週刊READING LIFE vol,109

手編みのマフラーに紐付けられた不快感と孤独という忘れられない感情《週刊READING LIFE vol.109「マフラー」》


2020/12/31/公開
記事:岸たかほ(READING LIFE 編集部 ライターズ倶楽部)
 
 
人はそれぞれある物事に対して紐付けられている感覚や記憶があったりする。わかりやすい例えで言えば、金木犀の香りがすると秋だなあとか。そんなものだ。
 
私には手編みのマフラーに紐付けられた重苦しい記憶がある。一週間前に何を食べたかすっかり忘れてしまっているように、その記憶も忘れられないものかと思う。だが、それについては記憶に関する細胞に強烈に焼き付けられてしまっているように何年経っても忘れることができない。手編のマフラーを見たときに、ふと、記憶のファイルに光があたってファイルがパカッと開くと、その時の光景だけでなく匂い、そしてそれに付随する感情までもが蘇ってくる。先日も娘がマフラーを編んでいるのを見て、当時のことを鮮明に思い出し、気分が悪くなった後、孤独感に陥った。

 

 

 

私が高校二年の時のことだ。秋が終わり、冬に差し掛かろうとする11月の初め、校舎内の三段ぐらいしかない階段から落ちた。最初はただの捻挫だろうと高をくくっていたが、翌日足がパンパンに腫れて痛くて歩くことができなくなっていた。整形外科に行くと、骨折していることがわかりギブスをはめられた。
 
当時運動部に入っていたのだが、一ヶ月ほど運動ができないということで、部活を休むことになった。学校が終わって家に帰っても暇だったので、授業が終わると保健室の先生とのおしゃべりが目当てで保健室に通うようになった。年配の先生だったが、私が放課後に保健室に行くと嫌がりもせずに話し相手になってくれた。先生は私と話をしながらいつも編み物をしていた。時間ができたこともあり、私も編み物をやってみたくなり、先生にお願いして教わることになった。当時、好きな男の子がいたのでうまくできたらプレゼントしたいと考えたのだ。
 
私が好きになった男子は、あるイベントで知り合った他府県に住む同じ年の男子A君だった。なにかのきっかけで話すようになり、盛り上がってまた会おうと言うことになり連絡先を交換した。
 
夏休みが終わって、新学期が始まりA君と私は二人で何度か会った。私にとって異性と二人で会うのはA君が初めてだった。私は共学に通っていたとは言え、それまで男子とあまり話すことがなかったので、異性に対して免疫がなかった。一緒にいると楽しくて、同じ年だけど頼れるA君のことが好きになってしまったのだ。

 

 

 

12月になり、歪ながらも保健室の先生のおかげでマフラーが完成した。今思ったらあんなに歪なマフラーはもらっても迷惑だと思うような出来だった。だが、その時は、物事を客観的に見る力がなく、A君に喜んでもらいたい一心だった。私は「渡したいものがあるから」とA君に会いたいと連絡した。
 
その頃には、新学期に互いに連絡を取り合っていた頃と比べると、A君からの連絡の頻度が減っていた。だからかもしれない。余計に私の不安とAくんへのことが好きな気持が高まっていた。マフラーをプレゼントしたら、自分の事をもっと好きになってくれるとか何かが変わるわけでも無いということもわかっていた。けれど、もしマフラーを受け取ってもらえなかったら、逆に諦めがつくだろうと考えていた。
 
A君は約束の時間に来なかった。私はそれでも大雨が降る中、待ち合わせた駅で1時間くらい待っていた。携帯電話などなかった時代なので連絡も取れないため、ひょっとしたら遅れてくるかもしれないと考えたからだ。長い間待ったけれど、A君は来なかった。Aくんは私の好意を察して、これ以上会うのは辞めたほうが良いと思ったのかもしれない。あるいは、もともと彼女がいたのかもしれない。学校も違うし詳しいことはわからないけれど、Aくんが来なかったという事実は、私の中で失恋という一つのけじめとなった。
 
