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リーディング・ハイ

娘として……母として……《リーディング・ハイ》


記事:中村 美香(リーディング&ライティング講座)

 

「どうして、わかってくれないの?」

そう詰め寄る母の姿を、たまに思い出す。

それは、私に向けられた言葉ではなく、「母の母」への言葉だった。

 

母方の祖母は、長男の嫁との折り合いが悪く、祖父が他界すると、ひとりぼっちになってしまった。

長男一家が、家を出てしまったからだった。

 

母の兄弟たちは、祖母に、当面、ひとりで頑張ってもらおうと、相談していたけれど、母だけは、

「おばあちゃんが可哀そう」

と、言って納得しなかった。

話し合いの末、なぜか、狭い我が家で、私たち家族が、祖母と一緒に暮らし始めた。

私と兄がまだ小学生だったとはいえ、2Kのアパートに5人で住めば、言い争いも当然あった。

 

文句を言われて小さくなって黙るばかりの祖母を、可哀そうだと思う日もあれば、母の言うことを全く聞かない祖母を、憎らしく思う日もあった。

 

今思えば、母は、娘として、祖母に、母性を求めていたのだと思う。

「昔から、母親らしいことをしてもらった記憶がないのよ」

二人きりの時に、母は、時々、私に、寂しそうに、そう言った。

 

だから、母は、誰よりも、母親らしくなろうとして、母親然としていたのかもしれない。

 

祖母に怒っていた母を見た記憶は結構あるけれど、号泣する母を見たのは、一度だけだった。

 

その理由は、今でもよくわからない。

 

折り重なった干したての布団の上に、洗濯物をピンチハンガーごと取り込んで、そこに倒れこむようにして号泣し始めた母の姿が、今でも目に焼き付いている。

私が何歳だったのかは、よく覚えていない。

ただ、見たこともない母の姿に、どう接したらいいのかわからず、ドキドキしながら隣でじっと見ていた気がする。

 

母の号泣を見たのは、それっきりだった。

母だって、人間なんだから、泣きたくなることなんていくらでもあったはずなのに、どうやら、私と兄の前では、泣くまいとしていたらしかった。

 

それがわかったのは、私が、息子を産んだ後だった。

 

「お母さんの前で泣いてもいいから、子どもの前では泣いちゃだめだよ」

そう言われて、ハッとした。

ハッとしたけれど、止められなかった涙。

「こんな私のところになんか、生まれてこなかった方が、この子は幸せだったのかもしれない」

母乳の出もよくなくて、マタニティブルーで落ち込む、私の弱気な発言に、母は鬼のような形相でこう言った。

「情けない!」

 

「辛いんだね……」

そう言って抱きしめてほしかったのに、ドンと突き放された気がした。

ああ、やっぱり、私は母親失格なんだ……そう思った。

 

そこから、立ち直るのに、少し時間は必要だったけれど、私も母として、だんだんと図太くなって、少しずつ元気になっていった。

冷静に考えると、母は、祖母という立場で、目の前にある小さな命を守ろうとしていたのだから、私のことが、本当に情けなかったのだろう。

だけど、それ以来、母の守ってきた「母としてあるべき姿」の亡霊が、私の前に立ちはだかった。

 

母親は、家族のために生きるものだ。

母親は、自分を犠牲にしても、家族を優先するものだ。

 

そうやって生きてきた人に、そうやって育ててもらったからには、やっぱり、それを継承しないといけないのではないかと思うと、つらかった。

 

普段は、優しい母だけれど、息子のことになると、私に厳しくなった。

 

母を見ていると、私に「母性」がないのではないかと、不安になった。

私は、私なりに、「母」をやっているのに……。

だけど、まだ、足りないのか……。

 

息子が幼稚園に行くようになって、他のママや、幼稚園の先生に言われたのは

「丁寧に育てていますね」

と、いう言葉だった。

そして、それが嬉しいというよりも、嫌味に感じた私がいた。

過保護ですね。

過干渉ですね。

に、聞こえた。

 

そして、私自身、過保護に育てられた認識があった。

嫌な気もちが、胸に充満したことを覚えている。

 

もっと、厳しく、もっと突き放して、強い子に育てなくちゃ!

そう思った。

だけど、できなかった。

 

いまも、多分、過保護なんだと思う。

 

 

私は、母が好きだ。そして、感謝もしている。

だけど、それとは、別に、もし、こうしていたらどうだったろうか? や、もっとこうしてくれたらよかったのに! ということもある。

 

悪いことをしても、見放さないで、抱きしめてくれただろうか?

ほめてほしくて、いい子で居たかった私には、叱られるような悪いことなんてできなかった。

 

もっと、ほめてほしかった。

もっと抱きしめてほしかった。

もっと私の才能を見つけてほしかった。

 

ああ、あんなに愛情をもって育ててもらっても、こんなに「もっと」があるんだ。

 

 

じゃあ、私が、どう育てたって、息子が大きくなっても、きっと不満や期待はなくならないはずだ。

 

だったら……

 

 

『母性』を読んで、娘としての私を、母としての私を、そして、娘としての母を、母としての母を、思った。

 

同じ場面なのに、違う記憶の母と娘。

きっと気がつかないだけで、こういうことって、たくさんあるんだと思った。

 

私の記憶と、母の記憶は、違うのかもしれない。

意図した思いが、正確に、伝わっていないのかもしれない。

 

きっと、言葉だけではなく、態度や視線、空気、さまざまなもので、思いは感じ取られているのだ。

 

「愛している」

という言葉さえ、正確に、相手に伝わっているとは限らない。

 

好きになったり、嫌いになったり、求めたり、求められたりしながら、「母性」というものは、作られていくのかな?

 

だったら……今、自分が思う精一杯の形で、息子を育てていくしかないんだ。

そう思った。

 

『母性』 湊かなえ 著 新潮文庫

 

 
………
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2017-01-25 | Posted in リーディング・ハイ, 記事

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