慎之助になりたかった
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記事:田中真美子(ライティング・ゼミ平日コース)
慎之助になりたかった。
あの日、私は確かに慎之助になりたいと思ったのだった。
慎之助とは、クレヨンしんちゃんでも、ピーターでもない。
巨人の主将で四番バッターだった、阿部慎之助だ。
もう10年近く前なんじゃないか。
職場の後輩に誘われてプロ野球の試合を観にいったのは。
東京ドームで、福岡ソフトバンクホークスとの試合だったのはよく覚えている。
後輩が九州男児で、ホークスファンだったのだ。
外野のビジター応援席に座り、ビールを飲みながら反対側の外野席を見渡すと、やはり巨人の本拠地だけあって巨人の応援団の数が凄かった。
野球に詳しくない私は試合の展開をいちいち教えてもらいながら、後輩の手前何となくホークスの応援をしていた。
周りの盛り上がりもあり、ルールを良く知らないながらも観戦を楽しんでいた。
試合の中盤、何となく流れが巨人に優勢だなと素人なりに思っていたところ、一際大きな歓声が上がった。
巨人の攻撃で四番バッターに打席が回ってきたのだ。
そう、当時の巨人の四番バッターは、主将である阿部慎之助であった。
応援団が大きな声でさけぶ。
「慎之助! 慎之助! 慎之助!」
慎之助がバットを振る。
「慎之助! 慎之助! 慎之助!」
慎之助がヒットを打つ。
「慎之助! 慎之助! 慎之助!」
後輩に従いホークス側の応援席にいた私もこっそり心の中でさけんだ。
「慎之助! 慎之助! 慎之助!」
多くのファンの声援を一心に受けて、四番バッターとして期待通りにヒットを、ホームランをうち、結果を出す。
その姿を観て、私はあのとき思ったのだ。慎之助になりたい、と。
試合の結果は結局ホークスが負けたように思う。
観戦の後お酒を飲んで帰ったが、一緒に行った後輩にはその気持ちは伝えられなかった。
巨人、応援してなかったし……。
次の日、野球を観にいって慎之助になりたいと思ったことを別の友人に伝えたところ、友人はやや呆れ顔で笑いながら私に言った。
「あんた、そんなこと思いながら野球観てたの?」
しがないサラリーマンである私、日々の仕事をこなすことで精一杯だ。
ミスをした時は怒られるけど、成果を出しても褒められることはあまりない(大抵いつの間にか上司の手柄になっている)。
それと比べるとどうだ。
歓声を浴びて期待に応えるべく打席に立つ四番バッターというのは、めちゃくちゃ気持ちいいじゃないか。
多くのファンから応援してもらえるというのも、相当うらやましい。
しかも慎之助は主将、スーパースターである。
当時、間違いなく彼は一軍でエースであるために血の滲むような努力をしていたであろう。
さらに、結果が出なければメディアやファンからたたかれ、降格になるような世界だ。プレッシャーも庶民には想像できないくらいハンパないであろう。
そんな超厳しい世界のプロ野球選手と、しがないサラリーマンを比べてしまうのは非常におこがましいと言える。
でも、思ってしまったのだ。
しがないサラリーマンの私だって、皆の期待と声援を一身に浴びて、頑張ってみたいんだって。
日々の仕事を淡々とこなしている人間にはそんな資格はないだろうか。
そこまで仕事に期待することはいけないことだろうか。
たしかに、四番バッターというほどの活躍は全くしていないけど、もうちょっと励ましの声があってもいいんじゃないか。
会社はエラーを責めることは得意だ。エラーで失点があった時は親の仇のように失点が出たことを責めたてるくせに、ホームランが出たときに褒めるのはすごく下手だ。
というか褒めてくれない。
さらに色んな部署で、特には不得手なことも頑張ってやらなければならない。
私は少し想像する。
上司、部下、同僚、みんながお互いを認めあい応援しあう環境であったならば、もっと気持ちよく働けちゃうんじゃないだろうか。
自分が得意なポジションで、与えられた役割をまっとうし活躍することができれば、もっと成果も出るんじゃないだろうか。
サラリーマンを野球選手に例えると、選手は現場で活躍するプレイヤー、ポジションは営業、開発、人事、総務などの職種になるだろうか。
足の速い奴もいれば、強打者がいたり、分析が得意な奴がいたり、様々な個性を持ったプレイヤーをうまく配置して勝てる采配をしないといけないのも共通している気がする。
お互いが足を引っ張ることなくサポートすることができれば、安心して仕事に精を出すことができるだろう。
ファンはお客様や取引先だ。
真摯に向き合い、良い仕事をすれば認めてくれて、ファンになってくれるだろう。
慎之助になりたかったあの日からもう10年ほど経ってしまい、今では私も上司と部下の板挟みに苦労する中間管理職になってしまった。
監督、というほどの権限は全くないのでコーチやトレーナーの立場かもしれない。
そんな私にできることといえば、会社の四番バッターになるかもしれない明日のエース候補の良いところを褒めて、励まし、育てることだろう。
きっといつかでかいホームランを打ってくれることを期待して。
***
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