【警告】ペイトン・ファーカーに感情移入するべからず《リーディング・ハイ》
記事:toki(リーディング&ライティング講座)
電話で地元の友人Kと話していた時だ。
「なあ、話変わるけどアンブローズ・ビアスて知っとる?」
さっきまで大学の可愛い女の子について熱く語っていたKが聞いてきた。
「知らん。外国の綺麗な女優?」
「馬鹿。話変わるて言ったやろ。作家た。アメリカ人の作家」
「知らんよ。てかお前って小説読むような奴だっけ?」
Kは高校時代からの友人で、今は地元の大学に通っている。彼は、ろくに授業に出ないでラグビーばかりやっている筋肉野郎のはずだ。
「違うばい。でもさっき話した女の子が文学部だけんね。まあ……ね」
電話の先で鼻を膨らませ、顔を真っ赤にしているKを思い浮かべると俺はおかしくなった。
「その子に近づきたいけんまずは本を読むと。中学生みたいだな。お前、もうハタチ過ぎばい」
「うるさいな」
「でも、何でそのビアスなんか選んだと? 日本人作家でもよかたい。アメリカなら『ライ麦畑でつかまえて』とか『華麗なるギャッツビー』とかあるど」
「だってあの子が読んどったもん」
「ぎゃはは」
「笑うな」
「ぎゃはは。で、どんな作品読んだと」
「アウルクリーク橋の出来事」
「面白い? どんな話?」
「教えん」
「おい。教えろよ」
「絶対教えんばい。自分で読めよ。あ、もうバイトだけん切るばい」
「おいおい。長々と女の子の話に付き合わせとってそれはないよ」
「ペイトン・ファーカーに感情移入するべからず」
「え?」
Kがひどく掠れた不気味な声で言ったので思わず聞き返したが、すでに電話は切られていた。
次の日、「アウルクリーク橋の出来事」が収録されているビアスの短編集を買った。
Kの恋する女の子が読んでいた作品。日頃小説なんて手にしない筋肉野郎のKが読むことになった作品。この時点でかなり興味深い。
そして、昨日の「ペイトン・ファーカーに感情移入するべからず」というKの不気味な言葉。もう買わずにはいられなかった。
また、ビアスがどんな人物かを知ると、さらに「アウルクリーク橋の出来事」に魅かれた。
アンブローズ・ビアスは1842年生まれのアメリカ人で、ジャーナリストであり作家であった。南北戦争を北軍の一員として経験している。除隊後、サンフランシスコの新聞や雑誌に投稿しはじめ、やがて時評欄を任せられる。彼は筆の鋭さから「ビター・ビアス(辛辣なビアス)」と呼ばれるようになる。1880年末からは、妻との別居や長男の死など不幸が続くが、その間さまざまな短編が生まれた。1913年、アメリカ南部の古戦場を巡る旅に出て、内戦下のメキシコに入った後、消息不明となる。
南北戦争、「ビター・ビアス」、家庭の不幸、そして消息不明。非常に興味深い。読む前から楽しみになってしまう。一体どんな作品を彼は書いたのだろうか。
本屋から帰宅すると早速読み始めた。俺はその時、昨日のKの警告を忘れてしまっていた。
“鉄橋に立つ男がいた”
という一文から物語は始まる。鉄橋に立つ男がペイトン・ファーカーだ。彼は南部の農民である。今にも絞首刑になろうとしている。
いよいよ処刑が実行される。彼の身体が橋から落ちる。ああ、死んでしまうのか、と思いきや、なんと縄が切れ、彼は川に落ちていく。なんとか絡まった縄を解き、橋の上からの銃弾を避け、川岸に運良く辿り着く。そして、彼は森に入り、自分の家へと走りだす。
Kの警告を忘れていた俺は完全にペイトン・ファーカーになっていた。死の危機を何度も乗り越え、家に向かって走り続けた。くたびれ果てて、足が痛くなり、ひどく腹が減った。それでも我が愛する妻と子を思い、走り続けた。
縛られていた首は腫れ上がり、目は充血して閉じることが出来ない。舌も乾いて膨れている。苦しい。それでも立ち止まるわけにはいかない。
どのくらい歩き続けたのだろうか。気づけば我が家の門前にいる。門を開け、少し歩くとベランダに立つ妻の姿が見えた。
やった! 何とか逃げ切った!
美しい妻がベランダを下りて迎えてくれる。俺は歓喜して妻の元へ走りだす。
やった! やったぞ! 生きている。生きているぞ!
俺は大きく腕を広げ、彼女を抱き寄せようとすああ!!!
え? は? ああ……。
Kの警告を忘れてしまっていたことを後悔した。
ペイトン・ファーカーに感情移入してしまったがために、俺はこんなに苦しくて辛い。
残酷で衝撃的な情景が頭にこびりついてしまった。これはしばらくの間消えそうにない。
一体どうしたものか。いっそのこと読まなければよかった……。
「アウルクリーク橋の出来事」をこれから読もうと考えているあなたに、俺からも警告しておく。絶対に忘れないで欲しい。
ペイトン・ファーカーに感情移入するべからず。
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