私は諦めて家にかえるため、電車に乗った。顔や髪や洋服は雨と涙で濡れていた。恋愛に免疫が無い私は、もちろん失恋にも免疫がなかった。心もずたずただった。泣いているのを人に見られたくなくて、帰りの電車で私は車両の隅っこの座席に座って俯いていた。
 
しかし、失恋でぼろぼろになった私に追い打ちをかけるように、さらなる悪夢がこの後、私に降り掛かかることになる。
 
その日は日曜だった。12月の日曜日の午後6時頃の電車の混み具合を想像してほしい。ちょうど週末で都市部に出かけた人たちが家路につく時間帯で、通勤ラッシュまでとはいかないが、結構混み合っていた。私はたまたま席に座ることができたが、立っていた人もそこそこいたように覚えている。普段だったら横に座っている人の性別だったり雰囲気は見なくても察することができたが、失恋の真っ只中にいた私は、その日に限って周囲で起こっていることに気を回すほどの心の余裕がなかった。
 
ふと気がついたら、焼き肉の匂いが微かにしたような気がした。泣いていたので鼻水も出ていて私の嗅覚は鈍っていたので確信はなかった。けれど、どんどんその匂いが焼き肉であるとはっきり私に主張し始めた。その匂いは時間とともにますますきつくなっていった。普段なら食欲が増すかもしれないその匂いは、何故か不快に感じた。次第に焼肉なのか悪臭なのかの区別がつけられなくなっていった。下を向いていた私のすぐそこに匂いの気配を感じ、顔を上げた。
 
最初、泣いていて視界がぼやけていたこともあり、それが男の下半身だということに気がつくのにわずかに時間がかかった。私はあまりの恐怖に「ギャー」と叫びながら目をつぶり、鼻と口を手で覆いながら逃げるようにして席を立った。ちょうどその時電車の扉が開いたのは不幸中の幸いだった。まだ自分が降りる予定の駅ではなかったが、とにかくその状況から逃げるため電車から降りた。
 
駅のプラットフォームで吐いた。朝から食事もろくに取っていなかったので、胃液しか出てこなかった。悪心が止まらなかった。それまでにも随分長い間泣いていたけれど、また嗚咽した。
 
気持ちが落ち着くまでの間、しばらくホームの椅子に座っていた。12月の雨の降る夜の寒さは頭を冷やすにはちょうど良かった。そして、失恋したからって、周りに注意を払わずに下を向いていたことを悔やんだ。
 
下を向いていたから詳しいことはわからないが、時間が経つに連れて、下半身を露出した男は、焼き肉をたらふくどこかで食べてきた後に電車に乗って、露出という犯行に及んだのだということが理解できるようになった。そして私が驚いたリアクションをして電車を降りたことは露出者の思うつぼとなった。

 

 

 

その後、失恋については思ったよりも早く回復することができたが、電車の中でのその体験はしばらく忘れることができなかった。ただ、それから数週間、食欲がなくなり、焼き肉はもちろん、肉を口にすることができなかった。一人でいると急に電車の中で体験した映像が蘇ってきたりした。
 
数年が経っても、手編のマフラーを見ると、条件反射で焼き肉の匂いと恐怖体験、それに付随した不快感までの一連の記憶を忘れることはなかった。大人になってから思い出すときには、不快感の後にきまって孤独感に襲われるようになった。ただ、その孤独はどこからくるものなのかわからなかった。失恋からきたものではない。それははっきりしていた。失恋の悲しみなんて時が忘れさせてくれるし、一度体験すれば耐性もつくからだ。
 
あれから30年以上が経ち、時とともにあの車内での体験を思い出す頻度は減ってはきているが、思い出した時の記憶の鮮度はあのときのままだ。しばらく時が止まったように、一連の映像が脳裏に流れて、匂いを思い出し、順番に恐怖、不快、そして孤独という感情に襲われる。他の事はどんどん忘れていくのに、この記憶だけは忘れない記憶としてラベルを貼られて別のところに保管されているようだった。

