もしもあなたが既婚者じゃなかったら
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:川端彩香(ライティング・ゼミ10月コース)
先日、ちょっとした事件が起こった。
先週、仕事終わりに会社の先輩と飲みに行った。先輩は私が入社して以来、一番面倒を見てもらっており、良くしてもらっている。3つ年上で、お兄ちゃんのような存在だ。
3時間ほど飲み、そろそろ退店しようという時だった。
「どうでもいい話なんですけど、この店出たらハグしませんか?」
は? と思わず声が出る。どうでもよくないだろ。
「なんでですか?」
「いや、なんとなく」
「いや、普通に嫌です」
「いや、ハグしましょう」
この押し問答が数分続く。閉店時間なので、そろそろ……とアルバイトらしき女の子が声をかけてくる。店を出てハグをすることもなく歩いていると、交番の前で先輩が立ち止まる。
「交番の前なんで、変なことはしないですよ」と言い、飛び込んでこい! とばかりに腕を大きく広げている。
いやいや、そういう問題じゃないねん。
誰かに見られて変な、あらぬ疑いを持たれてしまうのも嫌だし、あらぬ噂を流されるのも嫌だ。何より、あなたは既婚者で子どももいるじゃないか。
先輩は学生結婚していて、子どももいる。私が入社してから何回もご飯に連れて行ってもらったり、スタバでケーキを食べたりしたけれど、こんな展開になったことはなかった。お子さんには会ったこともあるし、家庭仲が良好なことも知っている。
なんだ、この妙な展開は。
交番の前で再び押し問答が始まった。今ここで、ハグをするか、しないか。
通り過ぎる人たちの冷ややかな視線を感じる。今、私たちはどう見えているのだろうか。ハグをするかしないかで揉めているバカップルにでも見えているのだろうか。だいたい、この男は何を考えているのだ。妻子がいる身で堂々と「ハグしましょう!」だなんて。いや、ていうかハグってなんだ!?
脳内でぐるぐるとそんなことを考えていた私だが、だんだんと周りの冷ややかな視線に耐えられなくなってきた。そして寒い。ハグしてしまった方が早く帰ることができるんじゃないか? 早く帰りたい。ハグしてしまった方が良いのか……?
再びぐるぐる考えていたら、痺れを切らした先輩に腕を引っ張られ、抵抗する間もなく胸の中に飛び込んでしまった。
正直に言おう。まったくときめかなかった。
少女漫画、ドラマ、映画、どこかで誰もが見たことのあるシーンだ。男性に強引に腕を引っ張られ、そのまま抱きしめられる……。
そのシーンを見た全女性は「トゥクトゥクン」と胸がときめくシーンのはずなのだ。その時に流れる音楽は久保田利伸の「LA・LA・LA LOVE SONG」もしくは小田和正の「ラブ・ストーリーは突然に」のはずなのだ。たくさん回るか、見知らぬ二人のままだったかなのだ。ひねくれた女性が「こんなんドラマの中だけやで」と僻みながらも羨み、夢見がちな女性が「私もこんなことされたい~!」と素直に羨むそんなシーンが私に降りかかっているというのに……。
私よ! なぜときめかなかったのだ!
翌日以降、アルコールが抜けた頭で、冷静に考えてみた。
まず一つ目。先輩は妻子持ちの既婚者である。やはりこの理由が最初に思いつく。私の中で、彼女持ちや妻子持ちはそもそも「そういった目」で見ることができない。その彼女やご家族に会ったことがなくても、背景に浮かんで見えてしまうのだ。決してやましいことはないが、心は痛む。申し訳ないという気持ちとモヤモヤは、今でも心の中にある。
二つ目。あれはハグではない。ハグにしては力が強すぎた。恐らく「抱きしめる」という部類に入る行為だと思われる。でもときめかなかった。力が強すぎて苦しかったのだ。私は「ギブ!」と言わんばかりに先輩の背中をバシバシ叩いた。あれはもはや絞め技だったのでは……? そりゃときめくわけがない。
そして最後に三つ目。私は頭のどこかで「この状況はまずい」とわかっていたのだと思う。私たちは嘘偽りなく、一線は超えていない。絞め技をかけられた後、駅前のコンビニでアイスを買って座りながら食べて解散した。先輩もそういうつもりはなかったはずだ(と信じたい)。
けれど、もし会社の誰かがその現場を見てしまっていたら? 先輩の知り合いが見ていたら? そしてそれが家族に伝わってしまっていたら?
事実無根であっても、何も証拠はない。あるのは私と先輩が抱き合っていた(厳密には私は手を回していないので抱き合ってはいないのだが)という事実だけなのだ。
アルコールが入っている頭でも、私はどこか冷静に、このリスクを考えていたのだと思う。だったら抱きしめられる前に、先輩を置いてでも帰ればよかったのだが、その時はそこまで考えつくことはできなかった。
同じ出来事でも、見る人によって感じることは異なる。いろんな人がいて、いろんな意見があって、いろんな視点があるということを、自分が思っている以上に考えて行動しないといけないのかもしれない。生きにくいな、と思うが、最低限の配慮と倫理観は必要だよな、とも思うのだ。
私たちは、男性に強引に抱きしめられるヒロインを見て羨ましがるが、もしその男性が意中の人でない場合、ヒロインはときめかないのかもしれない。私と一緒だ。見ているシーンは同じでも、人や立場が変われば捉え方は違う。
でも、もしも。
もしも先輩が既婚者じゃなったら、私はときめいたのだろうか? お互い相手がおらずフリーの状態であれば、何かが始まっていたのだろうか? その時に流れる曲は久保田利伸と小田和正のどちらなのだろうか? 私はドラマのヒロインのようになれたのだろうか?
そんなタラレバばかり考えていても仕方がないのはわかっている。なので、次に抱きしめられることがあるのなら、それは意中の男性であればいいなと思う。ヒロイン気質ではない私も、やはりヒロインには憧れるし、ヒロインになりたいのだ。
***
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