・ラボ)

 

齢34にして、自動車学校へ通い始めた。
今までありがたいことに運転免許の必要がなかった。自慢じゃないが助手席専門で大抵のことはいけた。
しかしこの春に仕事が変わり時間に融通が利くようになったこともあって、「今なら免許をとることができるだろう」、という周りからのススメで、しぶしぶ入校した。
30を過ぎて新しいことにチャレンジすると、その新鮮さと疲労感は非常に大きい。
なんといっても、自動車学校は圧倒的に10代が集う場所なので、20弱も歳の離れた自分が同じ「生徒」として通うことへの違和感は、こちらも凄いが周りも凄かろう。その精神的な疲労感が割と辛かった。しかしそれも最初のうちだけで、誰もこちらを気にしていないと思えるようになった今では、最古参であることを妙に楽しんでいたりする。
しかしそれを差し引いても、やはりカメラや英会話など、他の趣味を始めるといったチャレンジとは格段に何かが違うのである。
そんなフィジカルとメンタルの両面に疲労感の満ちた教習所帰り。ふらりと寄ったラーメン屋で、事件は起きた。

 

さして広くない店内で、声高らかに勃つの勃たないのと喚いている酔っ払いのおじいちゃん4名。
(目視レベルだが、間違いなく4人とも勃たない。あと1杯ずつでも飲ませれば確実におねんねである)
店内で流れているテレビ放送には目もくれず、画面の向こうの芸能人10数人の塊よりもはるかに大きな声で、昔々の、きっと勃ちまくっていたのであろう頃の自慢話が芸人並のかぶせトークでひたすらに展開される。
司会のいない四天王の自慢話は、収拾がつかないばかりか秒速で度を超えていく。
おじいちゃんA、さっきは一晩で10回って言ってたのに、もう15回に上がってるよ。虚偽申告は罪だよ。
おじいちゃんB、Aに対抗して人数で勝とうとしないで。おじいちゃんに抱かれた女性ってどんな物好きだったんだろうってこっちまで妄想しちゃうじゃない。
おじいちゃんC、現在進行形で若い子数人と遊んでるとか、言わなくていいから。嘘だってバレる前に下方修正をオススメするよ、素面だったら言ってあげるのに、「それはお金が目的ですよ」って。

 

ゴールデン・ウイーク明けの労体に鞭打って二日間働いたのであろう、よれよれの単身赴任のお父さんたちも、ラーメンをすすりながら超・迷惑顔。
あぁ、男性でもこういった話が嫌な瞬間ってあるのだなぁと、別の新事実が発覚して新鮮に思う。そうだよねぇ、お父さんたちだってその気になれないときもあるよねぇ。
それともあれだろうか。内容はともかく、騒がしさが辛いだけなのだろうか。
いずれにせよ、女性一人でラーメンをすすっている私は、所在なさを通り越して、なかなか見ることのできない喜劇を特等席で見物できるVIPのような気分にさえなってきた。

 

せめて、我が父はこんなおじいちゃんにはなりませんように。
せめて、周囲の愛すべき男友達たちは、こんな醜態を曝しませんように。
今目の前で繰り広げられている喜劇は、完全なる反面教師として、良い学びの場にしよう。
そう気持ちを切り替え、どことなく食傷気味な胃袋に、最後の唐揚げを流し込んだ。

 

ほどなくしてお会計になったので、やれやれやっとのんびりできるぞと思っていた、その時。
「兄ちゃん、お会計いくらね?」
割と4人の中でもしっかりしていそうな(それでも勃ちそうにはないが)おじいちゃんDが尋ねた。
「3,060円です」
「…4人で割ってくれんね」
「…はい、少々お待ちください」

 

簡単な計算だ。
3,060円を3,000円と60円に分け、
3,000÷4=750
60÷4=15
750+15=765
そう、お一人様765円。

 

「なんだよたいして飲んでねーじゃねーかよ」と思っていたら、計算して戻ってきたバイトのお兄さんはこう言った。
「おひとり様770円です」
『!!!?』
思わずレンゲをどんぶりの中に落とし込みそうになり、顔を上げそうになった。
疲労困憊のお父さんたちの手元も一瞬止まった気がする。私だけじゃないよね、驚いたのは。
しかしギリギリで踏みとどまったのは、34年かけて醸成してきた自制心というやつのお陰だろうか。お父さんたちは、きっとその労力も残っていなかったのね。
「おぉ、770円ね、はいはい」
おじいちゃん達は小銭をじゃらじゃら言わせて、千鳥足で帰っていった。

 

お兄さん、その20円は、卑猥料ですよね?
決して今、店内にいる4人で5円ずつ山分けしようってな魂胆じゃあないですよね?
というか、あんなにテーブルの上で小銭がじゃらじゃらしていたら、あと20円くらいぼったくってもわかりはしなかった…なーんてことは、ないですよね?
あ、そうか、あんな泥酔状態で5円単位の計算は無理だと思って、心遣いで切り上げたのか。うんうん、そうだよね、優しさだよね。そうだよね…。

 

なんだかあまりにも鮮やかにぼったくられたおじいちゃん達のことが、ちょっと夢なんじゃないかと思いつつ、残りのラーメンを狐につままれたような心持ちで食べ切り、そそくさと店をでた。

 

当然のごとく、お会計は1円も値引きされていなかった。

 

 

***
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2015-07-22 | Posted in ライティング・ラボ, 記事

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