 

 

 

先日、村上春樹さん著の短編小説集『レキシントンの幽霊』の中の作品の一つ『沈黙』を読んでいて気がついた。私のあの車内での体験の最後に来る孤独感は、車内で誰一人として私を助けようとした人がいなかった事から来ているのだということがわかった。『沈黙』のざっくりとしたあらすじは、大沢さんの語りがメインになる。高校時代にもともと苦手だっただった同級生の青木が、大沢さんを陥れようとするために、大沢さんをある事件の犯人に仕向け、先生もその周りの友達もみんながそれを信用し、大沢さんを無視するようになり、大沢さんがノイローゼのようになってしまう。だが、あるきっかけでそれを乗り越えるという話だ。大沢さんが最後に言うのは、怖いのは青木ではなく、周りの連中であると言っている。
 
「彼らは自分が何か間違ったことをしているんじゃないかなんて、これっぽちも、ちらっとでも考えたりはしないんです。自分がだれかを無意味に、決定的に傷つけているかもしれないなんていうことに思い当たりもしないような連中です。彼らはそういう自分たちの行動がどんな結果をもたらそうと、何の責任も取りやしないんです。本当に怖いのはそういう連中です」(1)
 
手編のマフラーからくる一連の記憶の後に、襲ってくる孤独感というのは、ここから来ているのだということに気がついた。私の体験とこの『沈黙』のストーリーは違う。だが、たくさん人が周りにいたのに、誰も助けてくれなかったということは私の時も同じだった。
 
露出狂が現れた時、思い返せば、おそらく周りの人たちはその男の存在に気がついていて、それぞれがその場から非難していた。私は車両の中央に面した3人がけの長椅子に座っていた。そして、確かに私の横にも人が座っていたが、その人達も露出者が近づいてきたタイミングですっと私の横から席を立って逃げていた。その時点で私も露出者に気がつけばよかったが、自分のことで精一杯だったため横の人が席を立ったことを全く不審に思わなかった。また、私自身が露出者を目の前にしてその場から逃げる時、露出者の周囲半径1.5メートルは誰もいなかったことにも今更ながらに気がついた。
 
車内にいた人たちが露出者を避けて距離を置く形で避難したのに、誰一人として私に「逃げたほうがいい」とか、言葉に出さなくても、肩を叩くとかして露出者の存在を知らせることをしてくれなかった。自分の周囲への不注意を棚に上げて、助けてくれなかった人たちへ文句を言っているわけではない。けれど、こんなにたくさん人が周りにいて、犯罪行為を防ぐことができたかもしれないのに、結果的に誰も助けてくれずに見捨てられてしまったことは、露出狂に対するショックと共に私の記憶の中に孤独という感情の形で刻みつけられたのだ。

 

 

 

その後、私も大人になった。おせっかいかなと思うこともあるけど、落ち込んでいる人を見たり心配なときは、声ををかけるようにしている。それは、犯罪に巻き込まれたり大げさなものではなくても、周囲の一人である私のその一言で人が救われたりすることを知っているからだ。
 
痴漢や露出狂においては、周りの人の言動一つで、被害にあう人の心の傷を減らせることもある。沈黙、見捨てるという行動を取る前に、ちょっとした一言や行動で犯罪が未然に防げるということを知ってほしいと願うばかりである。
 
 
 
 
村上春樹(1996)『レキシントンの幽霊』文芸春秋社(Kindle版)
 
引用文献
(1) 村上春樹(1996)『レキシントンの幽霊』位置No.755/2000, No.760/2000
(文芸春秋社『沈黙』)
 

□ライターズプロフィール
岸田たかほ (READING LIFE 編集部 ライターズ倶楽部)

昨年より書くことを学んでいる。

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2020-12-31 | Posted in 週刊READING LIFE vol,109

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