祖父の葬式を思い出し、ある英単語の意味を必死に考える《リーディング・ハイ》
記事:菊地功祐(リーディング&ライティング講座)
「earn」
英和辞典によると、「〜を稼ぐ」「〜を得る」という意味を持つ。
earn fameで「名声を得る」。
earn ¥800で「800円稼ぐ」という意味になる。
受験勉強の時も、「earn」を「〜を稼ぐ」という意味で覚えていたと思う。
どの英単語帳を見ても、「稼ぐ」や「得る」という意味でしか記載されていない。
しかし、「earn」という英単語には知られざる深い意味が込められていたのだ。
日本語では表現しきれない、深い意味が……
今思うと、その深い意味を初めて体感したのは祖父の葬式だったと思う。
祖父が亡くなったのは、私が小学4年生の時だ。
一家の長男として生まれ、初孫ということもあり、私は祖父にだいぶ可愛がられたと思う。
夏休みが来るたびに、祖父の実家がある神戸に連れて行かれた。
大震災から復興を遂げ、活気を取り戻しつつある神戸。
よく神戸のハーバーランドに連れて行かれたのを覚えている。
淡路島にも連れて行ってもらった。
淡路海峡大橋を見て、子供の私は大興奮したものだ。
祖父は戦時中、空襲から逃れるため淡路島に疎開して、なんとか生き延びたという。
神戸から広島までの工業地帯も何度か空襲の被害にあったらしい。
空襲警報が鳴り響く中、祖父は生き延びたのだ。
戦争後は、貧しい暮らしを経験し、その後自営業を営んだという。
そして、祖母と結婚し、私の父親が生まれた。
孫である私が生まれて3年後、阪神淡路大震災が起こった。
祖父の家は、なんとか無事だったが、家の周りのほとんどが壊滅したらしい。
すぐ近くにある首都高速道路も横になぎ倒された。
当時3歳だった私は、ほとんど記憶に残っていないが、東京にいた私の父と母は
だいぶ慌てていたようだ。
いつまでたっても電話がつながらないのだ。
数日経ってから祖父の安否が確認できて、つい泣いてしまったという。
戦争を経験し、神戸を直撃した大震災という未曾有の危機を経験した祖父。
結局、ガンで亡くなった。
小学3年生の時、神戸の家を訪れたら、祖父は足に湿布を貼っていた。
「なんか足が最近痛いんだよね」
そう祖父は言っていた。
数日が祖父は体調を崩し、入院した。
足にできた痛み……
それは、胃にできたガン細胞が足に転移していたものだったのだ。
ガンを発見した時は、もう手遅れだった。
家のベッドで横になっている祖父。
「最後は自分の家でゆっくり逝きたい……」
そう親戚につぶやいていた。
夏休みを利用して、祖父の家に行くと、
驚くほど衰弱している祖父がベッドで横になっているのだ。
声すら聞き取れないほど、肉体が衰えていた。
正直、そんな祖父を見るのは怖かった。
祖父の前から逃げ出したくなってしまった。
夜、私は祖父の隣で眠ることにした。
ガンの転移による体の痛みで、夜中うめき声をあげる祖父。
そんな祖父の姿を私は近くで見守っていた。
祖父は数日後に亡くなった。
葬式はとても華やかなものだった。
自営業を営んでいた祖父は、周囲の人から信頼され、とても人望があったみたいだ。
会場には祖父の葬式に出席する人が大勢来ていた。
中央の棺桶に収められた祖父の姿。
体が硬直しているが、今にも元気に起き上がってきそうな気がした。
初めて人の死というものを見て、私は動けなくなってしまった。
泣きたくても、今の自分の感情がわからなかったのだ。
あたりを見渡してみると、泣いている人が大勢いた。
私はただ呆然としていた。
この感情をどうすればいいかわからなかった。
そして、ふと周囲を見回して、親戚が祖父を取り囲んでいる様子を見てみると、
なんだか感慨深いものを感じた。
ここにいる誰かしら欠けていたら、今の自分は存在しなかったのかもしれない。
もし、祖父が戦争で生き延びず、私の父を生まなかったら、私は存在しなかったんだ。
自分の力ではどうしようもない、何か大きな力に支えられているような感覚がした。
ふと、何かに「生かされている」ような感覚がしたのだ。
映画「プライベート・ライアン」のラストシーン。
ドイツ兵との攻防戦を終えた後、橋の上でトム・ハンクス演じるミラー大尉は、ライアン二等兵に耳元でこう囁いた。
「Earn this. Earn it」
日本語訳では「無駄にするな……しっかり生きろ」と訳されているが、
英語ではもっと深い意味が込められている。
「earn」は「〜を得る」という意味があるが、
労働や努力による正当な対価として得るというニュアンスが込められているのだ。
「Earn this. Earn it」
thisは第二次世界大戦で犠牲になった仲間たち。
itはその犠牲によって得ることができたこれからの自分の人生のことを指すといわれる。
多くの仲間の犠牲のもと、今の自分の命を得られた。
大勢の命があってこそ、今の自分があるのだ。
だから、それに報いるだけの人生を歩めという意味が込められている。
この映画を見たとき、特にこのラストシーンのセリフを聞いた時、
祖父の葬式の光景が頭の片隅に浮かんできた。
多くの人に支えられて今の自分の命がある。
50年、100年前の自分の祖先……
誰かが欠けていただけで、今の自分は存在しなかったのだ。
大昔にいた多くの人々に支えられて今の自分がいる。
そのことを忘れてはいけないのだ、きっと。
「プライベート・ライアン」 1998年 監督スティーブン・スピルバーグ
………
「読/書部」のメンバーになり直近のイベントに参加していただけると、記事を寄稿していただき、スタッフのOKが出ればWEB天狼院の記事として掲載することができます。
また、直近の「リーディング&ライティング講座」に参加いただくことでも、投稿権が得られます。
【リーディング・ハイとは?】
上から目線の「書評」的な文章ではなく、いかにお客様に有益で、いかにその本がすばらしいかという論点で記事を書き連ねようとする、天狼院が提唱する新しい読書メディアです。