リーディング・ハイ

100万円の使い道《リーディング・ハイ》


記事:サファイア(リーディング&ライティング講座)

 
 「天使の骨」を見たことはあるだろうか? 
 無くて当たり前だ。天使の骨を手にしたら、その魅力と美しさに夢中となって、一生涯、その骨を磨き続けていかなくてはならなくなる。天使の骨は、ただ密やかにふわりふわりと人に見られることも触れられることも無く、すり抜けていくのだ。
 万が一、天使の骨を手にしたら、あなたは芸術と共に生きていく宿命を受け入れなければならない。何故ならば、天使の骨は美の女神から授けられる芸術家としての証だからだ。芸術とは、天使の骨を磨き続けるときに生まれる、作業ついでの副産物なのだ。

 人生に疲れ果てて、ひっそり暮らしていたところに突然、受け取る理由も見当たらない100万円が振り込まれたら、あなたはどうする?
 物欲、食欲を満たすためにパッと使うのも、あぶく銭の使い方としては間違いでもない。何かに備えて貯金するも堅実だろう。
 私が今、100万円を突然手にしたら、ミチルさんを偲ぶバックパッカーをしたい。トルコのボスボラス海峡から始まり、ユーレイルパスを使い倒して、スイス、ドイツ、ベルギーを回り、スペインの場末の宿でファドに癒され、フランスのパリで終わる旅。
 旅のお供は勿論、「天使の骨」。中山可穂さんが長年掛けて書き綴った、劇作家王寺ミチルの物語の二作目である。
 ミチルさんは、ズルいほどに天才的役者で戯曲作家。そして、人タラシだ。天性のジゴロでロマンチスト。おそらく見た目も麗しい。だから何度も死へと誘う天使を肩や背に乗せながら、ただ独り進んでいく旅の途中でも、彼女の魅力に引き込まれた人たちから、沢山の温もりが差し伸べられる。母性本能をくすぐる、猫背でやせっぽちなミチルさんの孤独なさすらい旅は、真夏の最中に始まり、極寒のパリで希望の予兆と手を取って幕を綴じる。
 恋と芝居だけで出来ている、猫背でやせっぽちな人タラシ王子。「猫背の王子」から、「天使の骨」、「愛の国」の三部作で語られるミチルさんの人生は、ジェットコースターとバンジージャンプを何度も繰り返しているようだ。
読むたびにいつも、心がヒリヒリさせられる。不安定すぎるのに、目が離せなくなるほどに、彼女は運命に対してしたたかで正直だ。
 ミチルさんに出逢って、もうすぐ20年になる。彼女がヨーロッパを旅した時代は、随分と過去になり、同じ旅路をたどるとしても、時代の変化を感じずにはいられないだろう。私の心に棲むミチルさんは、相変わらず姿は少年のまま、歳だけ重ねてしまった天使みたいな存在だ。彼女のように心の奥底から突き動かされ、人生を二転三転するくらいのめり込めることを、私は未だに見つけられずにいる。だからこそ、ミチルさんの猛々しいまでの激情を何度も何度も、小説の文面から脳内再生して憧れ続けている。
 
 私の銀行口座に突然、受け取る理由も見当たらない100万円が振り込まれたら、年齢的にはすっかり追い越してしまったミチルさんと共に、彼女が過去に半分飲み込まれそうになりながらも自分を再建していった旅路をたどってみたい。そして、その旅路の途中に、誰かが磨いた天使の骨をほんの少しだけ鑑賞させてもらうのだ。天使の骨を磨き続ける作業は、芸術家の命の限り永遠に続く。その磨いた時にこぼれ落ちた絵や音楽、戯曲などの作品たちは、天使の骨に触れられない私たちの目や耳や心を潤してくれる。
 過去の芸術家がこぼれ落としてくれた天使の骨のかけらたちが集められたイタリア、フランス、スペインの美術館で、ぼろぼろになったバックパックを背負ったミチルさんが拾い集めていった未来へとつづく言葉たちを、私も自分なりに探せればいいと思う。

 

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2017-10-07 | Posted in リーディング・ハイ, 記事

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