あの時、目を逸らしてしまった障がいに、もう一度、歩み寄ってみようと思えた《リーディング・ハイ》
記事:中村 美香(リーディング&ライティング講座)
苦い思い出がある。
あれは、今から、18年位前だったと思う。
友達以上恋人未満のような関係の男性がいて、何度か、ふたりで、会っていた。
彼は、福祉関係の仕事をしていて、障がい者施設のスタッフとして働いていた。
細やかで、優しくて、誠実な人だった。
真摯な態度で、仕事についても熱く語ってくれた。
こんな人と過ごしていたら、自分の人格も磨かれて、素敵な人になれるんじゃないかとさえ思っていた。
しかし、それは、違った。
だんだんと、仲良くなるにつれ、ぼんやりとしていた自分の中の黒い部分が、いよいよ、はっきりと見えてきた。
彼が純粋であればあるほど、自分の中の濁った部分の色が、どす黒く感じた。
障がいを個性と見て接していたのか? お客さまだと思って接していたのか?
彼が、障がいを持った方々を具体的にどう見ていたのかは、今となってはわからないけれど、少なくとも、しっかりと向き合っていた。
一度、彼に対しておそらく恋愛感情を持っている、少し年下の女の子が施設にいるんだと聞いたことがあった。
彼女は、愛情表現がうまくできなくて、彼をひっかくらしかった。
「これがさ、その子にとっての愛情表現なんだよね……」
そう言いながら、そのひっかき傷を、彼は私に見せた。
私は、その時、なんとも言えない嫌な気持ちになった。
それは、彼のことが好きだから故の、彼女に対する嫉妬だったのだろうか?
彼がもし、私のことを大事に思ってくれていたら、しっかり、恋愛感情がないことを示してほしいけれど、それは、この場合は望めないのだろうか? と、結構、真剣に悩んだ。
彼の、まるで小さな子に好かれて、喜んでいるような少し浮かれたような表情にも腹が立っていた。
正直、私は、それまで、障がいを持った人と接する機会がほとんどなかったこともあり、どう接したらいいかわからなかった。
いや、どう接したらいいかわからなかったから、接することを避けていたのかもしれない。
だけど、もし、彼とこの先も一緒に過ごすのだったら、もう、避けて通れないのだと思った。
接することも、そのことに対する自分の心と向き合うことも……。
そのことばかりではなく、彼の純朴すぎるところと、痒くないところをかかれるような、ずれた気遣いにも違和感を持ち始めた頃、彼の都合でしばらく会えなくなった。
泊まり掛けの会社の研修か何かだったと思う。
「しばらく会えなくて寂しいよ」
そう言ってくれた彼に
「私も」
と、言いながら、実は、少しホッとしていた自分に気がついて、嫌悪した。
会えない時間が、私に、別れを選択させた。
研修から帰ってきて電話をくれた彼の声は、会えなくなる前よりも熱を持っていたのに、私の声ときたら、私自身びっくりするくらい冷えていた。
様子を察した彼からの連絡が途絶え、私たちは会わなくなった。
彼との別れは、ただの男と女の、ありふれた別れだったのだと思う。
だけど、その伏線に表れた、私の、障がいを持った方とどう接したらいいかわからないという闇を、ポンと、置き去りにしていった。
***
『自閉症の僕が跳びはねる理由』という本を、本屋で目にした時に、ドキッとした。
遥か昔に、置き去りにされていた、あの思いが蘇った。
もちろん、この18年の間に、障がいを持った方にお会いしたことはあった。
例えば、体が不自由な方にお会いした時には、何かお手伝いすることはないだろうか? と、一応考えるけれど、特に困ったことがなさそうなら、むしろ、特別視しない方がいいのだろうと、声もかけずにすれ違うし、仮に、何か、奇声のようなものを上げて歩いている方に会った時は、申し訳ないけれど、なるべく関わらないように、目線を逸らしていた。
息子の幼稚園や児童館などで、自閉症と思われるお子さんとお母さんに出会ったこともある。
そういった時は、すれ違った場合とは違い、気持ちに寄り添ってみようとした。
例えば、お母さんに
「おはよう」
と言った後に、お子さんにも
「おはよう」
と、言ってみたこともある。その場合のほとんどは、反応がなく、お母さんに
「ごめんね」
と、言われて、返って、声を掛けないようにした方がいいのかな? と、戸惑ってしまった……。
はっきり言って、あの時と何も変わっていない。
どうしていいかわからないままだった。
この本をめくると、そこには、著者の東田直樹さんが紡いだ文字が並んでいた。
彼は、会話のできない重度の自閉症だという。
訓練を経て、パソコンと文字盤ポインティングというものによって、自分の気持ちを表現することができるようになったそうだ。
紡がれた文字から、彼の思いが溢れていた。
私が感じていた自閉症の方に対する疑問の答えが、そこには載っていた。
質問のような項目に、丁寧に答える形で思いが紡がれていた。
さらに、驚くべきことは、これが、13歳の時に書かれたものだということだ。
正直に、そして平易に書かれている。
伝えたい気持ちがひしひしと伝わると同時に、読み手への心遣いも感じられる。
ページをめくるごとに、私の思っていた自閉症というイメージが変わっていった。
話ができないということで、わかっていないのではないか? と、感じてしまっていた自分を恥じた。
“自閉症の人の心の中を僕なりに説明することで、少しでもみんなの助けになることができたら僕は幸せです”
あの時、目を逸らしてしまった障がいに、もう一度、歩み寄ってみようと思えた。
この本と出合えて本当によかった。
そして、障がいという言葉を、個性と言い換えた方がいいのではないかと、感じた。
『自閉症の僕が跳びはねる理由』 東田直樹・著 角川文庫
………
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