リーディング・ハイ

おんなのけものみちにはコテを持って《リーディング・ハイ》


kemono

 

記事:伏島恵美(R&W講座)

 

「スナックサイバラ おんなのけものみち」

いかにもスナックという雰囲気で、なぐり書きしたような黒の文字が紫色の看板の上に踊っています。しかもお店の前ではウィスキー瓶を片手に持った女性が呼び込みをしているではありませんか。

「いらっしゃあぁい」

ド派手なドット柄のトップスと紫色のスカートにエプロンを重ねて、アイシャドーやチークもこってりと。フル装備です。

「祝開店 西原理恵子様」

店の周りには開店を祝う特大の花輪が置かれています。

笑顔で帰宅途中のサラリーマンに声を掛ける、あの女性がなんだか気になってきました。私はお酒が弱くて、実は居酒屋とスナックの違いがよくわからないほど、酒場音痴なんです。どうしよう、ぼったくりとかだったら。でも気になる。3分ほど悩んだ末、そういえば好奇心猫を殺すって諺がどこかの国にあったよね……とビビリながらお店の扉を開けたのです。

 

その時はある朝突然やってきました。母親が嘔吐と下痢を同時に起こして救急車で運び込まれたのです。「天井が回ってる!頭が痛い!気持ち悪い!気持ち悪いぃ」と悲鳴を上げて、パニック状態。嘔吐と下痢で部屋に臭気が広がっています。どうしよう。どうしよう。たまたま有給で実家に帰っていた私は目の前の現実に気持ちが追い付かず、ただただおろおろするばかり。尚も嘔吐を繰り返す姿を見て、会社に行こうとしていた父親を呼び止めるのが精いっぱいでした。

 

 

メニエール病。それが病院に運び込まれた母親に下された診断結果でした。身体を回し続けると平衡感覚がおかしくなって気持ち悪くなりますが、それが数分間も続く状態なのです。回復に一か月を要すると告げられた時から、まともに歩くことができない母親の看病と自分の仕事のダブルワーク生活が始まりました。

 

母親の看病に加えて、掃除、洗濯、家事が私の肩にかかってきました。もちろん父親もいたけれど、入院手続きをすませただけでげっそりとしてしまうくらいなので、家事でも頼もうものならぶっ倒れかねません。弟たちは独立して家を出ています。わたしは自分だけで抱え込み、乗り越えようとしました。なんとかしなきゃ。自分で全部やらなきゃ。ただただ毎日やってくる仕事と看病をこなすことしか考えることができなかったのです。1週間…2週間…3週間…時間は過ぎ、私は自分の身体が悲鳴を上げていることに気づきませんでした。いや、ちょっと違う。気づいていたけど無視したのです。今、それどころじゃないんだよと。なにも見えていませんでした。

 

いつものように朝食を食べさせて、薬を飲んでもらい、母親を寝室まで肩を抱いて運び、布団を掛けようとした時のことでした。

 

横になり、目をつぶっている母親の顔を見ていたら急に怒りがわいてきたのです。

 

私、これから洗濯機回して、食器も洗って、会社に行って働かなゃいけないのに。私、看護してるせいにだなんてできないから仕事も本当は毎日毎日失敗しないかとすごい怖いのに。それなのに、どうして、何も知らないように目を瞑っているの? あたしがこんななのに。ねえ、どうして? 極めて自分勝手な思いを怒りに変えてしまったのです。

 

気が付いたとき、私は母親の太ももを叩いていました。「痛い」と声があがりました。何のために私は看病をしているのか。なんのために自宅を放っておいて実家から会社に行っている? 母親に元気になってほしいからでしょう? それなのに母親を叩いてどうする。自分が情けなくて情けなくて涙が滲みました。およそ人に暴力をふるうなんてしたことのない自分が母親を叩いたこともショックでした。そこまで自分が追い詰められていたことも、そこまで追い詰めたのは母親でも誰でもなく自分自身であることもくやしくてたまりませんでした。私は母親へ看病を通して愛情を伝えようとしました。でも、本体の自分自身のことは顧みもしなかったし、それが、結果的に母親の太ももを叩くという行為へつながったのです。このことは母親の病気が治った後も私の中の悔いとして残りました。

 

愛せない人生は地獄だから。愛させてくれて、ありがとう。

 

スナックサさいばら おんなのけものみち 生きてりゃいいじゃん、笑っとけ編にはこんな一文が出てきます。それを読んだとき、私はそのときのことを思い出したのです。

太ももを叩いたことを必死で謝った時――母親はどうしたか。

母親は大して気にした風も見せず、微笑んでいました。そして何事もなかったかのように、また眠ろうとしたのです。

 

ああ、そうだ。私は確かにお母さんの太ももを叩いてしまった。余裕ないし、工夫も足りない看護だった。人の力も借りることもおもいつかなかった。でも、たしかに私はお母さんによくなってほしいと思ってすべてを動かした。だから、もう、自分を責めるのはやめよう。わたし、確かにお母さんを愛せたんだからーー。それでいい。私の中で悔いが受容へとひっくり返ったのです。

 

スナックさいばら おんなのけものみちの中にはたくさんの女性の人生が出てきます。それに答える西原さん自身の人生も生半可ではありません。男性と同じく女性の人生もけものみち。だからこそ、いろんなマイナスをコテでプラスにひっくり返して笑って生きよう。西原さんからのそんな力強いはげましが沁みてくる本です。

 

 

  
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2016-10-24 | Posted in リーディング・ハイ, 記事

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