ノスタルジーに浸りたいとき、僕は「ハイスコアガール」を読むようにしている《リーディング・ハイ》
記事:牛丸ショーヌ(リーディング&ライティング講座)
20代の後半くらいになってからだろうか、ぼんやりと夢想することがある。
一生働かなくてよいほどのお金を手に入れて、毎日好きなことだけをして生きていくことができれば、少年時代のようにおもいっきりテレビゲームをしたいなぁと。
僕はつい数年前まで「ゲームをしないゲームオタク」を自称していたほどのゲーム好きである。
実際に自宅でテレビゲームを勤しむプレーヤー(ゲーマー)には申し訳ないが、僕がオタクを自称する理由は毎週「ファミ通」を読み、新作ゲームが発売されてはAmazonのレビューを読むのを趣味としていることもあり、知識だけならゲーマーに引けを取らない。
実際にゲームをプレイした人じゃないと分からない細かな内容はさっぱりだが、どんなゲームで、プレイ中のどのあたりでバグが起こり、どこが難しくて先に進めないかなどの概要は大体を知っていた。
ゲームをやらないくせに、なぜ知る必要があるのか? と訊かれたならば僕は返答に窮する。
自分でも分からないのだ。
敢えて答えるのならば「いつの日かおもいっきりゲームをやりたいから、その時のために」という理由になってしまう。
僕とゲームの関わりは1980年代初めにまでさかのぼる。
当時、幼稚園だった僕はゲームを触ることは許されていなかったが、兄たちがPCでプレイするゲームをひたすら興奮しながら観ていた記憶がある。
特にシューティングゲームの「ゼビオス」は印象深かった。
そして1983年にファミリーコンピューターが発売される。
我が家では当初、兄が友人から借りてきたカセット(通称ファミカセ)でひたすら遊んでいたが、初めて購入したのは「いっき」という農民が一揆を起して竹やりで戦うという、いま考えれば内容に無理のあるものだった。
僕自身が初めて購入したのは「アトランチスの謎」というコウモリの糞に触ると死んでしまうような、これもまたヘンテコなゲームだった。
それからゲームはさらに進歩していくことになる。
1986年に「ドラゴンクエスト(通称ドラクエ)」の第一作が発売される。
我が家ではコマンド入力方式のRPGというとどうしても「ウィーザードリィ」のような難解なゲームの印象があったため、当初は敬遠していたが、友人から借りてプレイしてみるとすっかりハマってしまい、「Ⅱ」が発売される頃にはすっかりドラクエの流行に乗っかることになった。
「ファイナルファンタジー(通称FF)」にハマったのは小6のときで「Ⅲ」からだった。
クラスの男子10人くらいがプレイしていて、どこまで進んだか、レベルをいくつまであげたかを話すために、毎日学校に行くのが楽しみで仕方なかった。
ファミコン以後も我が家は新しいゲーム機が発売されるたびに購入してきた。
1988年のセガ「メガドライブ」、1989年の任天堂「ゲームボーイ」、アタリ「Lynx(リンクス」、1990年の「スーパーファミコン」。
そして1991年、僕が中学1年生のときだ。
この年に登場し、一大格闘ゲーム旋風を巻き起こす牽引役となったのが「ストリートファイターⅡ(通称ストⅡ」である。
アーケードゲームとしてのストⅡ人気は当時、凄まじいものがあった。
僕も学校が終わってから、友人と自転車で20分かけて大橋駅にある「スーパーコメット」というゲームセンターでストⅡに勤しんだ世代だ。
そのゲームセンターには敵対する中学校のエリアだったため、不良たちにあったら面倒なことになると、ビクついていたものだ。
数台あるストⅡのゲーム機前にはずらっと列が並び、僕も今か今かと順番を待ちわびた。
懐かしい思い出の1シーン。
それからもセガサターン、ドリームキャスト、プレイステーション(3まで)、ニンテンドーDS(3DS)、XBOX360、PSPと所有ゲーム機はめまぐるしく変遷した。
僕はこれほどまでにゲームが好きだったのに、ドラクエはⅥまで、FFはⅦまでで止まってしまっている。
ドラクエなんてⅧ、Ⅸを所有していたにも関わらず1回もプレイしていない。
なぜゲームをしなくなったのだろう?
こんなにゲームが好きだったのに……
お年玉ではゲームソフトを買う。
勉強よりゲームが好き。
こどもの頃は夢の中でもゲームをしていたこともあったのに……
それが、大学生になり、社会人になるにつれて徐々にゲームをしなくなったのだ。
今ではニンテンドー3DSのような携帯ゲーム機の数分でプレイできるもの、または数分で試合が終わるスポーツゲーム以外はほぼゲームをすることがなくなった。
僕の好きなゲームの中でも好んでプレイするのはRPGが多かった。
ゲームの中の世界に没入できる、現実を忘れられるファンタジーが好きだった。
当時のRPGでもクリアーするまでに平均30時間を要するものが主流だったが、おそらく僕がゲームをしなくなった理由は大人になって他のことに時間を使うことになったからだろう。
社会人になり、仕事をするようになればゲームから離れていく。
当たり前のことかもしれない。
それでも、僕は毎週「ファミ通」を読む。
Dマガジンという月額400円で雑誌のダイジェストが読めるアプリがあるが、加入したのはファミ通が毎週読めるからという理由だった。
なぜだろう。
ずっと考えていた。
いつの日かおもいっきりゲームをやりたいから、知識を蓄えるために読んでいるのか、
自分でも分からなかった。
でも、数年前に「ハイスコアガール」に出会ってから、その答えが分かったような気がする。
著者の押切連介氏は僕とほぼ同年代。
まさに1991年にストⅡをプレイするためにゲーセンで通っていた世代だ。
この作品を読むと僕はノスタルジーを感じてしまう。
ただ毎日ゲームをだけをして楽しんでいた平和な時代。
主人公のハルオも勉強せずにゲームばかりしている。
ときどき母親から叱られるけど、自分の取り柄はゲームだけだと開きなおり、ひたすらゲームに熱中する。
もちろん、僕が小中学校の頃はハルオと違ってゲームだけというわけにはいかないで、勉強と野球もしていたが、頭の中は間違いなく50%はゲームのことだっただろう。
懐かしき少年時代。
僕は自分では自覚していないが、心の奥底でこの頃に戻りたいと、きっと思っているのだ。
無意識で脳が、身体がそこに向かっているのだ。
だから、この年齢になってゲームをしなくても、ゲームに関する情報収集をしてしまうのだろう。
「あの頃はよかった」と大人たちは言う。
僕にとっての「あの頃」は確実に1990年代初めのころだ。
そして、また「あの頃」のように、ソフトを本体に入れて電源をオンにする前のワクワク感を味わえる日が来ることを夢見ている。
僕はこれからも「あの頃」の感情を想い出し、ノスタルジーに浸りたいときに「ハイスコアガール」のページをめくるのだ。
そして、やりもしないゲームの情報収集に精を出す。
紹介作品
「ハイスコアガール」押切蓮介(著)
※マンガ大賞2017年ノミネート
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