リーディング・ハイ

私のコペルニクスは、編み物の本だった。《リーディング・ハイ》


記事:バタバタ子(リーディング&ライティング講座)

 

平凡な暮らしを送っていても、一度くらいは、コペルニクス的転回、すなわち考え方の180度方向転換に直面することがある。
私にとっては、ある本との出会いがそうだった。

「うんこ製造機」
これを一人称として、心の中で使っていた時期がある。
仕事もせず、学校にも行かず、家事は手伝い程度。
「なんとなくだるい」と、一日中、布団の中でじっとしている。
誰の役にも、なんの役にも立たない存在。なんで生きているのかわからない。
それなのに、お腹がすくのだけは人一倍。
無意味に消費して、生み出すのは、立派なうんこだけ。

べつに、生まれてからずっと「うんこ製造機」として生きてきたわけではない。
学生時代は、もっと人間らしい人間だった。
学校には毎日通い、授業中は眠らず、課題もさぼらず、任された仕事は過剰なまでの責任感で遂行していた。
「優等生」でいるのが当然で、「優等生」らしくない失敗を、極端に恐れた。
テストでは良い点をとらないとダメ、授業中に間違った解答をしてはダメ、大声で話してはダメ、ダメ、ダメ、ダメ……。
もし失敗して、「あなたでも、こんなことあるんだ」と冷めた目で見られたりしたら、自分の存在意義がなくなってしまう。
他者からの評価は、私にとって絶対だった。

そんな「優等生」のはずの私が、今ここで、なにもせずに、うんこを製造している。
世の中に対するバツの悪さ。将来への漠然とした不安。焦り。湧き上がるイライラ。
そんな気持ちを発散する方法もわからず、毎日、布団のなかでもがいていた。

その本に出合ったのは、ひやかしに立ち寄った、西新の手芸店でだった。
なぜ編み物の本のコーナーに向かったのか、もう覚えていない。
ただ、ページをパラパラめくったときの高揚感だけは、今でも思い出せる。

タイトルだけなら、世の中にいくらでもありそうな、平凡な本だった。
『世界の伝統ニット 2 アイルランド アランセーター』
しかし、その本が他に類を見ないものであることは、5秒で分かった。
緊張したときのように、胸の奥がキリキリし、お尻の穴がキュッと引き締まる。
「このセーターかわいい! これも! こっちのも!」
普通は、1冊の本に載っている10以上のレシピのうち、作ってみたくなるのは2~3種類程度だ。
しかしこの本では、掲載されている17種類のすべてが、私の好みにどストライクだったのだ。

「この本に載っているセーター全部、私も編みたい! でも……」
果たして私にできるだろうか。
編み物なんて、小学校6年生のときに、マフラーを作った程度である。そのマフラーも、歪みがひどくて恥ずかしくて、一度も使わずに捨ててしまった。

この本に載っているセーターは、あのときのマフラーより、格段に難易度が高そうに思われた。
棚の前に立ち尽くして、何度も逡巡する。
私には、できないかもしれない。
でも、自分の手でこんな素敵なセーターを編めたら、どんなに楽しいだろう。
だけど、なんとかやり遂げても、他の人から「へたくそ」と言われるんじゃない?

他の人にバカにされるかもしれない。以前の私なら、そう思った瞬間に、回れ右していただろう。
しかし、このときは「それでもいいや」と思ったのである。
そう思わせるほど、この本のセーターは美しかった。
バカにされてもいいから、私もこの手で編みたい。
「下手でもいいや。どうせ、クソ人間がクソ人間のために編むんだ。汚かったり、ゆがんでたりしたほうが、クソ人間にはお似合いじゃないか。自分さえ楽しめれば、それでいい」
開き直って、その本を買った。

家に帰って、さっそく、本をひらいて、編みはじめてみた。
編み図の見方、糸のかけ方。わかりそうで、わからなくて、久しぶりに脳みそをフル回転させた。
編み図をにらんで考え込んでいる間は、社会に対する申し訳なさも、将来への不安も、忘れていられた。
黙々と棒針に糸をかけていると、不思議と落ち着いた。
なんとか編み進めても、根本的な間違いに気づいて、全てほどいて編みなおすのを、数えきれないほど繰り返した。
間違えても、ほどいて、またやり直せばいい。だから失敗が怖くなくなった。

編むのが楽しくなり、布団からすぐに起き上がるようになった。
本を見ながら、頭をひねって、編んではほどきを繰り返すうちに、少しずつ、いろいろな事にチャレンジする意欲がもどってきた。
身なりも整えるようになったし、新聞にも目を通すようになった。積極的に外に出るようにもなった。
新しい証明写真をとり、ハローワークに登録し、履歴書を書くようになった。

はじめて完成させたセーターは、なかなか満足のいく仕上がりだった。
手芸が得意な人が見たら、おそらく、歪んでいるとか、編み目がそろっていないとか、突っ込みどころが満載だろう。
それでも、「うんこ製造機」から「うんことセーター製造機」にバージョンアップできたのは、大きな自信になった。

他者からの評価におびえていた私は、この本に出合って、コペルニクス的転回を迎えた。
人にどう思われるかより、自分が楽しいか、満足するかを重視しよう。
そう思ってからは、急に生きるのがラクになった。
気持ちも落ち着いたし、自信もついた。チャレンジする意欲も出て、人生が楽しくなった。
ずっと暗いキャラだったけど、笑顔が増えた。就職もできた。
この本はまさに、人生の見方を180度転換させてくれた、私にとってのコペルニクスである。

『世界の伝統ニット 2 アイルランド アランセーター』 日本ヴォーグ社

 

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2017-10-06 | Posted in リーディング・ハイ, 記事

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