虚構の世界は虚構ではなかった
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:うらん(ライティング・ゼミ)
「ほら、ゆうちゃん、牛!」
背後で年配の女性の声がした。
そっと後方に目を向けると、6,70代ぐらいの女性と、その孫らしき4,5歳の男の子が座っている。
東京ディズニーランドの「ウエスタンリバー鉄道」に乗っていたときのことだ。
蒸気機関車で熱帯のジャングルと開拓時代のアメリカ西部を駆け抜け、列車はいよいよ終盤の「太古の恐竜の世界」にさしかかっていた。真っ暗なトンネルを抜けると、そこに現れるのは恐竜たちだ。
そのとき聞こえたのである。
「ほら、ゆうちゃん、牛!」
ええーっ。牛じゃないでしょ。恐竜でしょ。
私はドキドキした。このままでは、こどもが恐竜を牛だと勘違いしてしまう。
「ちがうよ。きょうりゅうだよ」
男の子が、すかさず答えた。
ああよかった。子どもはちゃんと分かっている。
「列車が渋滞していますので、しばらくお待ちください」
場内にアナウンスが流れた。
あと少しで降車地なのに。
「じゅうたいってなに?」
「前に列車が詰まってるの」
「どうして?」
「その前にも列車が詰まっているから」
孫とお祖母さんのやりとりが聞こえる。
「どうして? どうして、そのまえのれっしゃがつまってるの」
「そのまた前の列車が詰まってるから」
「どうして?」
「そのまた前の前の……」
「どうして?」
この会話、いつまで続くんだ? エンドレスじゃないのか。
「ぼく、しってるよ。れっしゃたちは、きょうりゅうをみたいんだよ」
子どもが得意気に言った。
ええ? そうなの? それでいいの? そういう答えでいいわけ? そういう答えってアリなわけ?
子どもというのは、「どうして」とよく問いかける。
そうやって、いろいろなことを大人に教えてもらいながら、知識をつけ、成長していくのだろう。
子どもを持つ親は大変そうだ。なんでもかんでも「どうして」と訊かれている。
明確に答えられる質問ばかりではない。「理由なんてないの。そういうものなの」、「世の中、そういうことになっているの」と答えたくなる問いかけも多いだろう。
それでも大人は、何とか説明しようと試みる。
だが、ときに、子どもは自分なりの理屈を考えついて納得するときがある。大人からすればどんでもない理屈であっても、子どもにはそれがいちばん腑に落ちる答えなのだろう。
「列車が渋滞するのは、列車たちが恐竜を見たかったから」というのは、単に渋滞の現象を説明しているだけではないと思う。子ども自身に、もっと恐竜を見ていたいという気持ちがあったからこそ、その気持ちが反映してこの答えになったのではないだろうか。だから、納得したのだと思う。
このとき、私が振り向いて、「列車の乗り降りに時間がかかっているの」とか、「間隔を空けずに次々と列車を出発させるから、こういうことになるのよ」などと説明したとしても、子どもは納得しなかったに違いない。
この子は、自分の中にストーリーを作っている。列車が渋滞しているという事実と、恐竜を見ていたいという気持ちとを結びつけて、ひとつのストーリーにしている。
なぜだろうと思ったり、衝撃を受けたりしたことについて、道理のとおった説明では納得できないこともある。心にストンと落ちないことがある。そんなとき、自分なりのストーリーが助けになる。
私は、数年前にある病気をして、そのことによって身体面にも生活面にもいくつかの支障をきたしてしまった。
骨にも影響が及んだ。体型も変わってしまった。ああ、もうあんな洋服が着られなくなった、こんな洋服が着られなくなった。もうあそこにも行けない、ここにも行けない。こんなこともできない、あんなこともできない……と、できなくなってしまったことばかりを考えてしまう。
平日の昼どきに街を歩いていると、会社員たちがこぞってランチに繰り出す姿を見る。
そんなとき、ああ、もうあの世界には戻れないんだと考えてしまい、胸がキュンとなる。ああいういう世界とは無縁の人になってしまったのだと思い、心が萎える。
では、その頃がそんなに楽しかったのかというと、実はそうでもなかったような気もして、本当は気疲れしていやだなと感じていたようにも思うのだが、そのことには深くは目を向けない。ただ「できなくなってしまったこと」だけを拾いだしていた。
自分が宙ぶらりんの存在のように思えた。どこにも居場所がないように感じた。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。どうして私にこんなことが起こってしまったのだろう。どうして、どうして、どうして……。
できなくなってしまったこと、失われてしまったことばかりが頭に浮かび、「どうして」ということしか考えられなくなっていた。
このとき、私が求めていた解は、「骨密度の極度な低下により脊椎が弱まり、それによって……」といった医学的事実ではない。そんな科学的説明では納得いかない何かが、私の心にあったのだ。
その答えが欲しくて、手あたり次第に本を読んだのだった。医学書も、心理学の本も、思想家の本も読んだ。映画も観た。ドキュメンタリーも観た。
何かを読むたびに、何かを観るたびに、答えを得られたような気がして、「ああ、これだ」と思う。だが、すぐにまた、それは頭の中から消え去ってしまう。そして、更なる答えを求めて、次の「何か」を探るのだ。
