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ゴルゴみたいな男の愛情表現


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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:西元英恵(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
 
カツカツカツ……。
数歩歩いたところで後ろを振り返る。
いかつい顔の男が後をつけてきている。
私が足を速めれば速めてくるし、遅く歩けばペースを落とす。
完全に距離を縮めるわけでもなく、絶妙に距離を保ったままだ。
 
私はこの顔面がゴルゴみたいな男と、さっきまで家の近所の焼肉屋にいた。
 
10年以上も昔の話になる。
男と私の大好物だったレバ刺しを筆頭に塩タン、ハラミ、カルビ、ホルモン……仕上げのビビンパと大量に平らげた。
ビールも飲んでほろ酔いだった。
お腹もいっぱいになったし、「そろそろ」のところで男が切り出した。
 
「お前、あの男とはどうなった?」
私は満腹でほろ酔いと上機嫌のところに急に冷や水を浴びせられた気になった。
 
「……もう別れたよ」
あまりそのことは口に出したくなかったが、嘘をついてもいずれバレることだ。
やけくそ半分といった感じでぶっきらぼうに答えた。
 
すると男はため息をつきながら今にも泣き出しそうな表情でこう言った・
「はぁ……。今度こそ結婚してくれると思ったのに……」
ゴルゴみたいなこの男がなぜ、こんなにも私の将来を憂うほど心配してくれているのか。
 
男は私の父親なのだ。
 
私たち姉妹が幼い頃から面倒見の良い父だった。
寒い時期になると布団に入った私たちを、型ができるほどにぎゅっぎゅっと包み込み、手や足が冷えないようにしてくれた。
そして、ほぼ無表情で毎回こう言った。
「お前ら、寒くねえか?」
 
土日になると母と二人で色んな場所に連れ出してくれた。帰りの車内で母に促され父にお礼を言うのが恒例になっていたが、
「今日は連れて行ってくれてありがとう」
と言うと、父は照れ隠しなのかやはり無表情で
「どーも、どーも」と言った。
 
中学生になり私が部活に打ち込むようになると、遠征時には車を出してくれた。
 
高校生の時は0限という名の早朝授業があったが、寝坊して遅れそうな時は決まって父に助けを求めた。
「ヤバい! 遅れる! 連れてって!」
この一言で車を出してくれる父。もはやゴルゴの顔をした執事だ。
「お前、車は飛べんのぞ?」
結局バタバタで家を出ることになり、父は呆れ顔でそう言いながらも制限速度ギリギリのところで学校まで飛ばしてくれた。
危ない事をさせてしまっていたと、今では反省している。
 
いつも身を案じてくれ、何かあれば飛んできてくれた。
父は私にとってスーパーマンのような存在であった。
 
焼肉屋の帰りもそうだった。
 
結婚願望が強い割に全然成就しないし、正社員の職を離れ派遣社員として働いていた時期で、経済的にも不安があった。
ちょうど女が揺れる時期と言われる29歳だった。
この先どうなるんだろうという漠然とした不安がいつもベールのようにつきまとっていた。
そんな時に父に別れた彼氏の話を切り出され、泣きたいのはこっちだよ! と自分へ対する焦りと怒りに任せて店を飛び出したのだった。
 
それを心配して追いかけてきた父。
結局時間差で同じ家に帰宅した父はもうそれ以上私に深く聞くことはなく、そっとしておいてくれた。
傍から見ればきっと夜道を歩く若い女を尾行するいかついおじさんに見えただろう。
みなさん、ご心配なく! あれは、私の父です。
 
私たちが大きくなりだんだんと世話を焼いてもらうことは減ったが、子供たちの将来を案じながらも見守るというスタンスはいつも同じだった。
 
進学、就職など人生の岐路に立つ時、私は自分のやりたいように選択してきた。
そして、父はいつも決まってこう言った。
 
「お前が決めたことなら、それでいいんじゃない」
 
父は私の未来を信じてくれて、うるさく口を出すことはなかった。
そんな父の姿勢が自分はこれでいいのだ、と自信を与えてくれた。
 
父の愛情表現は添え木のようだ。
添え木は植物がしっかりと根を張れるようになるまで倒れないように支えてくれる役割がある。また、添え木をして植物をまっすぐな状態にすることで茎や葉の間に適度なすき間ができて風通しがよくなるという働きもあるのだ。
 
水をやったり、必要に応じて肥料を与えたり、日光にあたる場所に移動させてくれたり……
日頃子供たちと長時間接しているからこそできるこまめなサポートは母の役目だったかもしれない。
 
一方父は多くの口出しはせず、でも子供がまっすぐ育つよう支えてくれていた。
決して優等生ではなかったが、大きく道を外れることなく成長できたのは父のおかげかもしれない。
 
そんな父に一度だけ、ストップをかけられそうになったことがある。
私が父と暮らした家を出ていくときだ。
姉が嫁ぎ、母が他界したあと2年ほど父と暮らしていた。
焼肉事件のあとくらいに幸運にも派遣社員として勤務していた会社から正社員のお話を頂き、二つ返事で引き受けた。それをきっかけに自立しようと家を出ることにしたのだ。
 
正社員の話は父もかなり喜んでくれた。
引っ越しの話をしたときは「おう、いいんじゃない」とだけ言った。
そこは面倒見の良い父のこと、部屋探しや家具選び、その他もろもろの手続きも一緒に行ってくれた。
準備も一通り終わり、いよいよ家を出ていくという数日前いつものように二人で晩酌をしていると父がおもむろにこう切り出した。
 
「いま、本当に出ていく必要があるんか」
 
父にこれからチャレンジしようとしている事を反対されたのは生まれて初めてだったかもしれない。四人家族が急に二人になって寂しいところに、一緒に暮らしていた私までもが出ていくと言っているのだ。父の胸のうちを考えると心臓がギュっと締め付けられて痛かった。
 
でも、今、この家に残ったら自立の機会を失うかもしれない。
そう思った私は今にも泣きそうな父に気付かないふりをして
「当たり前やん! いまさら何言いよると!」と笑い飛ばした。
あの時はお父さんの気持ちを汲んであげられなくてごめんね。
 
子供を持つ身になった今、父の言葉を改めて考える。
「お前が決めたことなら、それでいいんじゃない」
これを言うのはなかなか難しい。
子供の事を100%信じていないと言えない言葉だからだ。
 
独り身になって約15年、父は今祖父母のお世話をしながら暮らしている。
病院への付き添い、買い出し、調理、後片付け……相変わらず面倒見の良さを発揮しているようだ。
そんな父ももう70を超えた。
頭が上がらないと共に少しは手抜きしてゆっくりしてね、という思いでいる。
 
 
 
 
***
 
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2021-09-22 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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