作り物のやさしさじゃ、いけませんか?《リーディング・ハイ》
記事:木村保絵(リーディング&ライティング講座)
はぁ。なんでみんなそんないい人なんだろう。
人の集まりから帰って来ると、いつも悲しい気持ちになる。
みんなはあんなにいい人なのに、なんでわたしはこんなに嫌な人なんだろう。
やさしくなりたいと思って努力をしてみても続かない。
うまくいって人に好かれると、不安になる。
これは、本当のわたしじゃないのに。
なんだか騙してるみたい。
そんなとき、こどもの頃に読んだ1冊の本を思い出す。
誰かを思うきもちが、奇跡を起こす物語。
意地悪なわたしも、やさしくなりたいと思える物語。
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まだ幼い頃、世の中怖い物なんて、何もないと思ってた。
欲しい物があれば、手に入るまで泣き叫ぶ。
ジャマなものがあれば、何が何でも力づくでどかしていく。
自分より倍以上大きな男の子達に「どけよ、チビ!」と言われれば
「いやだね、ベーだ!」と舌を出す。
「うちにお兄ちゃんいるんだからね! お兄ちゃん呼んでくれば、あんた達なんて、倒してくれるんだから!」
エラそうに叫ぶ幼い娘の声を耳にし、母はどうしていいものか、部屋の中で困ったという。
兄は、同年代の子たちよりも、体が弱く小さかった。
どう考えたって、兄ではあの男の子たちを倒せない。むしろ簡単に倒されてしまう。
それなのに、まだ2~3歳の小さな気の強いヤンチャ娘はケンカを売り続けている。
あぁ、どうすればいいんだ、と毎日ハラハラしていたと、今では笑いながら教えてくれる。
もちろんそんなワガママっ子は、成長していく中で、壁にぶつかり、叩かれ、ボロボロに傷ついていった。
あぁ、自分は人とは何かが違う。
考え方がおかしい。
もっと謙虚に、他人にやさしくならなくちゃいけないんだ。
やさしく、やさしく……って、どうやるの?
そもそも、やさしくしようって思ってするのって、本当にやさしさなの?
それはただ、嫌われたくないだけかもしれない。
純粋なやさしさって、何?
本当のやさしさって、何?
生まれつきやさしくないと、やさしい人にはなれないの?
こころより先に、頭が動いてしまう。
10代、20代の頃は、もがいていた。
わたしらしくいたい。
だけど、やさしくなりたい。
いい人でいたい。わたしもみんなとただ笑い合いたい。
悩んで苦しんで、落ち込む日が少なくなかった。
ところが、30を過ぎるとだんだんその必死さも失われていく。
まぁ、仕方ないじゃん。
なるようにしか、なれないよ。
きっともっと長く生きていけば、自然と丸くなっていくよ。
やさしくなれない自分に時々落ち込みながらも、まぁいいかと諦めていく。
そんなわたしが、10代20代の必死でもがいている子たちを見ると、
「大丈夫だよ」と、
ポンポンと、肩をたたいてあげたくなる。
大丈夫、わたしもいい人じゃないけど、本当のやさしさとかわからないけど、
なんとなくしあわせだし、大事にしてくれる人はしてくれる。
自分の出来る範囲で、思いを込めて接していれば、
時々意地悪が顔を出しても「あの人は仕方ない」と許してもらえる。
ちょっとだめなところが、味になったりするもんだ。
そんな風に、必死に頑張る年下の子たちを思いながら、本当は自分に言い聞かせている。
やさしくなれないわたしが、それでも大丈夫、と思える時。
そんな時は、いつも、こどもの頃に読んでいた、一冊の絵本を思い出す。
「ちいさなきいろいかさ」という、ボロボロになるまで何度も何度も読んだ絵本。
なっちゃんという女の子のお話。
雨の中、濡れている動物のお友達を、傘の中に入れてあげたいなぁと、心の中で思う。
すると、不思議なことに、傘はスススっと大きくなる。
誰かのことを思うと、誰かのために願うと、奇跡が起こる。
そんなことを教えてくれた絵本。
ずっと年中やさしい人じゃなくてもいい。
誰かが困っているとき、あ! と気付いて、どうにかしたいなと考える。
そうすれば、やさしい人じゃなくたって、わがままな人だって、
誰かの力になれることが、あるかもしれない。
「あ、濡れちゃう!」そう思って傘を差し伸べるだけでいい。
それなら、わたしにも出来る。
やさしい人は、「大変だったねぇ」と言いながら、屋根のあるところでタオルを出して髪の毛を拭いてくれる。
「寒かったでしょ」と言って、あったかい缶コーヒーを買ってきてくれる。
「わぁ、手も冷たいね」と言って、両手をやさしく包んでくれる。
わたしには、そこまでは思いつかないし、気が回らないし、行動ができない。
でも、「あ!」と思うくらいは、「濡れてる!」って気付くことくらいはできる。
そこからちょっとだけ「濡れないようにしたい。何かできないかな」そう思うだけでもいい。
「あぁ、今この人にできるやさしいことは何だろう」そう考えてから動き始める行動だって、やさしさだ。
作り物のやさしさだって、誰かの力に、なることはできる。
それでもいいじゃないか。そう思えることができる。
絵本に出てくる「なっちゃん」は、わたしとはちがう、本当に心優しい女の子。
その「なっちゃん」が、「そんなに考えなくても大丈夫」とやさしい心で包んでくれる。
「いつか自分にこどもが生まれたら」
そんなことを時々、思う。
こんな中途半端な人間が、何か教えてあげられるんだろうか。
見せかけだけで、心の中は意地悪なわたしが、どうやってやさしさを教えてあげられるんだろう。
考えてもキリがないことを考えては、時々不安になる。
自分で勝手に雨を降らして、ずぶ濡れになって、悩んでしまう。
そんな時、この絵本を思い出すと、スッと頭の上に黄色い傘がかけられる。
「大丈夫よ。あなたも入れてあげる。みーんな傘の中に入れるよ」
そんな声が、聞こえてくる気がする。
そうか、大丈夫だ。
わたしには、この絵本がある。
もしもいつか、わたしにもこどもを育てられる日が来るとするならば、
この絵本を読んであげよう。
きっと伝わるはずだ。
やさしさって何か。
この絵本があれば、やさしくなれないわたしにも、やさしさを伝えることができるはずだ。
誰かのことを思い、やさしさを一つずつ積み重ねて、作り上げていくことが、きっとできるはずだ。
『ちいさなきいろいかさ』 作:もりひさし 絵:西巻茅子 金の星社
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