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*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:大森瑞希(ライティングゼミ・平日コース)
※この記事はフィクションです。
 
 
「お母さんは私を産んだこと、後悔してるんでしょ」
バタンと大きく扉が閉まる。美咲が家を出て行った。
娘と怒鳴りあったことは何度もあるが、出て行ったのは初めてだ。
もう、美咲は戻ってこないつもりなのかもしれない。
 
事の発端は、一時間前。頼んでおいた買い物を済ませた美咲が帰宅し、美咲からレジ袋を受け取った時だった。
「洗濯用洗剤は、詰め替えを買ってきてって言ったじゃない」
袋の中ではボトルに入った衣類用洗濯洗剤が食材に紛れていた。
「いちいちボトルの買ったら高いのよ。詰め替えってちゃんとLINEに書いたじゃない」
美咲は黙ったまま、コートを脱ぎハンガーにかけている。
「買い物すら満足にできなくてどうするの。ほんとアンタは使い物にならない」
美咲は無言でソファに座り、こちらに背を向けている。
娘のこういうところが嫌いだ。怒られるとすぐに黙る。こちらの話を聞いているのかいないのか分からない。
「あのね、美咲。社会人になったら、指示されたことはできて当たり前。そのうえで、自分に何ができるか考える。それが社会なの。できなかったら使い物にならないと思われる。そしたら、あんたクビよ」
娘はあと5年もしたら社会人になる。言われたことすら満足にできないようでは、社会に出て周囲に失望される。
「社会社会って言うけれど、たかが洗剤をうっかり間違えただけじゃない」美咲が急に声を張り上げた。
「お母さんは、これから社会に出る私のことを心配してるんじゃない。何か私が楚々をして、自分が恥をかくのが嫌なのよ」
美咲はハンガーにかけたコートを着なおし、家を出て行った。
 
「お前は完璧主義すぎる」
結婚当初から夫にそう言われ続けてきた。
料理は添加物を一切使わないオーガニック食品。近くのコンビニに行くだけの時でさえ、しっかりと化粧をし、香水までつけた。美に対する執着が激しく、全身に気を遣う真紀子の体は40代とは思えないほど美しくなまめいていたが、たった一つ、手だけは老婆のようであった。顔も体も瑞々しくハリがあるのに、手首から先は一切の水分を失い、皺が寄り、ところどころ皮膚が剥けていた。中指の爪は無かった。
 
娘が出て行った部屋はがらんとしていた。
突然、「お前なんかごみと同じ」
母の声が聞こえた気がして、真紀子は蛇口から勢いよく水を出し、手を洗い始めた。
ガザガザガザ。
両手を高速でこすり合わせる。
石鹸をつけているはずなのに、自分の粗い皮膚が摩擦で痛んでいくのを直に感じる。
痛い。けれどこれで綺麗になるはずだ。
ごみはどんどんとれるはずだ。
真紀子は気が済むまで手を洗った。洗い終わった手からは、糸のように血が出ていた。
 
自分は母親にはなれないと思っていた。
美咲が生まれたとき、最初に思ったのは、感動でなければ達成感でもなく、いよいよ母親になってしまったのだという絶望感だった。
普通の母親は、子供を産んだ時にこんな気持ちになることなんてないだろうから、こんな風に思う私はやはり、母親として失格なのだろう。
自分の乳首に縋り付いて、一心不乱に母乳を飲む娘は、自分の知らない生き物のように感じる。
ごみのわたし。ろくでもないわたし。
こんな母親から生まれたら、きっとこの子もろくでもない子だ。
あぁ、可哀そうに。
 
母乳を飲んでいたくちびるを、ちゅぱ、と音を立てて乳首からはなした娘は、腕の中で真紀子を見上げると、うあああ、と笑った。
真紀子は目を見張った。自分の腕の中にいる生き物は、どうしてこんなに愛くるしい表情をするのだろう。
娘の顔は旦那似だ。本当によかった。
私に似たら、母はこの子を「ごみから生まれた子」と呼ぶに違いない。
実の祖母からそんな風に呼ばれるなんて可哀そうすぎる。
そうだ、この子は私が守ってやらなくちゃ。
私とは違う人生を歩ませなくてなくては。
ごみとは正反対の、誰からも必要とされ、愛される人間に。
 
美咲を産んでから、真紀子は変わった。
今までの不完全だった人生を埋め合わせるかのように、完全な生活を目指すようになった。
美咲に完璧な生活を送らせる。そして完璧な人間に育てる。環境も教育もすべて整え、彼女をまっすぐに育てる。それが真紀子にとって一番だった。
 
美咲は伸び伸びと育った。心優しい愛らしい女性に成長したと思う。
けれど、器用な方ではない。
美咲がうっかりをしでかす度に、真紀子は母の言葉を思い出すのだ。
「お前は何の役にも立たない。ごみのような人間だよ」
真紀子は恐ろしくなる。失敗をした美咲本人よりも、ショックを受け震えが止まらなくなる時がある。
こんな子に育ててはいけない。どこに出しても恥ずかしくない娘にしなければ。
 
真紀子は卵アレルギーだ。
食べたら呼吸困難になる。一度、誤って食べてアナフィラキシーを起こしたことがある。
だから、美咲のお弁当に卵焼きを入れるとき、味見をしたことは一度もない。
卵の味はわからないけれど手探りでつくる。見た目は完璧だ。
けれど、美咲が小学生のころ遠足から帰ってきた時、こう漏らしたことがある。
「かおりちゃんのお家の卵焼きはすごく甘くておいしいんだよ」
「お母さん、卵食べられないから味わかんないんだよ」
卵焼きをうまく作れないように、私は娘にうまく愛情を伝えられない。
だって、味を知らないんだもの。愛情がどんなものか、母親の私が知らないんだもの。
見てきたものしか作れない。料理も家庭も。
 
けれど、
味がわからなくても、今まで卵焼きをお弁当に作らなかったことはない。
だとしたら、愛がわからなくても、愛を伝え続けるしかないのではないだろうか。
「ごみのような人間」という言葉は、刃のように私の心に突き刺さり、
40年間、ずっと私を苦しめてきた。
人を傷つける言葉が武器となり、その人をずっと蝕むのなら、
人を癒す言葉だって、その人をずっと優しく包むに違いない。
 
「産んだことを後悔したことなんて、一度もない。
こんなに愛してるんだから」
 
その言葉を伝えるために、真紀子は携帯を手に取った。
 
 
 
 
***
 
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2020-04-16 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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