わたしの趣味は「虫を食べること」です《リーディング・ハイ》
記事:貫洞沙織(リーディング&ライティング講座)
わたしには一風変わった趣味がある。それは、虫を食べることだ。
ある日急にその欲求は生まれた。その欲求は本能的に強く、鋭いものだった。
「体積は小さいが、栄養がぎゅっと濃縮された食べ物を食べたい」
そう思ったのだ。
わたしは小食であり、一度にたくさん食べることができない。しかし運動が好きであり、体は栄養を欲する。食べたいのに食べられない。身体的枯渇、葛藤だった。
レバーやローヤルゼリーなどはすでに試した。しかしどうも違う。糖分を取れば良いかというとそうでもない。もやもやとした感情をブログにつづっているうちに気づいた。
「虫が食べたいんです」
そのタイトルで書いた記事にはたくさんのコメントが寄せられた。たまたまFacebookでもそのことを書いたら
「タイではスナック感覚で虫食べるよ」
と返信をくれた人がいた。すごい偶然なのだが、わたしはその一週間後にタイに行くことになっていた。
タイに到着し、わたしは何よりも「屋台で虫を食べること」を優先した。猛烈な勢いで夜市を歩き回る。虫はどこだ……虫は……
虫はすぐにあった。茶色っぽい屋台。小さい虫に大きな虫。正直、食べたいと思っていたが、見てすぐにひるんだ。これを口に入れるなんて……と恐怖に支配された。
わたしは海外へはほとんど一人で行く。そのときも一人だった。そのため、キャーとかこわーいとか言う相手がいない。いるのは言葉の通じないタイ人だけだ。しかし、タイ人は人懐こくて単語で話しかけても答えてくれる気安さがある。
屋台はタイ人の女の子が切り盛りしていた。わたしが虫を見て怪訝な顔をしていると、女の子はそっけない態度だった。外国人観光客はみんな、彼女の売るものを気持ち悪がって眺めるのだろう。彼女の視線でそれを察した。
しばらく、少し離れて屋台を見ていた。一番売れているのは細長い芋虫だ。事前にネットで調べておいたのだが、タケツトガという蛾の幼虫「竹虫」だ。タイではこれがスナック菓子代わりによく食べられている。竹虫が売れると女の子は大きなスプーンで袋にざざっと入れ、客に手渡す。客はすぐに袋に手を突っ込み、かっぱえびせんでも食べるみたいに手でつまんでこれを食べる。
次に売れているのはコオロギとトノサマバッタ。これが売れると女の子はざくざくとスコップですくって袋に入れる。一匹ずつが大きいので、たぶん15匹くらい入った状態だろう。仕上げに業務用ケチャップの容器に入った、赤いサラサラの液体をピュッと虫にかけ、竹串を二本刺して客に手渡す。客は竹串で中身をつつくようにして混ぜ、一本の竹串にコオロギやトノサマバッタを刺し、おもむろに口へ運ぶ。大きいものは胴体のところで嚙み切って二口で食べる。
タイ人の学生カップルがトノサマバッタを買った。女性が竹串でトノサマバッタを器用に刺し、男性の口に「あーん」をして食べさせてあげた。美味しい? と女性が聞くと、学生服を着た男性は破顔し、奥歯で虫を噛み砕きながら最高の笑顔を女性に見せた。
「あ……アローイ?」
わたしの口からタイ語が出た。虫屋台のお姉さんに「美味しい?」と聞いたのだ。お姉さんは最初ちょっと意地悪な顔をしたが、すぐに破顔し、
「アローイ、アローイ」
と繰り返した。アローイとは美味しいという意味だ。そこへタイ人の大家族がやってきた。肝っ玉母さんがわたしの肩をポンポンと叩き、「大丈夫よ! 食べてみなさい、美味しいから!」と言ってきた。
