「月」を手放し、「文章」を書く。
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記事:山田裕嗣(ライティング・ゼミ平日コース)
昔から、満月を見上げることが好きだった。
3月始めの、金曜日の夜。
仲良しの友達の家に、古くからの仲間たちと久しぶりに集まった。
新しい事業について白熱した議論も交わすし、次は花見をしながらどんな悪ふざけしようか、なんて下世話な話をしてゲラゲラ笑ったりもした。
それなりにお酒も飲んで、心地よく疲れて、終電の手前くらいでそれぞれ家路についた。
家の近くの駅で降りると、綺麗な満月が光っていた。
ぼーっとその月を眺めながら、昔は、月を見ながら「苦々しい」というか「切ない」というか、そういう感情がほのかに混じっていたことを思い出した。
「あなたの夢は?」
と聞かれることは、小さいときから苦手だった。
圧倒的な特技はないけど、ソツなく色んなことをこなす。そういう特性は、今も昔も変わらない。
どういうルールで成り立っていて、期待されていることは何で、どうすれば合格点が取れるのか。
そのあたりを要領よく把握した上で、きちんと合格点に収める。
そういうことは得意だったので、周りからはそれなりに「できる」タイプに見られていたのかもしれない。
ただ、一貫して「やりたいこと」はなかった。「将来の夢」も「なりたい職業」も。
そして、そのことに強く劣等感を抱いていた。
「やりたいこと」がないことの裏返しとして、何でもソツなくこなせなければならない、と思っていた節さえある。
だから、なんであっても「やりたいこと」がはっきりしている人に強く惹かれた。
学生時代の友達には、よくまあそんなに次から次へとやりたい遊びがでてくるな、と思うようなタイプが必ずいた。
恋愛でも、不器用なまでに自己主張を繰り返すことしか出来ない人を好きになったり。
意志を込めた熱量を発している人が「太陽」なら、自分にできることは、「月」として、その光を反射したり、夜を照らしたりすること。
そういう役回りを引き受けることが、自分らしい。
そう一生懸命に自分に言い聞かせるように、「月」の姿に憧れを抱いていた。
もちろん、自分が「太陽」になれないという「諦め」の裏返しなんだということは、当然、自覚していた。
だから満月を見上げながら、どこかで「苦々しさ」や「切なさ」を感じていた。
しかし、ある時期を境に、この「諦め」はなくなった。
6年前、古くからの友人が仕事のパートナーになった。
彼は、これまで私が出会った中でも極めて分かりやすく「太陽」な人だ。
夢や野望がはっきりしている。
一点の疑いもなくそれを信じ切っている。
そして、ありったけの熱量を込めてそれを語ることで、色んな人が巻き込まれていく。
そんな人だったからこそ、パートナーとして仕事をすることを選んだ。
一緒に仕事をした数年間、本当に色んな経験をした。
良い出来事も悪い事件もどちらもたくさんあったし、その度にバタバタと走り回りながら、どうにかこうにか会社や事業を進めて行った。
そんな試行錯誤の過程で、「チームには色んな役割が必要だ」という、言ってしまえば当たり前のことを身に沁みて実感した。
「太陽」だけでは、物事は前に進まない。
良いチームを作ることに狂気的なまでにこだわりを持てるエンジニア。
徹夜して分厚い専門書を読んで足りない知識を補えるアナリスト。
お客さんと飲みに行くだけで新しい仕事を取って来る営業担当。
口悪く周囲を罵りながらメンバーに圧倒的な愛を注げるマネージャー。
チームに貢献するためなら自分を犠牲にすることに抵抗のないデザイナー。
多彩な人が集まって、それぞれの役回りを引き受けてこそ、チームは力を発揮する。
その中では、ソツなく色んなことをこなしていく「月」みたいな存在も役に立つ。
「太陽」への憧れ、「太陽」になれない自分への諦め。
そういう感情を持つことはなくなった。
「月には月の役割がある」。
そのことを素直に受け入れられるようになっていった。
さて、では、今に戻って、飲み会の帰り道、金曜の25時。
肌寒い中で満月を見上げている自分は、何を感じるのか。
「月の役割を引き受ける」とは、少し、いや、ものすごく違うことを感じている。
そのことに初めて気が付いた。
そもそも、「月」とか「太陽」とか、分けて考えること自体、まったく失くなっているのだ。
さっきまでの飲み会でもそうだった。
集まっているメンバーで、新しい事業を始められるんじゃないかと議論が盛り上がったときに、他の誰かが「熱量を持っている太陽」であり、自分はそれを反射する「月」なんだ、とか、1ミリも感じなかった。
もちろん、一人一人の得意分野は違う。
私の「とりあえず色々こなす」という特技は健在なので、役割で言えば、色んなサポートとか後始末みたいなことを引き受ける可能性は高い。
それでも、そのことを「太陽」を支える「月」として捉えることはまったくなかった。
最初は、「月」に憧れ、「太陽」になることを諦めていた。
次は、「月」も「太陽」もそれぞれ役割を分担しているのだと受け入れた。
そして今は、「月」と「太陽」を対比する発想自体がなくなった。
この変化は、どういうことなのか。
きっと、前よりも少しだけ、自分が自分を作るのだということを、しっかり引き受けた。
その結果、外にある何かに自分を投影するのも止めて、自分の内側に既にあるものに目を向けるようになった。
そして、私がいま文章を書きたいと思うようになった理由も、ここにある。
自分のことをより深く理解するために、自分の輪郭を少しでもはっきり切り取るために、言葉という手段を試している。
「月」を手放し、「文章」を書く。
広い視野で世界の中の自分を見るよりも、
自分の内側にある何かを明るみに出す。
今の自分は、そういう挑戦をする時期に差し掛かっているらしい。
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