ピアニストの授業を受けたら、忘れていたことを思い出した
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:とみづか みほ(ライティング・ゼミ6月コース)
ピアニストの演奏を、50mほどの至近距離で聴くのは初めてだった。
音が鳴ったその瞬間、会場が何かやわらかいベールに包まれたような気がした。
私が移住したまちには、大人が集まって学ぶ、「大人の小学校」のようなコミュニティがある。
数年前に発足して以来、外部から様々なジャンルの先生を呼び、月に1度「授業」が開かれている。
先日特別授業があり、会員でない人も参加できるとのことで、お邪魔してみた。
今回の先生は、まちに来るのは3回目という、プロのピアニストの方だった。
会場は、体育館に似たこぢんまりとしたホールだ。舞台には古いグランドピアノが1台あるだけ。集まった生徒たちは、スピーカーを通さず、ピアノの音を直に受け取ることになった。
司会者から紹介されたピアニストの先生は、開口一番、明るくさっぱりと言った。
「私は硬い空気が好きではないんです。
こんなやつが出てきて、本当に弾けるのかと思われる方もいらっしゃると思うので、まずは何曲か演奏しまして、その後で少しお話できればと思います」
先生がさっと席につき、音を奏でた瞬間、冒頭の不思議な感覚に包まれたのだった。2曲演奏されるうちに、どんどんその世界に引き込まれていく。
先生の音は、そよ風にカーテンが揺れるように、なめらかに優しく流れていた。あるいは、水がしたたるように、ぽたぽた、ぽつぽつと聞こえることもあった。何かが爆ぜるような、大きな音もした。
昭和50年代に作られたというピアノが、全身をいきいきと響かせていた。
「ピアニストは、(コンサート会場など)行った先にあるピアノを弾くので、毎回楽器が借り物なんですよ。このピアノはどんなふうにしたらいい音が出るかなと、対話するような気持ちでいつもやっています」
先生は後でこんなふうに話してくれた。
楽器との対話、考えてみたこともなかった。
「対話」がどんなものか想像するに、演奏家はきっと、ものすごく耳が良い。どんな風に音を鳴らしたら良い音が鳴るか、どの角度にピアノを置いたら会場全体に響くか。そういう“楽器を生かす術”に、本番前の短い準備時間などで気づけるのだと思う。
こんなにワクワクするのは久しぶりだ。
そう思えたのは、生の音を聴くのが久しぶりだったからかもしれない。
それからつい最近、ピアノをもう一度習うことに決めたせいもあるだろう。幼少期に習っていたけれど、ちっとも好きになれなかったピアノ。それでも音楽のない生活が続くとなんだか恋しくなり、意を決して大人の手習いをやってみることにしたのだ。
ただ、改めて弾いてみると、思うように指が動かない。「こう弾きたい」と思う演奏の、10分の1もできないのだった。
プロと比べるなんておこがましいが、目の前で繰り広げられている演奏は、私が習う楽器と同じものを使っているとは思えなかった。どこまでも自由で、1本の映画を見ているような、鮮やかさと立体感があった。
耳慣れた「トルコ行進曲」や「きらきら星変奏曲」も、プロの手にかかると全く違う。夢見ごこちで聴いていると、演奏パートはあっという間に終了した。
後半の講演パートで、一般企業の仕事に通じると、先生が話してくださったことがある。
「ピアニストやオーケストラの指揮者は、マルチタスク」という話だ。
アンサンブルと呼ばれる、他の楽器との合奏であれば、ピアニストは周囲の音を聞きながら自身の出番を待ち、自分のパートを演奏する。その際、舞台の上から
「あの場所はちゃんと聞いてくれている、あそこは飽きているな」
等と会場の雰囲気まで感じるという。
耳で聞きながら、指や体を動かして音を鳴らし、雰囲気を感じ取る。高度な感覚のマルチタスクだ。
一方、オーケストラの指揮者は、様々な楽器がいつどんなフレーズを鳴らすのか、すべての楽器の楽譜を頭に叩き込んで、的確に合図を送る。同時進行していく演奏を把握しているのだ。
「ピアニストも指揮者も、舞台という人の注目を集める場所で、良いパフォーマンスをする必要があります。
舞台の上だから、やっぱり緊張するんですよね。追い込まれた状況で、良いパフォーマンスをしなくちゃならない、失敗できないとなると、かなり鍛えられます」
先生は軽やかに話していたが、素晴らしい演奏の裏で、どれだけの努力を重ねられているのか、素人には想像に及ばなかった。
音楽で鍛えられる感性はビジネスの世界でも役に立ち、実業家に転身する音楽家も少なくないのだとか。だから、音楽は早いうちから触れておいて損はない、ということだった。
オーケストラではないが、私も学生時代のサークルではバンドスコアを見ていた。確かにその時は、どの楽器がいつどんな音を鳴らすか、意識していたと思う。
その意識が今の仕事(音楽とは全く関係がない)に生かされているかというと……。残念ながら、それとこれとは別の話、と言わざるを得ない。
それでも、先生の話を聞いて、バンドスコアを見ていた時の熱量は蘇ってきた。
あの時私は、同じ瞬間に鳴る音の重なりや、音から音への繋がりで作る曲の表情を、どうやって形にするか、そういうことばかり考えていた。
そして、自分の体を使って音を鳴らすことが、楽しくて仕方なかった。
ずっと音楽が好きだったけれど、どういうところが好きだったか、忘れかけていた。偶然が重なってそれを思い出すことができた今、もう一度新しい気持ちで、音楽を楽しめそうな気がしている。
私にとって必要なタイミングで、素敵な演奏を聞かせてくださった先生に、心からの拍手とお礼を。
そして、新しくお世話になるピアノの先生に、これからよろしくお願いします、と伝えたい。
***
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