肝っ玉母さんは、屋台のお姉さんに何か言い、わたしの手に小さな虫を乗せてきた。コオロギよりも小さかった。「食べろ」と促す。わたしは1秒も考えずにその小さな虫を口に入れた。ショリ……ショリ……油で揚げてあるらしく、味はほとんどしなかった。カラカラに炒ったエビのような味だ。いける! タイのチェンマイでわたしはありったけの大声で「アローイ!」と叫んだ。
肝っ玉母さんは、カイコのさなぎやアリもわたしの手に乗せてきた。ついでに自分もポリポリとつまんでいる。だんだん虫を見ながら口に入れられるようになってきた。一通り味見をしたところで、コオロギが美味しいとわかった。
「アオアンニーカー(これをください)」
わたしが虫を買うと、屋台のお姉さんは、とても嬉しそうに袋に入れてくれた。赤い液体はしょうゆのような調味料だった。油で揚げた虫にジャンクな塩気の調味料がかかってとてもおいしい。
タイの夜市を、虫を食べながら歩いた。たったそれだけで、わたしの中でなにかがはじけた。
日本に帰ってからも、虫を食べられる店を探して食べた。多い時は週一くらいの頻度で食べに行った。だんだんと虫に慣れ、蛾の幼虫やコオロギは当たり前になってしまった。大きな虫が食べたい。そして、わたしが本当に食べたかったのは……
台所にいる、あの虫だ。
その体は黒く輝き、胴体にはあらゆるうまみが詰め込まれていると聞く。実際に台所にいるのを捕獲して食べたらお腹を壊すが、食用としてきちんと養殖されているあの虫は、じゅわっ、と脂の味が出て美味だという。
横浜にある珍しい食べ物を出す店で、とうとうわたしは台所の黒い虫を食べた。注文するときにその虫の名前を口に出した瞬間、自分がとてもこわいことをしようとしているのだと再認識した。四文字のなかに濁点が二つも入る虫の名前。いや、蛾など一文字だが濁点のみだ。虫とはそういうものなのかもしれない。毒蛾、毒蜘蛛、コオロギ、カブトムシ、クワガタ、キリギリス…
黒い虫が丁寧に油で揚げられ、テーブルに供される。
口に入れた瞬間、涙が出そうになった。わたしが待ち望んだ瞬間がそこにあった。あれだ。大好きなアーティストのライブに行って、歌が始まるより先に、アーティストが登場しただけで泣いてしまう感情とおなじだ。
養殖された黒い虫は、固すぎないパリッとした皮に、豊満な脂をたたえた胴体。少し硬さのある頭部に脚で構成される。口の中でその虫を想像しながら咀嚼すると、甘美な脂の味が口いっぱいに広がる。
「……今まで食べた虫の中で一番美味しい!」
わたしははっきりと言い放った。同行者も食べてくれて(彼女たちは以前からわたしの虫食いに付き合ってくれているので虫に慣れている)、確かに味が良いと納得してくれた。
「いま俺はゴキブリを食べたのだ」
そうだ。この名台詞が、わたしの人生を大きく変えた。この名台詞は、綾辻行人の書いた名作短編「特別料理」に出てくる。わたしはこの小説を読んで、虫を食べることに興味が向いたのだ。これを読んでいなかったら、今でもわたしは台所の虫を怖いと思っていたはずだ。(まさか食べようなんて思いもしなかっただろう)
タイの屋台に始まり、日本の昆虫料理を出す店に片っ端から行き、昨年はカンボジアで昆虫料理専門レストランに行ってタランチュラを食べた。
この短編は「眼球奇譚」という短編集に収録されている。この本の魅力はおそらく別のところにあるのだろうけれど、わたしの人生を大きく変えたのは紛れもなくこの「特別料理」だ。
わたしは本が好きだ。虫を食べるのが好きだ。
今年はタイでムカデを食べたい。オーストラリアで巨大な芋虫を食べたい。芋虫の胴体は軽く炙るとバターのように舌の上でとろけるという。ああ、早く食べたい……! 今もわたしは「特別料理」を想像し、新たな食欲を刺激され続けている。
………
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