プロフェッショナル・ゼミ

別れるのは、本当に辛い。でも……。《プロフェッショナル・ゼミ》


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【12月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

 
記事:松下広美(プロフェッショナル・ゼミ)
 
ついに、今日でお別れなんだ……。
 
ある日の朝。
また台風が近づいているという。
昨日は秋晴れの青い空だったのに、今日は曇りの色をベタ塗りしたような空。
雨もこれから強くなるんだろうか。明日はもっとひどい雨になるのかな。また出掛けられない日曜なのかな。
天気に気持ちが引っ張られそうだ。なんとなくどんよりした気持ちになっていた。
いつもより車の少ない、会社までの道を走っていて、ふと思い出した。
 
今日のお別れのことを。
 
今日がお別れの日だったことを忘れていた。
本当のお別れはもう少し後だけど、今日が一緒に仕事をする最終日。
そのことをすっかり忘れていた。
別れることになるんだ、と改めてこの十数年を思い出したら、涙が出そうになった。
 
 
入社して2年目の冬に、彼はやってきた。
まだ毎日の仕事をこなすだけで精一杯だった私は、彼がやってきた当初はあまり記憶がない。
ただ、これからは彼と一緒に仕事をしなくちゃいけない、ということを上司から指示されたことは覚えている。
彼と本格的に仕事を始めたのは、彼が来てから、1週間くらい経ったときだったと思う。
最初はみんなが翻弄されていた。私も翻弄されていたひとりだ。
え? こんなことは、しちゃいけなかったんだ。こうすればいいのかな? そういうやり方もあったんだね。次はそっちに行っちゃうの? そんな動きをするなんて反則だよ。
彼の男らしい動きにヒヤヒヤさせられることもあったけれど、当時はまだ私も若かったので、彼に合わせられるようになるのに時間はかからなかった。時間があると彼の動きに注目をして、集中して観察していると、動きに一定のリズムがあることがわかった。リズムがわかってしまうと、一緒に動くのも安心できる。
 
会社でしか接することのない彼だったけれど、日が経つにつれ、私は彼のいろいろなことを知っていった。
だから、彼を紹介する役目は、いつも先輩ではなく私だった。
彼と仕事をするときは、こんなことに気をつけてね。こんなふうに接すると仕事がうまくいくよ。と、これから一緒に仕事をするであろう彼を、多くの新人の人たちに紹介をした。
 
私はずっと彼と過ごすものだと思っていた。
でも、何年も仕事をしていくうち、そうではないことを少しずつ悟っていった。
同僚が、彼に代わる子がいると、実際に会ってきたよと、教えてくれることもあった。それに、私自身も出張なんかで他の地域の、彼と同じ仕事をしている子を見学することもあった。
彼とはちょっと違う、いい動きをするのを見ると、羨ましかった。
 
そうか、いつまでも一緒にはいられないんだな。
そう思うようにはなったけれど、まだまだ先のことだと、思っていた。
 
彼との別れが最初にささやかれ始めたのは、3年ほど前だったと思う。
最初は噂だけなのか、と思っていた。彼の仕事をしてくれる代わりの子が来るという話だが、その代わりの子の評判がすこぶる悪かった。あくまで噂だから、実際に接してみないとどうなのかはわからない。しかも、本当に代わりの子が来るかどうかはわからない。
 
ただ知らなかったのは私だけで、上司たちの間ではどんどん話は進んでいたようだ。
彼の代わりだという子は、ある日突然やってきた。
私は、気に入らなかった。
噂通りに見た目も仕事の質も、彼のほうが断然上だったからだ。
そのまま代わりの子を投入されてしまっては、仕事の効率が落ちるからやめてくれ。何度接しても、なんかうまくいかない気がした。だから何度も訴えた。
でも、経費の問題もあるし、すでに決定事項だと言われた。
 
これは、受け入れるしかないのかな。少しずつ、諦める方向に動いていた。
彼も昔に比べると万全の状態で仕事ができなくなっていた。あっちが痛い、こっちが痛いと、動きを止めることも出てきていた。その度に、治療をした。次はどこにガタがくるのか。心配で仕方なかった。昔から、訴えは強い彼だったが、頻度が増えていたように思う。
だから、代わりの子になるのも時間の問題なのかなと思っていた。
 
