見ているもの信じているものの不確かさ《リーディング・ハイ》
記事:ゆら(リーディング・ライティング講座)
中学校の文化祭前日。
特別に、準備のため、遅くまで学校に残ることが許可された。
なんとか準備を終えて、皆は、明日の本番を楽しみに帰って行った。
私は、文化祭実行委員で、まだ熱の残っている夜の校舎を見回りに出た。
見回りは、二人一組。
私のパートナーは、ちょっと苦手に思っているクラスメートだった。
彼女の何が苦手だったのか、うまく説明できないが、人見知りの私は、一度引っ掛かってしまうと、なかなか自分から壁を取り払うことはできなかった。
一階。
二階。
三階。
無言で見回りをこなしていく。
四階への階段を上りきった時、前を歩く彼女が「あっ」と小さく声を上げた。
顔を上げると、正面に大きな赤い月が昇っていた。
音の消えた二人だけの世界と赤い月。
「綺麗だね」
私が言った。
「綺麗だね」
彼女が言った。
自然と私と彼女は手を繋いで、その月を見ていた。
昼間しか知らない場所を夜に訪れた時。
休日のオフィス街。
引越しで荷物を総て運び出した部屋。
いつも見ている景色が、まったく違って見えることがある。
また、普段と違う状態に置かれた時、いつもと違った人の一面を見ることがある。
萩原朔太郎『猫町』他十七篇には、そんな実在と錯覚の曖昧さ、目で見て信じているものの不確かさを描いた「猫町」をはじめ、短篇、散文詩、随筆十八篇が収録されている。
前衛詩人として有名な萩原朔太郎。
現代において、詩を読むということは、日常的な機会としてあるものだろうか?
私にはない。
なので、一瞬構えてしまい、躊躇した。
だが、そんな心配は、読み始めるとすぐに消えた。
朔太郎の作品は、読むと、映像が自動的に再生されるのだ。
不可思議なノスタルジアや誰もが感じ得る虚無感が、目の前で滑らかに流れていく。
まるで、短編映画を観ているかのように。
収録作品の1つに『この手に限るよ』という散文詩がある。
喫茶店の愛くるしい給仕女を、とっておきの手で落とし、この手を使えば、どんな女でも自分の自由に手なづけることができるという内容だ。
ある男性が、「僕の“この手に限るよ”は、電車で眼鏡を着用し、素敵な本を読むことだ」と教えてくれた。
そんな時に、まさに、この本はピッタリだ!
彼の信じているものが確かならば、必ずや女子の視線は釘付けになるだろう。
そうなったら、さも誇らしく、大得意になって言って欲しい。
「女の子を手なずけるにはね、君。この手に限るんだよ。この手にね」と。
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