妖艶な人妻「部活って、青春だよね」と言って、頬を染めた……《リーディング・ハイ》
記事:西部直樹(リーディング・ライティング講座)
あ、裂けた!
踏み込んだ瞬間、足裏の皮膚が裂けるのが伝わってきた。
板張りの床は冷たく、素足を凍えあがらせる。
寒さに硬くなった皮膚は、急激な伸張に耐えられず、裂けてしまう。
左足の親指の付け根、横に深く裂けているのが見えた。
痛い!
バンドエイドを貼り、その上から包帯を巻く。
少し滑りやすくなるが、致し方ない。
道場を血で汚すわけにはいかない。
「切り返し、20本」
先輩の声が聞こえる。
私は竹刀を持って立ち上がった。
「剣道部は、痛し、寒いし、臭いし、辛いことが多かったような気がするなあ。
あまりモテなかったしな」
私はしみじみと述懐する。
「オレも辛かった。かなり辛かった。男は俺一人だし、センセイは厳しいし、しびれるし……」
と友人は眉間にしわを寄せながらいうのだった。
「なに言っているんだよ、おまえは茶道部だったじゃないか、毎回の菓子が目当てだったんだろう」わたしは、薄いハイボールを舐めながら、友人の誇張を指摘する。
「あら、意外な部活していたんだ」と、妖艶な人妻がマッコリを飲み干す。
渋谷の外れのビストロに集まったいつものメンバーに、妖艶な人妻が「中学とか高校の頃、部活は何をしていた?」と問いかけてきた。
「わたしは、平凡にテニス部でしたよ」
と、華奢で可憐な彼女がラケットを振るまねをする。
「弓道部でした。的に時々嫌な奴の写真を貼って、ズタズタになるまで矢を当てていたなあ。いいストレス発散になったなあ」
と非道なことをいうのは、清楚な装いの女性だ。
「意外に武道系が多いのね。私は、見ての通りで、柔道部だった」
「何が見ての通りだよ、筋肉もなさそうだし、耳も潰れてないじゃない」と友人が指摘する。
「もう、何年も前の話だし、寝技は極力避けていたんだよね」と妖艶な人妻は切り返す。
「でも、なんで高校の部活なんかに興味を持ったの」と、レモンチューハイを片手に清楚な装いの女性が聞く。
「それは、この本を読んで、ちょっと昔のことを思い出したから」
と妖艶な人妻がバッグから取り出したのは、
『ボクシングガールズ』だった。
「中学や高校の時の部活って、無駄に一生懸命じゃなかった?」
「柔道を頑張っても、オリンピックに出られるわけでも、それで将来食べていけるわけでもないのに、朝練やって、夕方も練習、土日は練習か遠征。その合間には勉強もして……」
妖艶な人妻の瞳が煌めいているように思えた。
頬がマッコリの酔いではなく紅潮していた。
「テニスを始めた時は、ウィンブルドンを目指すとか、シャラポワと闘う、とか思っていたけどね。
ある日、気がついたの、そこまでではないなってことに。
でも、楽しかったなあ」
「わたしは、全国にも国体にも出たことあるよ。小さな大会だけど、優勝もした。でも、弓道ガールを取り上げてくれるマスコミはないからなあ」
と清楚な装いの女性は、チューハイを傾けながら嘆く。
「でもさ、何か大会とかのある部活は、ただ、それだけに燃えない?」
目を燦めかせて妖艶な人妻は言う。
「わたしは、中学は帰宅部だったんだけどね。漫画のYAWARA! を読んで、なんかこう頑張りたくなったのよね。
田舎の女子高だったし、女の子が柔道なんてもってのほか、といわれるような校風だったけど。粘って柔道部作ったんだよ、その時の臨時教員が柔道経験者だったんで、無理に顧問にさせて。
部員なんか、あんまり集まりそうになかったけど、意外と何人かやりたいっていって、でも親たちは反対するし、女子柔道はいまほど人気はなかったし。
障害が大きくて、多いほど燃えたなあ。
一緒に柔道部に入ったクラスメートが、あっという間に強くなって悔しかったり、近くの男子校の柔道部にカッコいい先輩がいたりして、
ふふ、青春だったな」
妖艶な人妻は、燦めく女子高生の青春! になっていた。
「わたしも……」
と華奢で可憐な彼女も高校時代のことを話しはじめ
清楚の装いの女性も、弓道やると右腕が太くなるの、と腕まくりをし
友人は、痺れない正座の方法を説明しはじめた。
わたしは、「ボクシングガールズ」を手に取り、読みはじめてた。
酒のよいだけではない、心地よい青春の酔いがあった。
少し泣けてきた。
剣道をしていて裂けた足の裏の痛みを思い出していた。
あの痛みは、思い出すと、少し甘い。
取り上げた本「ボクシングガールズ」澤田文 TO文庫
………
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