しかし、代わりの子が、本格的にルーチン業務に入ることはなかった。
その子が入るためには、とあるプロジェクトが成功しなければならなかったのだが、社長が変わり、しばらくすると突然プロジェクトの中止が発表された。
ずっと、あの子がオブジェのように佇んでいたのが、今となってはいい思い出だ。
 
ただ、そうなると、彼はまだまだ頑張らなくてはいけなくなってしまった。
しかし調子がイマイチ良くないのは、変わらなかった。
いつ、彼がダメになってしまうんだろう。
心配で不安な日々を送っていたら、上司から突然話があった。
 
彼の代わりの子が入ると。
 
今度は、前のような評判が悪い子ではなく、彼よりかなり高いスペックを備えた子だという話だった。
彼もそろそろかな……と私だけの思いだけではなく、同僚や部下ともそんなことを話すことが多くなっていたところへ、話が舞い降りてきた。
次の子はいつ来るのか、彼はいつまでなのかと、事あるごとに聞いていた。
一応、予定としては決まってはいるが、予算の関係だとか、まだ書類を出してないだとか、本決まりするまでには時間を費やした。
 
本決まりしていないから、彼の代わりが来るのはまだ先だろうと、ぼんやり過ごしていたら、1ヶ月くらい前に「彼女が来るのは、この日な」と上司から急に告げられた。
 
「えぇ! マジで? 何の準備もしてませんけど!」
 
会社というのは酷なもので、彼女を迎える準備など一切していなかったが、決まってしまうとそれに従うしかない。
急ピッチで、進むこととなった。
彼の代わりの仕事をしてくれる子なので、彼女が来るということは、彼とはお別れしなければならない。
ただ、彼とのお別れのことよりも、彼女をどう迎えるかを考えることの方が圧倒的に多かった。
 
そのときには、彼の気持ちも考えていなかったなと、今になって反省をする。
彼自身も理解をしてくれていると思うが、今日、別れの日を迎えて、改めて考えると無神経だったと、心が痛くなる。
 
彼女が来る日程が決まると、私は部署の責任者として、彼女を迎える準備にかかりっきりになった。
特に、ここ2週間くらいは彼女を迎えても、日常業務に支障をきたさないように、と必死になって動いた。
あれが足りない、これが足りないと、言葉だけではなく、実際に走り回っていた。
実際に、彼女と仕事をしている場所へ出向いて、話を聞いたりもした。
 
彼女が入ってきたのが1週間ほど前で、本当は彼女と本格的に仕事をする前に、慣れておきたかった。
しかし、日常業務に追われて、なかなか時間を取ることもできず、焦っていた。
その焦りが「彼との別れ」のことを、頭から消し去っていた。
 
 
「これで、全ての業務が終了です」
普段はそんなことは言わないのに、今日は言いたくなった。言わなければならない気がした。
もう、彼と一緒に仕事をすることがないのだと、別れが目の前に現れた瞬間、涙が止まらなくなった。
 
涙を周りに悟られないようにしながら、彼のことを撫でた。
つるんとしたカバーを撫でる。
一つずつ、部品を外していく。
14年もの間、支えてきてくれて、ありがとう。
心の中で呟きながら、もう少し、彼と一緒でもよかったなと思った。
 
「泣けちゃうでしょ」
同僚が、からかうように言う。
本当に、気を緩めたら号泣してしまうくらい、彼との別れを辛く思う。
こんな長い間、業務を支えてきてくれた機械に別れを告げることがこんなに悲しいことだなんて思わなかった。
一緒に夜を明かしたこともあった。
何度も思った通りに動かなくなって、壊れてしまって。それでも直して。
保守契約も切れて、それでも無理矢理、修理として定期メンテナンスをしてもらって。
特にここ半年くらいは、だましだまし使ってきた。
早く新しい機械を入れてほしいと、ずっと何年も訴えてきて、やっと待望の機械が入ってきたのに。
なんで、こんなに悲しいんだろう。
ずっと使ってきた機械に愛着がある。それだけではなくて、阿吽の呼吸で、次はこうして欲しいのかと彼の動きが手に取るようにわかり、ピタッと動きが合った瞬間がたまらなく楽しい。
そんな瞬間をもう彼とは味わえないかと思うと、涙が止まらなくなる。
 
ただ、最後の瞬間に立ち会えたことは、最高の思い出となるだろう。
 
彼とのストーリーはここで終わりを迎える。
でも、新しい彼女とのストーリーはここから始まる。
 
出会いがあれば別れがある。
それは、人とだけでは、ない。
 
***

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