ライトグレーな偽善者になりたい《リーディング・ハイ》
記事:中村 美香(リーディング&ライティング講座)
「これって、いいことなんだと思うけど、『いいことしてるね』って褒めてほしい気持ちが、どうしてもあるんだよね」
生き方とか在り方の話ができる友だちと、その日もまた、熱く語り合っていた。
「そんなあなたには、この本がおすすめ!」
そう言って、友だちが紹介してくれた本が、この『偽善入門』だった。
私は、いわゆる“いいこと”をしたいと思って実行しながらも、そこに、自分の欲が見えると、自分自身にがっかりしてしまうことがある。
もし、目の前に困っている人がいて、自分ができることであれば、手を差し伸べたいし、役にも立ちたい。
だけど、やっぱり「ありがとう」と言ってもらいたい。
できることなら、“いいこと”をしていると評価されたい。
そんな気持ちがあることは、否めない。
私は、何事にも、白黒つけたがるところがあって、グレーな状態だと、なんだかソワソワする。
「善」と「悪」なら、できるだけ、「善」を取りたい。
だけど、「善」をやっているつもりでも、自分の欲のような黒い部分が見え隠れしていることにふと気がついて、嫌な気持ちになる。
いいことやっている自分が好きなんじゃないか?
人に褒めてもらいたくてやっているんじゃないか?
そう言った邪な気持ちがある以上、すでに「善」ではないとすると、これは何になるのか?
「悪」なのか?
いや、「悪」にしては、そんなに真っ黒ではない。
では、なんなのか?
ん? 「偽善」? ああ、そうか「偽善」か! 偽の「善」か! そうかもしれない……。
「偽善者」という言葉は、私にとって、イメージが悪い。
むしろ「悪人」の方が、潔いのではないか? とさえ、思ってしまう。
とはいえ、「悪人」になりきる程の根性も勇気もなくて、ここまで生きてきた。
そもそも、「悪人」になりたいわけではないけれど、「善人」になりきれないのだとしたら、「悪人」になるしかないのではないか? と、時々、いわゆる“わるいこと”をやってみようとすることもあるけれど、ことごとく、情けない形で終わってしまう。
例えば、授業中に寝たことなんてなかったのに、高校生の時に、一度、すごく眠くて、寝てしまったら、気がついたら、鬼のような形相の先生が目の前にいたことがあった。
いつも信号を守っているのに、急いでいて、自動車が来ないことを確認して、渡ったら、すれ違った年輩の男性に
「お母さんが、信号無視してどうする! 子どもに、いい手本を見せないとダメだよ!」
と、言われてしまったこともあった。
また、中学の必修のクラブ活動で、希望のクラブに入れず、友だちと3人で、不本意ながら、創作ダンス部に入ることになった。
私は、気が進まないまでも、授業に出ようとしたら、残りの2人が、授業をサボると言った。
迷った末、私も、流されるように、一緒にサボったら、先生に泣きながら
「どうして、授業に出てくれないの?」
と、追及された。
しかし、その言葉は、私だけに向けられていて、友だちふたりは、そっぽを向いて、我関せずだったこともあった。
ああ、どうして、こうも、要領が悪いのだろう?
みんな、うまく、やっているのに……。
私は、いつも運悪く、捕まってしまうんだろう……。
そんな経緯もあって、私は、迷うと「善」を取る。
だけど、その時、純粋な「善」に交じって、黒いものがついてくる。
黒い紙に、墨が垂れたって目立たないけれど、白い紙に、墨が1滴でも垂れたら、目立ってしまう。
そういうことなのか?
だったら、自分の「悪」の部分が、他人や、自分自身に、違和感を感じられやすいということは、「善」に近いということなのだろうか?
私の旦那は、私に輪をかけて、人助けをする。
「どうして、そんなに、人を助けることができるの? 邪な気持ちはない?」
失礼を承知で聞いてみた。
「うーん。どうだろう? あんまりないかな?」
「本当に?」
私は耳を疑った。
「自分がやりたくてやってるからさ。それに、やりたくないときはやらないし」
「へー」
意外だった。そんな人もいるんだ。しかも身近に。
「私はさ、お礼を言ってほしい気持ちがあるんだよね。それに、『偽善者』だって言われたくないし……」
「『偽善者』って言われたっていいじゃない?」
「え?」
「やりたくてやっているだけだから、別に他の人がどう思おうと関係ないじゃん」
「うーん」
納得が、いかない私に向かって、旦那は、
「まあさ、やっぱり、『ありがとう』はできたら聞きたいけどさ、言わない人だったら仕方ないじゃん。そういう人なんだな! と思うだけさ」
と、笑って言った。
うーん
『偽善入門』を読み進めて、私は、戸惑った。
今まで、「善」と思っていたことが、「偽善」であるとされていたり、あるいは、「悪」でさえあると、書かれていたからだ。
しかし、希望も、もらった。
「偽善』には、グラデーションがあるというのだ。
「偽」にスポットを当てた90%の「偽善」もあれば、「善」にスポットをあてた10%の「偽善」もある。
そうか! ライトグレーな「偽善」でいいんだ!
真っ白じゃなくたって、真っ白に近づこうとする気持ちが大事なんだ!
受け取る側の心持ちで、同じ「偽善」も、「偽」と受け止められるか、「善」と受け止められるか、変わるらしいとも知った。
グサグサと心に刺さりながらも、ふんわりと包み込んでくれるような本だった。
だけど、正直、全部を理解することは、できなかった。
読み手の心持ちに、左右される本なのかもしれない。
この本も、また、受け取るこちら側の心持ち次第で、毒にもクスリにもなるのかもしれない。
『偽善入門』小池龍之介・著 小学館文庫
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