ライティング・ラボ

子どものころ福岡に7年間住んでいた その2


 

 

記事:Miuho Yamamoto(ライティング・ラボ)

 

自衛官の父の転勤スパンは短く、3年弱だった。

 

長崎県大村市に引っ越して、カトリックの幼稚園の年長となり、就学児検診で行った小学校に、友人と入学するのを楽しみにしていた。

 

「福岡に行くことになったぞ!」

 

2月16日、帰宅して制帽を脱ぐなり父が言った。

 

「えっ? 小学校はどうなると?」

 

「福岡の雑餉隈の小学校に行くことになると思う。」

「○○のくま」

 

聞きなれない地名。熊が出てきそうなところで小学校に行くのか? 気をつけなきゃ。
素直に怖かった。どんなところだろう?

 

雑餉隈そばの官舎に空きがなく、民間の借家に住むことになった。下白水(しもしろうず)なんだか渦が巻いていそうな、海の近くかと想像したら、田んぼの中だった。

 

小学校までは1年生の足で歩いて1時間近く。遠かった。大村だったら10分くらいのはずだったのに。

 

ひとりっ子の私は、大切に育てられすぎたせいか、胃腸が弱かった。
梅雨明け宣言が出るまで、アイスクリームを食べてはいけない、お祭りの屋台の食べ物は不衛生だから食べてはいけないなど。
母からのお達しを破るとすぐバレた。
おなかが痛くなるから。

 

自家中毒というのもよくやった。

 

これが本当に厄介で、楽しみにしていることが目の前にあると特に発症する。
クリスマス、節分の前日は、必ず自家中毒。
クリスマスケーキも、歳の数の節分豆も食べられず。その日が過ぎて食べるのは、何とも味気ないものだった。

 

必ず連れて行かれる小児科は、春日原(かすがばる)にあった。結構家から遠く、その時だけはぐったりしているのでタクシーで往復。

 

「また出ましたね~。」

優しいドクターと、看護婦さんが毎回私を見ると笑顔でそう言った。

 

雑餉隈近くの官舎に空きが出て、また引越し。
転校することになった私に、小学2年の担任は、

 

「私が手続きをするから、遠くてもバスで通わせることはできませんか? 」

「国語が得意なこの子を手放したくないのです」

 

担任にこう言われては、両親も断れなかった。

 

朝は出勤する父の車に乗って登校。校門で下ろされ、誰一人登校していない教室で読書をして過ごす。約1時間。

 

帰りは学校前からバスに乗り、雑餉隈商店街を歩いて抜けて官舎まで。
いつもその前を通る武田たばこ店が、武田鉄矢の実家であることを後に知った。

 

担任から国語の研究授業に私の作文を使うからと、朝から図書館に軟禁され作文を書いたこともあった。給食以外は教室に戻らないよう言われて。

 

バス通学も慣れたら楽しかったが、帰宅後に友人と遊べないのがネックだった。向かいの年下の女の子だけが遊び相手だった。

 

佐世保から、たまに祖父が遊びに来た。

 

「お~い、お~い!」

 

祖父の声がして玄関に出ても、姿が見えない。声のする方を見ると、どうやら裏庭の崖下からのようだ。

 

何と祖父はコンクリートで固められた斜面をよじ登り裏庭に現れた。野生の勘で、家の位置は分かるが、道がわからず、ショートカッ
トして現れる不思議な祖父だった。

 

「また転勤だぞ」

 

職場としてはすぐ近くの自衛隊病院に異動になっただけなのだが、官舎を変わらねばならず、また小学校の校区内に戻ることになった。

 

小2の担任のおかげで行ったり来たりの転校をしなくて済んだ。小3の夏に官舎を変わった。

 

昇町(のぼりまち)
小学校も15分くらいで行ける距離となり、官舎内には小学生が10人ほどいた。医師、薬剤師、検査技師という父親の職業が多い中で、我が家だけ会計職種だった。

 

東京からの転勤家族が多く、官舎では標準語が共通言語であり、学校から帰って遊ぶ時は、福岡弁は使わなかった。

 

官舎っ子で遊ぶのは楽しく、土曜日や長期の休みは、夕飯を終えてからまた集まったりした。

 

肝試しが楽しくて、夏休みは昼間に集まって幽霊を紙で作り、官舎内の電柱に結び付けて回る。

 

夕食後再集合して、ペアを組んで官舎を1周してくる。自分たちが作った幽霊なのに、昼間と表情が違う気がして、怖くてきゃ-きゃー騒いで楽しんだ。

 

誰かのお父さんが休みを取っているときは、学校から帰るとよく連れて行ってくれる場所があった。油山(あぶらやま)市民の森。
車に乗せてもらうので、いつも限定4名だった。

 

「お~い、お~い!」

ある土曜の昼下がり、聞きなれた祖父の声がした。

祖父は、裏庭側の民家との境の生け垣の間から顔を出し、子どもが通れるくらいの隙間を強引に潜って現れた。

 

娘一家が引っ越すたびに、家を覚えるのは大変だったのかもしれない。

 

しかし、我が家の客人で、玄関以外の場所から出現するのは、祖父以外に誰もいなかった。

 

それから30年近くが過ぎたある日のこと。
私の2人の息子の放課後を、学童保育代わりに近くに住む母が面倒を見てくれていた。

 

「おばちゃ~ん、おばちゃ~ん!」
孫の友人が、呼ぶ声のする方を見ると、高さ2m幅10㎝の中庭の塀の上に、小2の男の子が立っていた。長男のクラスの1番やんちゃな子。

 

肝をつぶした母が帰宅するなり私に言った。

 

「じいちゃまみたいなことする人間が、他にもいたよ!」

 

つっこみどころはそこではない気がしたけれど、

 

「いるもんだねぇ」

 

急に祖父に会いたくなった。

 

***
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2015-07-27 | Posted in ライティング・ラボ, 記事

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