そんな頃だ。天狼院書店のライティング・ゼミの記事が目に留まったのは。
天狼院書店の存在は、以前から知っていた。ライティング・ゼミのことも知っていた。
ただ、今までは、受講しようとも思わず、情報は頭の中を素通りするだけだった。
ところが、10月開講のライティング・ゼミの記事にだけは、なぜか心が動いたのだ。受講しなければ。そういう強い思いが湧いたのだった。
受講料の四万円という金額は、私にとっては高額である。いつもならそうやって、「やらない理由」を見つけ出す。そして、自分にブレーキをかけてしまう。
でも、このときばかりは違った。
四万円は何とかなるさ。
そんな、何の具体性もない、説得力のない理屈で、自分の決意を後押しした。
同じようなタイミングで、友人からホームパーティに誘われたのだった。
主催者はその友人ではない。友人のそのまた友人で、私の面識のない人だ。複数の人が集まるらしく、誰を連れてきてもいいという。
その頃の私は、体型のことを気にして他人に会うことに臆病になっていたのに、なぜかこのときは、行こうという気になったのだった。
その集まりに行ってから知ったのだが、その主催者は趣味で占いもやるという。どうやら私の友人は、それが楽しみで顔を出したようだ。
友人が占ってもらっているのを見ていたら、せっかくだからと私の分も占ってくれた。
訊かれたのは、名前と生年月日だけである。相手は、私のことについてそれ以外に何の情報もない。
その人は、私の左手の手のひらをしばらくながめて、すっと顔をあげた。そして、こう言ったのである。
「あなたは、文章を書く星の下に生まれました」
あなたは文章を書く星の下に生まれました。
この言葉を聞いたとき、私の身体のなかで「ジャワーン」と銅鑼の音のようなものが鳴ったような気がした。そして、それがいつまでもいつまでも反響しているような高揚感に包まれた。
いままでバラバラになっていて、なかなかはまらなかったパズルが、このときピターッときれいに納まったような、そんなスッキリした感覚があったのだ。心理学でも哲学でも解消できなかった私の問いの答えが、このときやっと得られたような気がしたのだった。
それぞれ独自に起こっている出来事が、あとから思うと、意味があって繋がっていたと感じることがある。それらが、何かとてもいいことに繋がっていくことがある。
方向性を見失って途方にくれていたときに、ライティング・ゼミの募集期だったこと、たまたま占いをしてもらったこと、ここには紹介していないいくつかの出来事も続いて起こり、
そうしたことをつなぎ合わせて、ようやく「いま私はライティングに気持ちを傾けていればいいのだ。他に何も考えなくていいのだ」と思えるようになった。
身体のことについて、原因なんて考えても仕方がない。文章を書くという方向に進むために、こういうことになったのかもしれない。そんなふうにも考えられるようになった。
他人からみれば、かなりのこじつけかもしれない。ばかげた理屈かもしれない。素人の占いなんて、何の説得力もない。
でも、このとき私を救ってくれたのは、こうした私だけのストーリーなのだった。
どんな科学よりも、どんな思想よりも強い力を持っていたのは、私なりのストーリーだった。
ときに、自分の中に湧き起る「どうして」に対し、日常世界の常識が通用しないことがある。
そんなとき、自分なりのストーリー、自分だけの物語が、救いになる。
「19歳で母を亡くし、そのショックでその前後の記憶が二年間ぐらいないんです。申し訳ないけど、その頃の友達を覚えていないんですよ。それなのに、その頃に見た映画やドラマは鮮明に覚えてる。きっと、人は傷ついたとき、虚構の力が本当に沁みるんだと思うんです。きっと、そういうものがないと、生きていけない……」
脚本家の中園ミホが、つい先日の番組でそう語っていた。
私はこの話を、自分のオリジナルのストーリーで救われた私自身の経験と重ねながら聞いて、深く理解できた気がした。
人は、言葉を話すことができる。それを用いて、物語を作ることができる。
昔から、人は生きていくうえで不可思議なことにいくつも出会ったであろう。今でこそ、科学が進んで多くの事象が解消されているけれど、当時は、天体のことや自然現象で、謎に思うことが今よりずっと多かったに違いない。
そうした謎や衝撃や感動を理解するために、あるいは説明するために、神話が生まれたのではないだろうか。
「なぜだろう」と疑問に思うことは、自然現象についてばかりではない。他人との関わりについて、自分の内的世界についても、問いたいことは生ずる。
そうした戸惑いを解消するために、昔話が生まれ、童話が生まれ、物語が生まれたのだろう。
物語の力を借りて、自分の中に生じた「どうして」を心に収めたのだと思う。
現代では、例えばips細胞という万能細胞が作られるほど科学は進んでいる。人類が宇宙に行けるほどテクノロジーは発展している。
こうした自然科学は、世の中の出来事を理解するのに大いに役に立つ。
でも、自分の心の中に生じた問いかけに対して圧倒的な力を持つのは、これら自然科学ではなく、物語なのだ。
大切な人を亡くしたとき、大きな衝撃を受けたとき、深い悲しみを抱えているとき……、人は行き場を見失っているときに、物語の力に助けられることがある。
どんなに科学が進もうと、人は物語に支えられ、物語に救われているのだ。
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