リーディング・ハイ

傷だらけの天使が、凍てついた卑しい街を走る《リーディング・ハイ》


winterbeat

記事:西部直樹(リーディング・ライティング講座)

 

 

冬のシカゴは寒い。

寒さが、骨身に染みる。

 

スティーブンソン高速道路を降りて、街をゆく。

あと少し走れば、ミシガン湖だ。

湖畔の風が、肌を刺す。

 

その凍てついた街を彼女は走っていた。

 

 

 

わたしはシカゴに行ったことはない。

でも、馴染みの街だ。

 

シャーロック・ホームズのファンにとって、

ロンドンのベーカー街221Bが馴染みであるように。

 

シカゴの街は、「読み馴れた」街だ。

 

はじめて、シカゴの彼女に出会ったのは、30年も前のことだ。

美しくて、聡明で、剛胆で、喧嘩っぱやくて、そして、背負ったものは投げ出さない。

 

彼女の名前は、 V.I.ウォーショースキー なかなかすらりとは読めないけれど。

 

女性の探偵が主人公のお話は、ほとんどなかった。

女性が、サム・スペード(ハメットが描いた探偵)やフィリップ・マーロウ(チャンドラーが創造した探偵)のようにいけるとは思っていなかった。

 

でも、 V.I.ウォーショースキーは、軽やかに先輩男性探偵たちを超えていった。

 

それまで、女性の私立探偵に会ったことはなかった。

 

いや、ある、一度、

彼女が探偵と呼べるなら。

渋谷の雑居ビルの片隅であった。

彼女は、生身の探偵だ。

探偵事務所というよりは、興信所のようなところだった。

日本の興信所と探偵事務所の違いはどこにあるのかはわからないけれど。

 

彼女は、わたしの話を聞くと

結果は、お手紙で差し上げます。

(当時は、メールはあまり普及していなかった)

と、告げてきた。

そして、

「どんな結果になっても、ご連絡しますので」と念押しをしてきた。

わたしは頷くと、規定の料金を払ったのだった。

 

女性探偵との邂逅は、十数分間だけだった。

数日後、わたしの依頼の結果が届いた。

どんな封筒に入っていたのかは忘れてしまった。

ただ、差出人は何かの企業名になっていたと思う。

興信所というか、探偵事務所からの手紙とわからないようにという配慮である。

 

結果は、残念なものだった。

最初から、残念なことになるだろうなあ、とは予想をしていた。

でも、実際残念なことになる、というのはまた心が折れるものだ。

 

彼女、もう名前も忘れてしまった女性探偵は、

この簡潔な報告書を書くために、こんなことをしたのだろう。

わたしの依頼を聴き、いくつかのことを確かめたあと、現場に行ったのだろう。

 

まわりの人にそれとなく確かめたに違いない。

興信所というか探偵事務所とわからないように、さり気なく。

ターゲットを見つけたら、彼女は相手にこう告げただろう。

「少しお時間頂けますか? お話をしたいことがあるのです。あ、わたしはこういう者です」と、名刺を渡しただろう。

名刺には柔らかい、女性らしい組織の名前が書いてあるはずだ。

○○興信所とか、□△探偵事務所とは書いていない。これでは相手は警戒をしてしまうから。

そして、相手にわたしが依頼したことを告げたはずだ。

 

相手はそのことに、戸惑い、惑い、困惑したのだろう。

覚えのないことだから。

 

その答えを聞いた女性探偵は

「わかりました、そのことを依頼人にきちんと伝えておきます」

と言って、その場を去っていっただろう。

相手は、その言葉に少しホッとしたかもしれない。

 

わたしが依頼したのは、ある女性への告白の代行だった。

勤めていた会社の別のフロアの女性が気になっていた。

そこに、「初恋の人探します! 初恋探偵○○」という記事をどこかで見たのだ。

初恋の人かあ、あの人はどうなっているのだろうと、思いつつ記事を読むと、

初恋の人を探す○○万円、告白の代行○千円とあった。

初恋の人は気になるけど、今気になる人の方が大事だ、安いし。

 

と、思い立ち当時は草食系青年だったわたしは、その初恋探偵○○にお願いをしたのだ。

気になる人を探し出し、依頼人の依頼事項を伝える。

人捜しをするとことでは探偵に他ならない。

告白の代行が探偵業務に当たるかどうかは別として。

 

そして、女性探偵は、結果の報告書を送ってきたのだ。

「残念ながら、○○さんは、あなたのことは知らない、記憶にない、見かけた記憶もない、ということです。

今回は残念なことになりましたが、この結果を胸に、次の出会いに期待していただきたいと思います」

というような内容だった。

やれやれ。すっぱりと振られたわけだ。

 

それ以来、女性探偵にはあってはいない。

 

探偵の仕事の大半は、このような報告書を書くことのようだ。

 

ヴィック(V.I.ウォーショースキーの愛称)も、依頼人への報告書をいつも書いている。

報告書を書かなくては、請求書の金額を払ってくれない。

 

 

出会いから三十年あまり、

彼女もアラフィフになっていた。

 

若くはない、しかし、老いたとまではいかない。そんな年代だ。

若くないから、無茶はできない。

老いたとは言えないから、体を張っていくこともできる。

 

クラブの外で銃声が聞こえたら、

逃げ出すでもなく

その場にへたり込むだけでもなく

銃声の聞こえた方へいってしまう、

彼女は剛胆で、優しい。

 

そして、銃で撃たれ倒れた女性を見たら

駆けより、体にあいた穴に自らのスカーフ(安くはなかった)で、血止めをし、

地面に伏している人の背に、自分が着ていたコートを広げる、コートが血まみれになることを厭わずに。

 

デビュー作に比べると、倍以上の厚さになった本書、

しかし、その厚さは感じなかった。

ヴィックの活躍に心を奪われ、ページを捲るのももどかしかった。

 

厳寒のシカゴを走り回ったヴィック。

シカゴの街は美しい、グーグルのストリートビューで確かめた。

しかし、片目をつむれば、美しいばかりでなく、その裏には、卑しい顔も持っている。

その卑しい街をヴィックは、疾走していた。

 

 

・紹介した本 ウィンター・ビート サラ・パレツキー著 ハヤカワ文庫

 

  
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2016-12-14 | Posted in リーディング・ハイ, 記事

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